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「ねえカンタさん。今日は大事なお話をしたいなって思うの。いいかな?」  急に馴れ馴れしくなるカズコさん。それに「もちろん、いいですよ」と頷く、デレデレしたカンタさん。これは、もしかして新手のパパ活だろうか。いや、おじいさんだからジジ活だろうか。混沌としてきた俺の精神をよそに、女の方が話を始める。 「ありがとう。突然だけどカンタさんって何年か前に妻を亡くされているんですよね?」  これは随分と踏み込んだ話をするものだ。せっかくの晴天下の上野がびっくりしてしまいそうだ。 「ええ。そうですね。妻は二年前に癌で亡くなりました。わたしよりも三つも若いのに、先立たれてしまいました」 「それは、辛い経験をされましたね。かわいそうです」  労っているのか、女は沈んだ顔をしておじいさんを見つめた。 「つまり、今はお一人で暮らしているわけですか?」 「はい。今はずっと一人です。息子のケンタにも見捨てられてしまい、娘のナツミは御曹司と結婚したきり音沙汰なしです。だから、わたしは天涯孤独でございます」  そいつはたしかに気の毒なことだ。 「天涯孤独。生活の方は困っていませんか?」 「ええ。今は一人で暮らしていけますから、なんとかなっています。年金生活ですから、贅沢はできませんけど」  おじいさんが渇いた笑いで対応するから、女の方もシュンとした表情を崩すことはない。これは深刻だと言わんばかりに、険しい顔をしている。  もしかして、この人はNPOか何かの団体に属している人間で、孤独な年寄りを助けるために活動しているのではないか? だとしたら、一ミリでも疑ってしまった俺は、彼女に謝るべきかもしれない。 「そうですか。でも、おじいさんみたいな運命を辿る方は実際結構多くて、我が『幸せの水を注ぐ会』の調べによれば、二人に一人は老後に孤独になってしまうらしいです」  我が『幸せの水を注ぐ会』? 日常会話にしてはきな臭いワードだった。噴水が奏でる水の音を意識的に封じて、俺はもう少し会話に集中して聞き耳を立ててみる。 「そうなのですか。それは、残念なことですね」  すると、女がおじいさんの手を取り、真剣な顔をして話し始めた。 「カンタさん、貴方は生涯幸せでありたい。そう願っていると前におっしゃっていました。幸せなまままで命果てたい。そうですよね?」 「はい。その通りでございます」 「わたしもカンタさんには幸せであってほしいです。わたしは今まで、カンタさんみたいな方をたくさん見てきました。みなさん、どこか虚な目をしているようで、悲しくなりました。わたしは、そんな人を救う活動をしています」 「そう、なんですか?」 「はい。そこで、カンタさんに一つご提案があります」  ここで、女が一枚の紙をおじいさんに渡す。 「これは?」 「こちらは、先ほども話に出てきた、『幸せの水を注ぐ会』への入会書です。この団体へ入れば、カンタさんも孤独にならず、一生幸せのまま暮らしていくことができます」 「それは、素晴らしいですね!」  興味をそそられてしまうおじいさん。急ににこやかな表情へと戻る女。  やっぱり、こっち側じゃねえか。俺は心で盛大に突っ込んでしまう。今、目の前で偽善者が偽りの正義を振り回していて、おじいさんはまんまとカモにされそうである。 「ただ、入会料が三十万円で、月に二万円かかってしまいます」 「それは、ちょっと高いですね」  さすがにおじいさんも疑いの目を向けるだろうか。  ただ、この女は俺を「さすが」と唸らせるテクニックを使ってくる。 「しかしです。カンタさん、今ご入会していただければ、入会料が十万円になります!」  必殺、『今だけお得!』。典型的だが、「安い!」と思わせてしまう幻惑め いた大技でもある。 「それは、安いですね!」  予想通り、おじいさんのテンションがみるみる上がっていく。女はこれみよがしに「さらに」と加勢する。 「今なら我が団体で作っている幸せのドリンク。普段なら一本五百円するはずのこちらも、今なら十本無料でお付けします。どうでしょうか、この機会にぜひ会員になってみませんか? ここへ入れば、たくさんの仲間がいます。孤独になることもなく、残りの人生を謳歌することができますよ」  おいおい。あまりに話が急転直下し過ぎているぞ。俺は思わず一人で頭を抱えた。相手は老いぼれた爺さん。『孤独』とか『残りの人生』なんて甘いワードを出されてしまったら、のこのこと付いていってしまうに決まっているだろう。言い方は悪いが、俺は弱い者いじめは嫌いだ。人生の最期くらい、そっとしておけよと心から思ってしまう。 「はい、ぜひ入ります。入って、カズコさんともっとお話もしたいです。お友達も作りたいです」 「ありがとうございます! では、正式に契約書を書いていただきますので、場所を移しましょうか」  また、一人のおじいさんが犠牲になっていく。おめえ、詐欺をする相手間違えているだろう。  はあ。俺は嫌なほどデカいため息をつく。ここはいっちょ、この若造を仕留めるしかないか。  俺は立ち上がり、二人の方へ近づいた。
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