お月様のたんぽぽ畑

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お月様のたんぽぽ畑

豊かに新緑の葉を茂らせた大きな木の幹にもたれて、うさぎの子は遠くの空に冴え冴えと君臨する月を見上げます。 遠くて、とても手は届かない。 飛び跳ねてみても、木の上にさえ、届かない。 あれが、いつかぼくの行くところ。 もう会えないうさぎさんたちが暮らしているところ。 おねえちゃんが、お出かけしているところ。 おねえちゃん。 おねえちゃんに、会いたいな。 うさぎの子の青い目から絶え間なく雫が溢れて、止まらなくなりました。 そのとき、木のそばにある草むらが、風になびいてゆらりとゆれました。 あの草むらで、蝉の声に合わせておねえさんうさぎとぴょんぴょん跳ねた夏の思い出が、鮮やかによみがえってきて、後から後から、大粒の涙が流れていきます。 大好きだった親戚のおねえさんうさぎが、ある雪の日に突然いなくなってしまったのです。 それが悲しくて悲しくて、寂しくて仕方がなくて、辺り一面まっしろに覆われた冬の間中、泣いて暮らしていたものですから、うさぎの子のきらきらの宝石で作られたような赤い目は、いつしか青くて冷たい涙の色に変わってしまいました。 そんなうさぎの子の目を見ると、おとうさんうさぎとおかあさんうさぎは、きっと冬の雪が反射して青く光って見えてしまうだけだよと言い合って、なんとか気のせいなのだと思い込もうとしました。 けれども、暖かくてぽかぽかした明るい春が訪れても、うさぎの子の目の色は悲しい湖面のように青いまま。 両親はその翳りを帯びた青い目を見るたび、悲しみの水底に沈んだ子どものことを哀れに思い、そろってぺたん、と長い耳を寂しげに垂らしてしまいます。 ふたりは、子どもをこれ以上悲しませたくないと思いました。辛い現実だけれど、あのおねえさんうさぎにはもう会えないのだと伝えなくてはなりません。ふたりは決心して、うなずき合いました。 ある日が高く登っ真昼時、ねぐらにしている巨木の幹にひっそりと空いた洞穴の中で、おかあさんうさぎが子どもに優しく語りかけます。まるで寝物語に絵本を読むように、さらりと軽い口調を心がけて。湿っぽく重苦しくならないように話すのは、とても難しいことでした。 「会えなくなってしまったうさぎさんたちはみんな、お空にぽっかり浮かぶお月様へと出かけて行って、そこがあんまり素敵な場所だから、そのまま居着いて幸せに暮らすのよ」と。 うさぎの子は首を傾げました。 「お空のお月様?」 「そうよ。いつも見ているあのお月様にいるの」 「でも、あんなに遠いよ。ぼくもお月様に行きたい。おねえちゃんに、会いたいよ」 「そうね、けれどね。あそこは……特別な場所なの」 「とくべつ?」 「選ばれたうさぎさんだけがお月様に出かけていくの。順番なのよ」 「順番……じゃあ、いつかぼくもお月様に行けるの?」 「ええ、ずっと先のことだけれど。誰でもみんな、いつか必ず行くところなのよ」 「ずっと、先のことだけど、ぼくも絶対に行けるの?」 「もちろんよ。あなたがお月様に行くまで、きっとおねえさんはお月様から見守ってくれているわ。だからね、なんにも寂しいことはないのよ」 「そっかあ……」 お昼におかあさんうさぎが教えてくれたことを考えながら、うさぎの子は幹にもたれてお月様を眺めつづけます。 金色に輝く魅力的なお月様を見上げながら、おねえさんうさぎと駆け回った草原に思いを馳せていると、あっという間に時間が過ぎ去ってしまいます。 夜の闇が濃くなるにつれ夜風が冷たくなってきたので、おとうさんうさぎがねぐらから出てきて、もう寝るようにとうながしました。 うさぎの子はうなずいて、もう一度黄金のお月様をまんまるの青い目で見上げました。じいっと見つめているうちに、おねえさんうさぎが微笑んでいるような気がしました。 「おやすみなさい、おねえちゃん」 小さく呟いて、うさぎの子はねぐらに入っていきます。その背中を、おとうさんうさぎはしょんぼりしながら見つめていました。 ねぐらで、おとうさんうさぎとおかあさんうさぎの真ん中で眠ります。両隣に温かみを感じて気持ちがいい寝床です。 おねえさんうさぎがお月様にお出かけをしていて、もうずっとずっと先にならないと会えないというのは、泣いてしまうほどショックなお知らせでしたけれど。でも、いつかは会えるのです。 お月様は楽しくて、綺麗なところかな。 おねえちゃんはたんぽぽが大好きだったから、お月様にたんぽぽがたくさんあるといいな。 暗い洞穴の中で、うさぎの子は優しい優しい夢を見ました。 幸せなお月様の風景と、そこで暮らしているおねえさんうさぎの夢です。 お月様には、一面のたんぽぽ畑が広がっています。土はふわふわしていて、駆け抜けるたびに四つの足が気持ちよくて、石につまずいて怪我をしてしまう心配もありません。うさぎの子の住んでいるところと同じで、ぽかぽか陽気の春です。 たくさんのたんぽぽが咲き乱れるお月様の上を、楽しそうに跳ね回るうさぎさんが見えました。しっぽが上がっていて、とても幸せそうにたんぽぽ畑をひとり占めしているのは、あのおねえさんうさぎです。満足するまで走った後には、天敵のいないのどかな黄色のお布団に、のんびりお昼寝をしています。 日が暮れ始めると、遠くからたくさんのうさぎさんがやってきました。うとうとしていたおねえさんうさぎは彼らに気が付くと、嬉しそうに跳ねて駆け寄っていきます。きっと、お月様でできたお友達なのでしょう。めいめい好きな場所で過ごしていたうさぎさんたちは、夜が来る前に心地よいねぐらへとみんなで帰るのです。 うさぎたちが、駆けていく。駆けていく。 もうみんな見えなくなって、あとにはたんぽぽ畑だけが涼しげな風にゆらゆらとゆれています。 おや、なんでしょうか。遠くから、ひとつの影が近づいてきます。 おねえさんうさぎです。 たったひとりで、戻ってきたようです。 おねえさんうさぎは、穏やかな笑顔を向けて、言いました。 「わたしはお月様で楽しくやってるよ。あなたも、そっちで楽しくね。またいつか、虹の橋で会いましょう」 優しい綿雲のようなおねえさんうさぎのやわらかい声が風に乗って、遥か遠くに眠るうさぎの子の長い耳にも、届いたような気がしました。 そう言い終えると、おねえさんうさぎは安心したようにゆっくりと背を向けて、また遠くに向かって駆けていきました。 今度はいつまで待っても、戻ってくることはありませんでした。 たんぽぽ畑が、そよそよとゆれていました。 ああ、そうか。 お月様には、おねえちゃんが大好きなたんぽぽがたくさん生えているから、あんなに綺麗な黄色をしているんだね。 夢見心地のふわふわした意識の中で、うさぎの子はぼんやりと思い、さらに深く心地の良い眠りへと沈んでいきました。 夜が更けていきます。ゆっくりと明日の朝に向かって沈んでいくお月様の清浄な光の筋が、洞穴を照らします。 月光の毛布に抱かれながら、うさぎの子は両親のふわふわの毛並みにうずもれて、幸せな一夜の夢にふにゃふにゃと笑いました。 翌朝、うさぎの親子は木の枝に止まった愛らしい小鳥の歌声で目を覚ましました。 おはよう、とぼんやりと目を開けたうさぎの子を見て、両親はまあ!とか、わあ!とか嬉しそうな声を上げました。 昨晩まで悲しみの海に溺れたような青い目をしていたうさぎの子の目の色は、太陽みたいに燦燦と輝く、明るい真っ赤なルビー色に戻っていたのです。 うさぎの子は自慢の宝石のような赤い目で、嬉しそうなふたりを見て不思議そうに首を傾げました。 終
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