冷たいうねり

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 国道沿いのコンビニは無機質な光を放っている。車から窓越しに見る夜明け前のアスファルトは昼間より冷えているように見える。  コンビニ前の(のぼり)がはたはたとなびく。  十一月も半ばになると冬が冷たい風と一緒に駆け足で寄ってくる気がする。  車内の暖房を上げ、何度も聴いたCarpentersの代表曲を選ぶ。ハミングしながら、自分が浮かれている事に気付く。コンビニの横の脇道から、タイツを履いたショートパンツの女が見え、手を振った。キサちゃんは足を早め、助手席側に来た。 「おはよう、乗って」 「おはようございます」  緊張と警戒が混じった声。嫌だったら来なければいいのに、と思うが、口には出さない。 「あ、Carpenters、私、この曲好きです。中学生の時、音楽の教科書に載ってました」 「そう。音量上げようか」 「はい」  キサちゃんがシートベルトをしたのを確認して、車を発進させた。 「海、ですか?」 「そう、海」  彼女は窓に向いて、海、と小さく言葉を反芻した。 「……トキさん、お仕事、忙しいですか?」 「仕事? 忙しいよ。中核病院だから、手術の件数も多い。整形は腰が痛いとか膝が痛いとか、結構気軽に行ける」 「整形……、気軽ですか?」 「え、気軽じゃない? ほら、風邪引いたら、内科でしょ? 怪我したら、整形。ちょっと頭が痛くて、すぐに脳外科受診する人は少ないと思うよ」 「ああ、確かにそうですね。でも、ガソリンスタンドと本屋の方が気軽だと思います」 「……そうだね。確かに。本屋の方が気軽だ。毎日仕事で病院に行くと怪我や病気が当たり前になるから、感覚がマヒするよね」 「マヒしてるんですか?」 「……どうだろうね」  短く答えるとキサちゃんは俺をちらっと見た。しかし、言葉は何もない。  取り繕うように言葉を選ぶ。 「キサちゃんはどう? あかつき書店は忙しい?」 「……今、うちの書店で写真入りの詩集コーナーを平積みしてます」  肩から斜めに掛けた黒いボディバックに彼女は手を伸ばした。 「これなんですけど」  文庫本サイズの写真集。本はカバーもされておらず、縁は少し擦れてめくれている。表紙は空の写真で、明日へ、とタイトルが表記されている。陽の光が入道雲に陰影を与えた爽やかな写真だ。 「へぇ、手軽な写真集。持ち運びもしやすい」 「軽いです。薄いし」 「ほんとだ。こんな本を書店はおすすめしてるんだね」  信号待ちで車を停め、写真集を受け取った。意外と年季がはいっており、背表紙は柔らかくなっていた。 「本ってなんども読み込むと柔らかくなるよね」 「はい、ブックカバーを付けていても、折り目とか陽に焼けたりしますよね。私はその時間経った本が好きです。新品の紙の匂いも好きです」  本を返し、車を発進させる。  辺りは暗いが東の空がほのかに明かりを帯びてきた。 「ああ、俺も新書の匂い好きだな。学生の時、教科書配られたら、インクと紙の匂いを嗅いでた」 「……トキさんもですか? 私もしてました」 「あ、また一緒? ミートゥー」  キサちゃんは、ふっと緊張の糸を緩めたように笑った。 「お医者さんなのに、英語、下手ですね」 「医者のみんながみんな頭良くて、英語が出来る訳じゃないよ」 「そうですね。ガソリンスタンドで働いても、みんながみんな、車やバイクを持ってるわけないですよね」 「そうそう。本屋に勤めていても、本が好きじゃない人もいるからね。あ、もう着くよ」  速度を落とし、車道から歩道を通る際、小さな段差で車体が波打った。  車を停めて上着をはおり、海岸線に向かう。もう水平線は白みがかっていた。 「あ、陽が昇るね」 「今日も先週と同じ靴を履いてますよ」 「あ、ほんとだ、よく見てるね」 「砂入りますよ? 波打ち際いきますか?」 「うん、行く」  白いタイルで整えられた沿岸は階段になっており、そこを三段降りると砂浜が続く。防波堤は湾を取り囲むように建造され、満潮時にはタイルまで海水が押し寄せる。引き潮の今は砂浜を散歩できるスペースがあり、ペットボトルや流木が散乱している。  一列に並び、キサちゃんは俺の三歩程度後ろを着いて来る。  控えめなのは言動の節々に現れている。 「キサちゃんは海、好きなの?」  振り返って、問うと、拙い笑顔を浮かべた。 「海……」  視線を俺からゆっくりと外し、海に向けた。 「うん、聞いてなかった、と思って」 「そうですね、聞かれませんでしたね」 「最初に誘った時に聞くべきだったな、ごめん。まぁ、この町の人間なら海で遊んで大きくなるし、嫌いじゃないだろうって忖度(そんたく)が入った」 「この町の人間……」 「どしたの?」 「いえ、忖度って……、政治家みたいですね」 「あ、話を逸らしたね。で、どうなの?」  キサちゃんは俺を見て、小さく息を吐いた。 「そうですね。……海、嫌いじゃないです」  ぎこちない笑顔の目は少しも光を通さずに、深い闇を湛えていた。彼女は右手を握り、軽く揺らしている。  嘘が下手な女。  隠せていると思っているのだろうか。 「……なら、良かった。何度でも連れてくるよ」  焦らなくてもいい、暴かなくても人は小さな綻びから本音が零れる生き物だ。辻褄が合わなくなるまで、嘘に合わせて浮かび続ければいい。 「はい。早起きは苦手なので、トキさんに誘って貰えると練習になります」 「いい社会人なのに、早起きの練習って」 「本当ですよ。私、新聞配達の仕事はできませんから」 「新聞配達か、なるほどね。早起きが苦手な人には難しい」 「ですよね。でも、義兄(あに)はーーー、得意だったんです。早起き」 「俺もそこまで苦手ではないな。お兄さんと一緒で、体質的には向いてるかも」 「……そう、ですか」 「……お兄さん、何で亡くなったの?」 「知りたいですか?」 「知りたいね」  わずか時間稼ぎのようなため息を吐き、彼女は俺を見た。 「……殺されました」  暗く重い、闇を孕んだ瞳。  俺が、どうしようもなく呑み込まれてしまいそうになった、黒。 「……え?」  聞こえていたけれど、聞き返さずにはいられなかった。 「私が、義兄(あに)を、殺しました」
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