第五章「わたしのホンモノ」

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第五章「わたしのホンモノ」

 ──懐かしい夢を見た。  日が落ちてから幾分か経った砂浜にて、幼少期の自分がポツンと1人で立ち尽くしている。辺りに街灯は見当たらず、目に入る光景はまるで電源がプツリと切れてしまったゲーム画面のように、ただただ真っ暗だ。 【御曹司。もう“あの場所”に行ってはなりませんよ】  『どれだけの間、こうして突っ立っていただろうか』と、正気に戻りかけた刹那。不意に、執事の忠告が少年の脳裏を(よぎ)った。  そうか。思い出した。この時、俺は『海に行ってはならない』という忠告を破ってまで、“彼女”に会いに来たんだ。  ああ、でも──きっと俺は、ついぞ彼女には会えなかった。 「はぁ……ちゃんと“さよなら”って言いたかったなぁ……」  外面も余計なプライドも持たない少年の唇が、小さく動く。闇に包まれた視界の中で静かに響き渡る波の音は、『少年が一人である』という事実を無情に告げていた。 「あ、雨だ……」  ゴロゴロ、と。まるで心模様を律儀に表すかのように、雷音が轟いた。続いて間髪を開けず、夏夜の空から豪雨が襲い掛かかる。 「はは、ちょうどいいや……」  もうじき、帰らないといけない。だから、ちょうどよかった。  もうここに来ることは無い。だから、都合がよかった。  ──もう二度と会えない。そう気づいて溢れ出す、この涙を雨で洗い流せるから。頬に打ち付ける雨の雫は、痛いくらいに心地よかった。 「あれ、でもなんで泣いてるんだろうなぁ……」  そして、無意識の内に流れ出した涙の理由を考えた時。 「……ああ、そっか」  ──俺は、ようやく気づくのだ。 「俺、■■のことが好きだったんだ」  それはもう二度と取り戻せない初恋だということに。  あまりに遅いタイミングで、俺は気づいてしまったのだ。 ◆ 「ん……寝てたな……」  突っ伏していた机上から頭を上げて、周囲を見回す。状況確認。 「えー、つまりここは逆行列を左から掛ければいいわけです。文系の皆さんには、ちと難しい作業かもしれませんが、ここから先の計算はこの逆行列を掛けたものを──」  現在地、改修したてのピカピカ教室。十数メートル先には、小太りの教授。そして、ド真ん中の席を占領中の岩崎。 「はは、やっと起きたねぇ」  そして隣には、ニヤニヤと俺の顔を覗き込む腐れ縁の外道、と。  なるほど。どうやら俺は新学期初日の講義で爆睡をキメていたらしい。 「えー、では今回はここまで。来週はさらに難しくなるので、軽く復習しておくように」  というか、熟睡中に講義が終わってしまっていたらしい。 ◆  2限終了後。場所は変わって、大学内の食堂。 「いやー、しかし大河くんが講義中に寝るなんて珍しいねぇ。こりゃあ今日は大雨かな?」  そう言ってズルズルとラーメンを啜りつつ、テーブル越しにこちらを見やるのは、白髪碧眼の美形男子。なお、「美」という漢字に「腐」という漢字はミスマッチであるが、コイツとは決して友人関係などではなく、ただの腐れ縁である。  名は、秋山シオン。ちなみにカタカナが入っているのは別にキラキラネームとかではなく、単にコイツがイギリス混じりのクォーターだからというだけの話である。 「……別に、俺もたまには大学生らしく授業中に仮眠取ってもいいだろ」 「ふっふっふ。誤魔化さなくてもいいのだよ、大河くん。さては昨日、眠れないような何かがあったのだろう? ええ? そうなのだろう?」 「はぁ、なんというか……相変わらず声もテンションも高いんだな、お前は。つーかラーメン伸びるぞ。さっさと食え」 「んっもうっ! 大河くんったら! そんなに褒められたら、またボクのテンションが上がっちゃうじゃないかっ!!」 「いや誰も褒めてねぇっつの」  と、このように。俺とシオンの相性は、とても良いと言えるようなものではない。  ガキの頃から一緒に居るから、その流れで一緒に居るだけ。もはや家族のような距離感だから、一緒に居ても苦痛は無いだけ。俺がコイツと行動を共にする理由なんて、それくらいのものである。  ──もしコイツが爺の孫なんかじゃなかったら、俺はこんな目立ちまくる美形野郎と関わり合いになんてなるわけがない。 「なあ、シオン? 俺は今までお前のせいで、過剰に苦労してきたとは思わないか?」 「ん、急にどうしたんだい? ボクのせいで苦労? はっはっは、またまたご冗談を」 「いや、1ミリも冗談なんて言ってないんだけどな?」  爺に命じられて俺の生活サポートのために行動を共にするようになった付き人……というのが秋山シオンという人間であるのだが、むしろ俺は今までコイツのせいで散々な目に遭ってきた。 「俺経由でお前にラブレター渡そうとする女子が今まで何人居たと思ってんだ。それだけで十分な苦労だっつの」 「えー? でもそれ別にボクが悪いってわけでもないんじゃない?」  ちなみにラブレターを渡してきたのは女子だけではない。シオンの華奢な体格と中性的な顔立ちに性癖をブッ壊され、血迷って俺にラブレターを渡してきた男子も数人居る。この男、声の高さも幼少期から全く変わっていないため、服装次第では性別の見分けがつかなくなるのだ。そのせいか、高校時代は俺にホ〇疑惑を抱いているヤツも居た。  本当に迷惑以外の何物でもない話だったよ、まったく。俺の性癖はノーマルなんだ。別にお前の綺麗な首筋なんて見ていない。 「……まあ、過去の苦労は水に流しといてやるよ。それよりも俺は、どーーしてもお前に言わなきゃならんことがある」 「ん? なんだい? 藪からスティックに」  そして、許すかどうかはともかく。一度過去の厄介事を捨て置いた俺は、現在進行形で被っている厄介事の原因であるコイツに1つ、尋ねてみることにした。 「なあ、シオン? お前、魔女ハウスのこと事前に知ってただろ?」  同窓会で浴びるほど酒を飲ませてきたコイツには、どうしてもその辺の事実確認をする必要があったのだ。
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