第三章「砂浜アゲイン」

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 顔が熱を帯びていく。  真夏の熱気に当てられているわけでもない。  風邪も微熱程度で済んでいる。  されど熱は集まる一方で。 「大河さん……」  それが眼前ゼロ距離で頬を赤らめている彼女のせいであることは、言い逃れのできようもない事実だった。 「なあ沙耶、冗談だよな? い、いつもみたいに俺をからかってるだけなんだよな?」 「大河さんは……この顔が、冗談に見えると思いますか?」 「っ! そ、それは」  キスで風邪を移す、なんてのは沙耶ならサラッと言ってしまってもおかしくない台詞だし、それ自体に別段驚きは無い。いつもみたいにからかわれるだけなら、こんなに慌てたりなんかしない。  でも、そんなに真剣な顔で迫られると流石に何も考えずにはいられない。今の状況を考えたら、色々と勘繰らずにはいられない。  たとえそれが純粋な好意であろうとも、ニセモノの想いであろうとも。俺はバクバクになっている心臓を必死で抑えながら、それでも理性的な判断を下さなきゃならない。感情がグチャグチャになりそうでも、それでも勢いに流されることだけは絶対にあってはならない。  だから── 「ごめん、沙耶。1回離れてくれないか。やっぱ本当に風邪移しちゃったら、申し訳ないしさ」  俺が選べる選択肢は、やっぱりコレだけだ。 「っ、そ、そうですよね! やっぱり、いきなりこういうことされても困りますよね!! あ、あはは、私ったらいきなり何やってるんだろうなー!! 夏の熱気に当てられておかしくなっちゃったのかなー!!」  早口で捲し立てつつ、パタパタと手で顔を仰ぎながら俺の傍を離れる沙耶。その様子にいつもの余裕は無く、心なしか少し気を落としているようにも見える。 「あ、そうだ! 大河さんの体調も良くなったみたいですし、私も凪沙ちゃんたちの方を手伝ってきますね! ミッチーさん曰く、今日は特にお客さんが多いみたいなので!! それではお大事に!!」 「あ、沙耶!! ちょっと待っ──」  と、言いかけたものの。沙耶はその続きに耳を貸すこともなく、ドンドンドンと忙しない足音を響かせながら、1階へと降りていってしまった。 「はぁぁぁぁぁぁ……」  ため息。ただひたすらにクソデカため息。肩の力が一気に抜け、ベッドの上にへたり込む。 「ああ、もう。なんなんだよこの感情」  毎度のことだが、なんで俺がこんなにも悩まないといけないのだろうか。  沙耶は魔女で俺を騙そうとしていたかもしれない。そのはずなのに、なんで俺は今『沙耶を傷つけてしまったかな』なんて思ってしまうんだろうか。  この胸にチクリと刺すような痛みは、一体どこから来ているんだろうか。 「いやはや、普通の恋愛がしたいものだ」    その辺の普通の大学生なら、沙耶にキスを求められた時点で押し倒したりしてるのだろうか。『嫌なら言えよ?』的なこと言って沙耶に確認とってみて、そしたら沙耶もまんざらじゃない顔で『嫌じゃないよ』とか言ってみたりするんだろうか。その流れでベロチューしたり、あの豊満な身体を欲しいままにしたりとかしてるんだろうか。あーあ、羨ましいなぁ。俺も普通の大学生になりたいなぁ。 「はは、なーんてな」  全ては空想で、現実逃避。フィクションで、妄想で、決してありえない未来。魔女ハウスに居なかったら、そもそも美女たちに迫られる大学生活なんて来なかったんだ。もし俺が御曹司ではなく普通の大学生だったとしたら、そもそも彼女たちに出会うこともなかっただろう。多分ゲームして、飯食って、アニメ見て寝るくらいの生活をダラダラと送っているに違いない。都合良く美人に迫られる生活なんてあるないし、実際、今の生活が始まる前まではつまらないルーチンワークを繰り返していた。  美女に迫られてもそれが本心じゃないかもしれないし、金持ちに生まれたからといって楽して生きていけるわけでもない。俺に限ったことではなく、結局のところ、理想的な生き方をしていける人間などそうそう居ないのである。  酸いも甘いもあってこその人生。あんまり甘過ぎると、胸焼けして気持ち悪くなっちまう。しかしそう考えると、なるほど。適度に苦い思いをしている俺は、ある意味でマトモな人生を送っているのかもしれない。 「まあ、最近はちょっと酸っぱすぎる気がしなくもないけどな……」  以上、たかだか21年しか生きていない俺の人生観。(完)
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