それは太陽のような光

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それは太陽のような光

「購買に新商品が出たんだよ」 「ああ、あんバターパンだっけ?」 「一口貰ったけど、すごくおいしかったよ」 ヒロの部活が終わり、夕日を背に下校をする。ボクらの前には二つの影が寄り添うように肩を並べ、しっかりと手をつないでいる。 「今度、買ってみようかな」 「昼の購買混んでるし、パンはすぐに完売しちゃうよ」 「それでもいいもん。買えなかったら食堂で買えばいいし」 まったく、ヒロは心配性なんだから。 ボクが少し混雑したところに行こうとするだけでこんなに心配してくれる。人目が多いほど、悪意を向けられやすいから。それをわかっているからこそ呆れつつも嬉しくて、つないでいる手とは反対の手でカーディガンの余った袖を握って噛みしめる。 今日はカーディガンを忘れてしまってヒロのを貸してもらった。 三分の一ほど隠れたスカートが揺れるたび、ヒロとの体格差を直に教えられているようで胸がドキドキする。ちらりと袖から覗く爪は、今の気持ちを表すかのようにピンク色に染まっている。 「ヒロがどんどん大きくなってく」 年々遠くなっていくヒロの目を見上げる。出会ったときからヒロの方が大きかったけど、最近また身長が伸びている気がする。 「まあ、アカリは昔から小さいからな」 大きな手のひらが頭の上に置かれる。と思えば、二つに結んだボクの長い髪を乱さないようにと優しく撫でられる。この手はもう、ヒロの癖のようなものだ。 昔からヒロはよくボクの頭を撫でる。髪を乱さないように気をつけるのは保育園のときに一回、ボクが怒って泣いたからだ。 「初めて会ったとき、女の子と間違えてたもんね」 「あの見た目をしてたら誰だってそう思うだろ」 ふふっと声を出して笑えば、つむじを軽く指の腹で叩かれる。 「今も昔も可愛いからな」 ボクの頭を包んでいた手は後頭部を滑るように落ちていき、肩を抱き寄せる。甘く溶けた瞳、夕日の色がほんのりと移った頬。見つけた先にある満面の笑みは、初めて会ったときと変わらない。 「ヒロも昔から優しいね」 本当に、ヒロは優しい。 ポカポカと温かくなっていく胸に、ヒロの背中に手を回してシャツを小さく摘まむ。制服が重なるほど近づけば、ほのかに石鹸の香りがしてくる。それを静かに感じていると、懐かしい情景が頭の中に広がっていった。 スカートについた白いフリル、ツインテールを飾るピンクのリボン。クマのぬいぐるみ、着せ替え人形。ボクは生まれたときから可愛いものに囲まれていた。 母はその真ん中にいるアカリを見ては「かわいいね」と微笑む。母は所謂“女の子らしい”をボクに望んだ。そんな母によって構築される二人だけの世界はまるで真綿に包まれているみたいに安心できる。 でも、そんな世界は長くつづかなかった。 母が仕事を再開すると、ボクは保育園に預けられることになった。持ち物はピンクか白色。身につけるのは、スカートにリボンの髪飾り。ボクにとっては当たり前のものばかりだ。 入った当初はまだ馴染めていた。力尽きるまで遊び、昼寝をしておやつを食べる。その中で男の子、女の子なんてものは些細な違いでしかなかった。 ところが、歳を重ねるにつれて「変な子」「男の子なのに」と周りから囁かれるようになった。 始めは大人たちだった。 子どもの送迎で保育園に来た親たちは、ボクの性別を知ると大袈裟に眉を顰める。そして華やかな色で飾られた長い髪の毛からスカートへと鋭い視線で見ると、こそこそと集まって声を潜めて話す。 その集いからはたまにボクの名前が聞こえてくる。何を話しているかまではわからなかったが、向けられる視線や笑い混じりの話し声に無意識に考えないようにしていた。 だが、次第にそんな大人たちの声は子どもたちに伝わり、ゆっくりと侵していった。 「男の子なのにスカートってヘンなの」 「ママがあかりくんはおかしいからあそぶなって言ってた」 毎日、同じような言葉を繰り返し言われる。 子どもは無邪気に人を傷つけ、仲間外れにする。保育園の先生はそれを見つけるたびに叱り、ボクを輪の中に入れようとした。でも、みんなの中で異端と決められたボクの居場所なんてなかった。 本当は、保育園になんて行きたくなかった。できることなら家でお留守番していたかった。でも、言い出そうにも母はいつも忙しそうにしていて、易々とワガママを願うなんてできなかった。 だから、ボクは教室の隅っこで一人、お姫様が出てくる絵本を読んだ。覚えたばかりのひらがなを指でなぞり、物語に出てくるお姫様たちに胸を躍らせた。お姫様は本当に可愛くて、ボクの憧れだった。 ――あの日もそうだ。 みんなが園庭で遊んでいる中、ボクはいつもと同じように棚から絵本を数冊取り出すと、床に並べて今日読む絵本を選ぶ。 これは昨日読んだ。じゃあ、こっちにしようかな。絵本を選ぶのも楽しみの一つだ。 「なまえ、なに?」 そうしていると突然、絵本の上に人影がかかると同時に見知らぬ声が尋ねてきた。 だれ? ボクは驚きに肩を跳ね上がらせると、おそるおそる顔を上げた。すると、そこには見たことのない男の子が目の前に立っていた。 「……み、みしま、あか、り……です」 「あかり、いっしょにあそぼっ!」 男の子はそう言い、小さな右手をボクに差し出す。まっすぐ向けられる眩しすぎる笑みに、ボクはとっさに目を細めた。 「でも、ボク……」 誘ってくれるのは嬉しい。でも、この子もボクを嫌うかもしれない。そう思うと急に怖くなってきて、床にある絵本の表紙に描かれたお姫様に視線を逃がした。 ボク、どうしたら……。ゆっくり考えてみるも答えは一向に出せず、代わりに唇をモゴモゴと動かすばかり。園庭からはそんなボクを急かすかのように楽しそうな声が聞こえてくる。 「もう! いいからいくぞ」 ぐるぐると頭の中が忙しなく回り、目に涙が浮かび始めたとき。男の子が膝に置いていたボクの手を取ると、園庭へとつづくドアへと駆け出した。 ドアを出ると先生に帽子を被せてもらい、靴を履く。そうして外に出る格好を整えて立ち上がれば、自然とまた男の子が手をつないでくれる。その手に引っ張られるまま走ると、男の子がみんなの輪の中に入っていった。 「おれとあかりもいれて」 「えー」 男の子が言った途端、みんなから拒絶の声を上げる。 やっぱり、ボクがいたらダメなんだ……。ボクはそっと後ろに下がる。そのとき、思わず男の子とつながる手に力を入れてしまった。 ボクより少し大きいくらいの男の子の手。母はいつもボクが強く手を握ると、優しく笑いかけて抱きしめてくれる。その合図を無意識に男の子にもしてしまった。 「みんな、そんな意地悪言わないよ」 子どもたちの大声に気づいた先生が近づいてくると、離れようとする子どもたちの背中を軽く押して戻していく。 子どもたちに避けられるようになってから、ボクもみんなから遠ざかるようになった。そんなボクを子どもたちの輪に入れようとあの手この手尽くしてきた先生にとって、またとない好機だ。なんとかみんなで遊ぶ方向に持っていこうとする。 「ひろくんはいいけど……」 「おれ、あそびたくない」 小さく聞こえてくるのは、ボクを拒む言葉ばかり。それが耳を通るたびにチクチクと胸が痛み、どんどんと苦しくなる。ボクは込み上げる涙を我慢しようと俯いたが、瞬きとともに大粒の涙が頬を濡らしていく。 目の前にある水玉模様のスカートも黒のスニーカーも、母が可愛いと選んでくれたもの。 大人しく部屋に戻ろう。そう、男の子の手を離そうとした、そのとき。外れかけた手をぎゅっと握られる。 「おれ、あかりとあそびたい!」 男の子が高らかに宣言する。ぱっと顔を上げれば、見えるのはボクを守るように前に立つ男の子の背中。その背中は誰よりも頼もしい。 「おまえらとはあそばない」 べー、と言うと勢いよく駆け出した。 ボクは必死に男の子を追いかける。頭の中では、さっき呼ばれた自分の名前が反響している。置いて行かれないようにと手を握り直せば、男の子は力いっぱい握り返してくれる。 気づくと、ボクらは園庭の隅まで来ていた。保育園を囲うように植えられた木々の下、ボクはよくここで先生と葉っぱを集めて遊んだ。ひんやりとした空気に頬を撫でられながら速くなった息を整えると、男の子と肩を並べて座る。 二人の間には、結ばれたままの手。 ボクは堰を切ったように声を上げて泣き始めた。さっきの男の子の一言が塞き止めていた蓋を外したみたいだ。こんなボクと遊びたいと言ってくれたことが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 ひくひくと身体を震わせ、もう片方の手で涙を拭う。早く止めないと。困らせちゃうから。そう自分を急かしていると、男の子が自分の袖を伸ばし、ボクの濡れた頬に当てた。 「みんな、ボクのことキライなの」 拭っても拭っても止めどなく溢れる涙に、今まで言えなかった弱音が零れる。 男の子なのにスカート履いてるの変。アカリくんは女の子じゃないから入っちゃダメ。これまで投げられてきた言葉を初めて自分で言ってみる。そうすると、押し隠してきたモヤモヤとした感情が膨れ上がっていく。 ボクが話している間、男の子はずっと相槌を打ちながら頭を撫でてくれた。甘やかされているみたいでくすぐったいが、その優しさのおかげで徐々に涙が引いていく。 「あかりはかわいいよ」 ようやく涙が止まりかけた頃。ボクの目の縁に残る涙を拭うと同時に男の子が呟いた。 そんなこと、母や保育園の先生くらいしか言われたことがない。ボクは目を真ん丸にして男の子の顔をじっと見つめる。男の子は嘘をついていないとすぐにわかるくらい、満面の笑みを浮かべている。 「おれ、あかりとなかよくなりたい」 「でも、ボクといると……」 「おれのなまえは、なかがわひろと。ひろってよんで!」 男の子、ヒロはそう言うとつながった手を上下に振る。最後の涙を拭われると、自然と笑顔になった。それを褒めるようにぽんぽんと頭を撫でられると、気持ちが晴れて温かくなっていくのを感じる。 ボクはヒロともっと一緒にいたくて、たくさん自分の話をした。お姫様が好きなこと。おやつは、おせんべいよりもクッキーやプリンだと嬉しいこと。暗いところは苦手なこと。母に内緒にしてることもヒロにはスラスラと話せた。 ヒロはそのお返しに戦隊ヒーローが好きで、赤が好きで、ピーマンやナスが苦手だと教えてくれる。 目が合うと、二人でふふっと声を出して笑った。ヒロとは話しているだけで楽しくて、できることならずっと二人でいたかった。 でも、どこからかボクとヒロの名前を呼ぶ声が聞こえてくる。 「せんせい、よんでる」 担任の先生が何度もボクの名前を呼んでいる。 行かないと。先生の言うことを聞くと母と約束している。けど、先生のところに行くとヒロとおしゃべりできなくなる。そう思うと、いつもは大人しいワガママが顔を出し始める。 「あかり、いこっ」 ヒロが立ち上がり、ボクの手を引く。行かないといけないのはわかっているけど、ボクは地面にお尻をつけたまま首を横に振る。普段だったら気になるスカートの汚れも今はどうでもよかった。 「あっ、見つけた」 明るい声につられて振り返る。そうすると、隣のクラスの先生が笑って立っていた。その後ろから遅れてボクの担任の先生がやってくる。 「おやつの時間だよ。二人ともお部屋に戻ろう」 見上げると、先生の瞳にボクの顔が映っている。先生を前にして「嫌だ」とは、とてもじゃないけど言えなかった。できるだけゆっくり立ち上がると、悲しくて地面を見つめる。 モゴモゴと唇を動かす。視界の端にヒロと結んだ手があるからまだ泣かないでいられる。 「アカリちゃん?」 担任の先生がボクの前にしゃがみ、心配そうに顔を覗きこむ。駄々をこねるように身体を左右に揺らして小さく抵抗してみるも、差し出される先生の手を拒めず渋々握った。ヒロとは違う、大きくて細い手。 左手をヒロの手、右手を先生の手とつないで歩いていく。とぼとぼと園庭を抜け、部屋に近づいていくと中から賑やかな声が聞こえてくる。 ボクはこの騒がしさが苦手だ。いつもは無視できる寂しさがボクの中で大きくなって、それしか考えられなくなるから。ぐっと締めつける胸の苦しさに、思わず靴を脱ごうとしていた手を止めた。 部屋に入りたくない。ヒロともっと一緒にいたい。そう強く思っているのに一つも言葉にできない。悲しいやら悔しいやら、いろんな感情がごちゃ混ぜになって今にも押し潰されてしまいそう。 ぺったんこにならないように下唇を噛みしめ、おもむろに靴を脱ごうと手を伸ばす。すると突然、誰かに頭を撫でられた。 急いで顔を上げる。そうすれば、さっきまでボクとつないでいた方の手を伸ばし、笑うヒロが立っている。 「あかり、またな」 ちょっと涙で濡れてしまった視界の中にあるヒロの顔に釘付けになる。 ……もしかして、ワガママ言ってもいいのかな? 試しに頭を撫でてくれる優しい手に擦り寄ると、ボクを甘やかすようにもっと撫でてくれる。ボクはおそるおそる深呼吸をすると、ぐっと拳を握りしめた。 「また、あそんでくれる?」 思い切って言うと、何も見えないように力強く瞼を瞑る。 今すぐここから逃げ出したい。やっぱり言わない方がよかったかもしれない。次から次へと出てくる弱音を抑えながらヒロの答えを待とうと口を噤めば、無言でほっぺたを摘ままれる。 「あたりまえだろ」 驚いて目を開ければ、視界いっぱいにヒロの顔が映る。その顔は少し怒っているみたいだ。 「おれたち、ともだちだろ!」 「うん」 「あしたもあそぶぞ!」 ボクを友達ってくれた。明日も遊ぶ約束をしてくれた。胸に突き刺さったヒロの言葉を確かめるように噛みしめると、身体の奥深くから込み上がってくる嬉しさに押し出されて涙が溢れ出てくる。 「っ、ありがとう、ありがとう」 涙でいっぱいになっているはずなのに、瞬きをするたびにヒロの笑顔が目の前に現れる。 「ひろ、だいすき」 抑え切れなくなった歓喜をぶつけるようにヒロに抱きついた。両腕でしっかりと包み、頬を肩に置き。触れていないところがないくらいくっつくと、ヒロからするお日様の匂いで満たされていく。 「おれもすき」 ヒロの穏やかな声が耳を通り過ぎ、胸に落ちる。その瞬間、温かで心地のいい光がボクの心に射しこんでくるのを感じた。 昔のことを思い出していると、いつの間にかボクの家の前まで来ていた。 ボクは肩を抱き寄せるとヒロの腕から抜け出し、一歩前に出る。そうすると急にぽっかりと胸に穴が開いたような、そんな寂しさに襲われる。ヒロと出会ってからというもの、別れるたびにこうなる。 「また明日」 ヒロと目を合わせると、ボクのそんな気持ちがわかっているかのようにヒロが優しく頭を撫でる。 明日も会える、ボクに会ってくれるんだ。貰ったヒロの言葉を噛みしめると、ぎゅっと緊張で縮こまった心が和らいでいく。何十何百と聞いても、ヒロの「また明日」は安心する。 「また、明日」 安らいだ心が満たされていくと、きゅっと温かくてくすぐったい気持ちが顔を出す。好き、大好き、ずっと一緒にいたい。ボクは突き動かされるままにヒロに抱きついた。 「大好き」 ボクの心音とヒロの鼓動が重なる。 いっそのこと、ヒロと一つになれればいいのに。ボクは願うように抱きつく腕に力を入れるとそっとヒロを見上げる。夕日に照らされているからか、いつもよりずっとヒロが輝いて見える。 「俺も大好き」 ヒロは嬉しそうにそう言うと、ボクの唇にゆっくりと唇を落とした。
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