第四章「First Flavor」

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 都内、某駅ビル3階の一角。沙耶と共にやってきたのは、質素ながらも子洒落た雰囲気を持つショップだった。  女子、女子、見渡す限り女子。この空間に居る男は俺1人。店内がそこそこ広いため、ここが何の店なのかは皆目見当がつかないが、少なくとも場違いな所に来てしまったことだけは理解できる。 「ねぇ、沙耶。ここって何の店なの?」  このままカカシのように棒立ちしているのもアレなので、隣の沙耶に問いかけてみる。 「ここは調理用具の専門店ですよ。ちょっと新しいフライパンとか包丁が欲しいなーって思ってたところだったので、来てみたかったんです」 「なるほどなるほど」  そういえば沙耶って魔女ハウスの調理担当だったな。だったら、こういう店に来たがるのも納得か。 「うーん、フライパンいっぱいあるなぁ……どれにしよう……」  トタトタと小走りで陳列棚に向かい、唇に人差し指を当てつつ、中腰になって品物とにらめっこを始める沙耶。普段であれば俺の瞳孔は、そのルビーのように艶やかな唇に目が行ってしまうかもしれない。  しかし今日に限っては、 「ふふ、どれにしようかなぁ……」  いつもの大人びた笑顔ではなく、純朴な少女ような微笑みで。まじまじと商品を見つめながら、まばゆく輝いている彼女の瞳の方に、目線を奪われてしまった。 「はは、沙耶って調理器具見るの好きなんだね」  心まで奪われないように気を付けつつ、彼女の隣に歩み寄って声をかける。 「ふふ、そうですね。料理は好きですけど、道具を見るのはもっと好きかもしれないです。使ってる材質によって道具の光り具合とか用途が変わったりして、なんかそれが面白いなーって思ったり。あとは、意外と持った時の感触とかも違って、触ってるだけで楽しくなっちゃったり……って、あ! す、すいません! いきなり早口でワケわかんないこと言ったりして!」  急に我に返ったのか、沙耶は頬をほのかに朱に染めつつ、「うぅ……こんな趣味おかしいですよね……」と呟きながら俯いてしまった。 「私、友達からよく言われるんです。沙耶は変わってるよね、って。道具を見ただけでそんなに目をキラキラさせる子なんて居ないよ、って……あはは、やっぱおかしいですよね。こんな趣味」  確かに、そうかもしれない。正直、俺も理解できない領域ではある。  でも、まあ、 「別に変わった趣味でもいいんじゃないの? 何を好きになるのか、なんて人の自由じゃん」  理解できないからといって、それが他人の嗜好を否定する理由にはならない。 「え? で、でも……私、フライパンが好きなんですよ? 鉄の塊が好きなんですよ? 変だと思いませんか……?」 「まあ、いうて人間もタンパク質の塊だし。タンパク質の塊同士が好き合って恋に落ちてるんだから、鉄の塊が好きでも別におかしくないんじゃね?」  なんかめちゃくちゃテキトー言ってる気がする。 「私、包丁が好きなんですよ? 尖り具合とかを見て、ちょっといいなーとか思ったりしちゃうんですよ?」 「人の罵詈雑言も、まあまあ鋭利だよ。罵られるのが好きで興奮するヤツもいるし、そいつらよりは真っ当な気がしなくもない」 「……」  おっと、少し言葉遊びが過ぎただろうか。沙耶が返しに困っている。 「まあ、少し大げさな話かもしれないけどさ。俺から見たら『これが好き』とか『これが楽しい』とか、そういう気持ちを強く持ってる人らは……なんか、こう、みんな輝いてるように見えるんだよ。自分を強く持ってる、って感じがして。少しだけ、眩しく見えるんだ」  レール上の人生をひたすらに、ただまっすぐに歩んできた俺には、きっと確固たる自分の意思が存在していない。そんなものは、レールを進む過程では邪魔にしかならなかった。思い通りの人生なんて歩めないのだから、自分の意思を持ったところで虚しくなるだけだった。  故に、俺は思う。もしかしたら自分の心の底はひどく冷えているのではないか、と。もしかしたら自分は何事にも無頓着で、つまらない人間なのではないか、と。  俺は何かを好ましく思うというのが、どういう気持ちなのか分からないのだ。何かに胸を震わせたり、夢中になって瞳を輝かせた経験が俺には無い。  ──だからこそ誰かが何かを強く思う心というのは、たとえそれがどんなに些細なものであっても、俺にとっては尊い光に見える。 「ふふ、大河さんって器が大きいんですね。人が変な趣味を持ってたら、笑ったりバカにしてきたりして、受け入れてくれない人も多いのに」 「はっはっは、それは過大評価というものだよ」  器が大きい、というよりは中身が無い、と言った方が正しいだろう。からっぽだから何でも受け入れられるのだ。俺にあるのはせいぜい、見栄と反骨心で塗り固められたプライドくらいのものだろう。 「大河さんは今、何か好きなものはないんですか?」 「え? どしたの、急に」 「いや、なんとなく気になっちゃって。そういえば大河さんとこういう話する機会なかったーって」 「な、なるほど」  まあ一つ屋根の下に6人も居るからな。確かにこうしてゆっくり話せる機会は貴重だ。だから俺も、柄にもなくデートウィークなんてものをやろうと思ったわけだし。 「ふふ、おかしいですよね。今更こんな、なんでもないような話をするなんて。『何が好きか』なんて、初めて会った時に話すようなことなのに」 「出会い方が普通じゃなかったからな……」  加えて、距離感の詰め方も普通じゃなかった。最近はそれなりに5人とも落ち着いてきて、なんだかんだで上手くやれているが、とにかく最初は戸惑ってばかりだった。 「それで? 大河さんって何が好きなんです?」 「うーん、なんなんだろうな」  一応漫画は好きだが、のめりこんで一日中読むほど好きか、と言われると別にそうでもない。他には……ダメだ。パっと思いつかない。  だがしかし、何も答えないというのも無粋というものだろう。 「沙耶が作る料理は好きだよ」  ここは日頃の感謝も込めて、こう答えておくとしよう。 「……へ!? ちょ、ちょっと大河さんったら、もう! いきなりそんなこと言われたら照れますよ……」  案外不意打ちだったのだろうか。沙耶は両手で頬を抑えて「えへへ……」と顔を綻ばせている。 「はは、喜びすぎだって」 「だ、だって、本当に嬉しかったから……!」 「はは。だったら、俺も少し嬉しいかな」  魔女の家。騙し合いの祭場。そんな、ニセモノとホンモノが交錯し合う場所で暮らす俺たちは皆、それぞれ言えない想いを抱えていて。確実なものなんて、なにひとつ無いのかもしれないけれど。  それでも、きっと互いに伝えるべきことはあって。魔女がどうとかそんなの関係なく、言わなきゃいけないことってのは確かにあるはずで。  だから── 「沙耶、いつも美味いメシを作ってくれてありがとう」  いつも温かくて、どこかやさしさのある料理を振る舞ってくれる彼女には感謝を伝えなきゃいけない、と。不意に、そう思った。 「私、本当に嬉しいです。大河さんたちと暮らす前までは、私にとって料理は趣味じゃなくて義務でしたから。そんな風に言ってもらえることなんて、無かったんです」  微かに笑みを浮かべたまま。遠くを見やるような表情を浮かべつつ、沙耶は言葉を続ける。 「私、弟が3人居るんです。だから実家で暮らしてる時は、それはもういっぱいご飯を作らなきゃいけなくて。高校生になってからは、よく母と一緒に台所に立って料理をしてました」  なるほど。沙耶の料理の腕のルーツは家庭環境から来ているわけか。 「一応、料理はその時から好きでした。でも、弟たちはなかなか『おいしい』って言ってくれなかったんです。弟たちの思春期とか反抗期が重なってたのもあって、食事中はテレビの音しか流れてなくて。だから……」 「料理に義務感があったってことか」  肯定の意味を込めて、沙耶がコクリと頷く。 「でも、なんだか最近は料理が楽しくなってきたんです。大河さんも、リサちゃんも、舞華ちゃんも、凪沙ちゃんも、千春ちゃんも……みんな、おいしそうに私のご飯を食べてくれるから嬉しいんです。ふふ、だから最近は料理がもっと好きになっちゃいました」  はにかみながら言うと、沙耶は眼前に陳列されているフライパンを1つ手に取った。 「それが欲しいの?」 「はい! 持ち手の感触がなんかイイ感じなので、この子にしようと思います!」 「お、おう、そうか」  フライパンをこの子と呼ぶのか……やはり俺には理解できない趣味だな。 「あー、早くコレ使って料理してみたいなー!」  はは。でも料理と道具が好きだってのは紛れもない本心みたいだ。  それが分かっただけでも、今日は一歩前進。これまで知らなかった沙耶の一面を見られたってことで、今日は良しとしよう。日進月歩。今後も焦らずに彼女たちへの理解を深めるとしよう。  さて。買うものが決まったとなれば、あとは会計だ。ここはスマートに、デートのセオリーに従うとするか。 「よし。じゃあ、そのフライパン代は俺が払うよ。これからも美味しい料理作ってほしいし、俺から沙耶のプレゼントってことで」 「え? いいんですか!? ありがとうございます!! 嬉しいです……!!」  普段とは少し違った、とある休日の一幕。目の前のフライパンの金属面を見やると、そこには満足げに微笑む彼女が映っていて。  その光景は"商品を選び取る"という誰もが経験するような、何気ない選択なのだけれど。彼女の清々しい表情を目に焼きつけた俺の脳裏には1つ、無視できない疑問が浮上し始める。  ──もし俺が4人の中から誰かを選択したとしたら。その時の俺は、今目の前にいる彼女のように笑えているのだろうか?
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