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──音崎千春はこの生活を長引かせるつもりはなく、むしろ早急に結末迎えることを望んでいる。
あくまで推測で、明確な根拠も持ち合わせていない。しかし、彼女がわざわざ俺に決断を急かすような問いかけを投げかけてきた理由は、それ以外に考えられなかった。
「ふふ、半分正解で半分ハズレ、ってところかな」
ホットココアをストローでくるくるとかき混ぜつつ、微かに笑みを浮かべながらチラリとこちらを見やる彼女。
「半分ハズレっていうのは?」
「うーん、なんていうかな。私、別に早くシェアハウスを終わらせたいって思ってるわけじゃないんだよね。衣食住は充実してるし、みんなと一緒に居るのも楽しいし。もし、この生活が終わるってなったら、それなりに……いや、結構寂しくなっちゃうんじゃないかなって思う。はは、もしかしたら泣いちゃうかも」
時折ストローでココアを吸い込み、喉を潤おわせながら、彼女は語り続ける。
「そしてなにより、さ。私、やっぱり大河くんと一緒に居る時間が好きなの」
「は、はへっ!?」
「ふふ、驚き過ぎ。今のは告白とか、そういうんじゃないよ? 恋愛対象かどうかとかは一旦置いといて、一人の人間としての私からの評価みたいなものだから。私としてもさすがにルール違反で終わらせるつもりはないからね?」
「……あ、え、うん、はい、あ、そうですよね」
ブッ壊れたラジオのごとく言葉を捻りだしつつ、瞬時に高揚した心を無理やり正気に戻す。告白即アウトとかいうややこしいルールがあるので、いきなり紛らわしい言葉を使うのは本当にやめてほしいものだ。まあ、勝手に勘違いしかけたのは俺の方なのだが。
「ねぇ、大河くん? 実はね、私、今日最初の方はめっちゃ緊張してたんだよ? デートなんて全然したことないし、バッチリ女の子らしい格好したのも久しぶりだったし、話すのもあんまり得意じゃないし。話せることと言えば星のことくらいで、私とデートしても楽しくないんじゃないかな、って。楽しみ半分、不安半分だった」
「な、なるほど?」
確かに朝会った時は、少し様子がおかしかった気はする。しかし、それを今伝える意図は一体何なのだろうか。
「緊張してた。不安だった。君の顔色が曇っていないか、ずっと気になってた。でもね? 映画館に向かって大河くんと一緒に歩いてるうちに……ちょっとずつ、そういうモヤモヤみたいなのがなくなってたの。ねぇ、なんでだと思う?」
「えっと……なんで?」
情けなく聞き返しつつ、優しく微笑んでいる彼女を見つめ返す。
「ふふ、それはね? 大河くんも私と一緒だったから」
「俺と千春さんが一緒……?」
「そう、一緒。大河くんも私と同じくらい緊張してて、どう話せばいいかとか必死に考えてるんだろうなーっていうのが、顔を見ててなんとなく分かったの。この店に入ってからも、そう。会話が途切れたら、なにか話題が無いかなーって必死に考えてたでしょ? ふふ、眉間のシワすごかったよ?」
「……め、目にゴミが入ってただけだよ。かゆかったんだ」
「ふふ、そういうことにしといてあげる」
こちらの心理など、既に全てバレていた。なんだか恥ずかしくなったので苦し紛れに言い訳をしてみたが、おそらくコレもバレているのだろう。からかうようなニヤニヤ顔で見つめられている。
「それでね? 緊張しながらも私を気遣って歩幅を合わせてくれたり、会話が途切れないように頑張ってる大河くんを見てたら、映画館に着くころには緊張が解けてたの。そして席に着いたら、君のことを考える余裕も出てきてさ。プラネタリウムが始まる前に私なりに、君への印象を整理してたの」
淡々と。それでいて穏やかに、彼女は言葉を紡ぎ続ける。
「私は大河くんと居るのが心地良くて、安心できて。君はプライドが高くて自我が強いように見えるけれど、きっと考えているのはいつも自分以外の誰かのことで。ポンコツで全然ダメな私のことも、ちゃんと見てくれてて。考えすぎてリサと喧嘩しちゃうくらい、自分以外の誰かのことを思っていて。だから……私は時々、私たちを見て辛そうな顔をしてしまう君を見ると、心が痛んでしまうの。疑う辛さに抗っている大河くんを見るのが……私は、とっても辛い」
「……」
彼女の立場は魔女候補。それを考えれば、ここは『正体を明かしていないくせに、どの口が言っているんだ』と反論するのが正しいのかもしれない。そう思ってしまうくらいに、彼女の『辛い』という言葉は、その立場と矛盾している。
──けれど、その表情があまりに悲痛で、儚くて。感情の整理がつかずにワケが分からなくなった俺は、返す言葉を見つけられなかった。
「たしかに、みんなと居るのは楽しいよ」
気づけば窓の外は闇に染まり、閉店間際の時間。それに気づいたからなのだろうか。千春さんはストローを使わずに一気にココアを飲み干すと、一言、そう告げてから立ち上がった。
「6人で居るのは楽しいよ。みんなと居られる今の生活が、私は好き。できれば長く続けばいいなって思ってる。終わらせたいなんて、思ってないよ。思うわけない」
さらに一言続けると、彼女は座席に置いていたポーチを手に取ってレジの方角へと一歩踏み出し、未だ座りっぱなしの俺に背を向けた。
──その、瞬間。
「でも……ずっと今のままだったら、そのうち大河くんが壊れちゃうよ。だから私は、できれば早いうちに選んでほしいと思ってる。それが大河くんにとって、一番だと思うから」
終わらせたくはない。けれど早く決着をつけてほしい、と。物静かな彼女らしからぬ強くて確固たる意志を、背中越しに伝えてきたのだ。
「……あ、ちょっと待って、千春さん。俺も全部飲まないと」
数秒の沈黙の後、未だ自分のコーヒーが手つかずであることに今更ながら気づく。注文した品を全く飲まないのも店側に失礼な話なので、俺はグラスを手に取って一気にコーヒーを流し込んだ。
「よし、ごちそうさま。じゃ、レジ行こうか。ここは俺の奢りってことでいい?」
「え? あ、うん、ありがとう。ゴチになっちゃおうかな」
「おっけー、じゃあ、帰ろうか」
そして、勘定の話し合いも無事済ませた俺は、彼女の隣に並び立ってレジへと歩みを進める。
「……誰を選んでほしいか、までは言わないんだね」
「そりゃあ、そうだよ。ここで『私を選んでほしい』なんて言ったら、告白になっちゃうでしょ?」
「ま、まあ、それもそうだね。でも……分かったよ。さっきの千春さんの言葉は、今後も頭の片隅に置いておくことにする」
「ありがとう。そうしてくれると、私も嬉しいかな」
思いを交わし、言葉を交わした喫茶店。ピリピリと舌に残るブラックコーヒーの味は、なぜか想像していたより何倍も苦くて。
この時、お子様舌な俺は『ああ、一本分くらいはシュガーを入れておけば良かったな』と、少しだけ後悔をした。
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