あの頃の思い出

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『マイケルさんはいますか?〜イーストボーンの記憶』➖由香里  第二の故郷を訪ねる番組にもし出ることがあったら(絶対ないけど!)、私はイギリスのイーストボーンに行く。  高校の時、ここでホームステイしたんだ。友達はみんな年寄りの一人暮らしとか老夫婦の家で過ごしていたみたいなんだけど、私だけ絵に描いたようなファミリーに当たって凄く楽しかった。夫婦と小さな子ども3人と犬と猫。イギリスのご飯はまずいって噂だったけど、奥さんはイタリア人だったから毎日美味しいご飯が食べられたし、なぜか旦那さんがスイーツ担当で、食後のデザートまであって最高だった。もちろんミルクティ付き。  夫婦とっても仲が良くて、私にも小さな子どもたちと同じく二人の子どもみたいに接してくれた。休日は友達呼んでもいいよって言ってくれたし。自分の家は友達あまり呼べない家だったから新鮮だった。実際に友達を連れてきた時、ファミリー全員一緒に遊んでくれて、楽しかったし嬉しかったなぁ。  初めての海外だったにも関わらず、ホームシックにはならなくて、彼らとお別れした後にホストファミリーシックになったぐらいだった。 帰国してからはどっぷりイギリスにハマった。ずっと紅茶飲んだり、UKロックばかり聴いてた。  大学生になり、飲み会の後にカラオケに行くのが定番だったけど、邦楽を全く知らなかったから何も歌えなかったよね。みんなが歌ってるのを聞いて覚えた感じ。  大学の卒業旅行はサークルのメンバーとバリ島に行ったんだけど、その前に高校の時一緒にイギリスに留学したりっちゃんと二人でロンドンに行ったんだ。この時の話を詳しくするね。  申し込んでいたのは格安のパックツアーで、ほとんど日程がフリータイムだったから、滞在中の一日はイーストボーンまで行こうと決めたの。スケジュールは私がほとんど決めたね。ロンドン観光も行きたいところは全部詰め込んで、しおりまで作っちゃって。好きなUKロックバンドのジャケット写真が撮られた場所も調べてコースに入れちゃったよ。りっちゃんからしたら何のこっちゃだけどね。まあ、私がこのバンド好きなの知ってたし、CDも貸して聴かせてたからね。  で、いよいよイーストボーン再訪当日。ホテルの朝食時間より早く出発する為、部屋で日本から持ってきたパスタ入りのカップスープをささっと飲んで出発。  どこの駅でどの電車に乗るかはシュミレーションばっちりしてたので、電車に乗り込んだら一安心。後は車窓の景色を眺めながら到着するのを待つだけ。  懐かしい草原。顔が黒い羊の群れ。そして海と白い岸壁。見覚えのある景色だ。イーストボーン駅に到着。  最初に来た時から6年ぐらい経ってるからか、それとも私の記憶がないのか、駅は私のイメージと違っていた。ここからホストファミリーの家まで行けるかなぁ。という心配をよそに、駅から出たら一気にあの時の記憶が蘇った。  張り切りすぎて早朝に出発して、しかもスムーズに乗り換えも出来てしまった。イギリスの電車にしては珍しく遅れもなかったし。そんなわけで到着した時間が予定より早すぎたから、街を散策してみよう。左に向かうと海だ。留学中、学校の帰りに何度も友達と来ていた。留学していた時は冬だったし、この時も冬だった。夏のイーストボーンは知らないけど、どうやらここはリゾート地らしい。日本でいうと熱海みたいな感じかな。  「りっちゃん、どこかで休もうよ。ちょっと疲れた」どこかに開いてるカフェはないか探した。けど、私たちが入れそうな店がなかなか見つからず。目の前にあったフィッシュアンドチップスの店に入ることにした。だけど入り口を間違えてテイクアウェイの方に入ったみたい。   仕方なく袋に入れて渡された商品を持って出た。近くのベンチに座って食べた。そういえば私たちって昔から道端で飲み食いすることが多かったな。これも必然だったのかな。  もちろん全部食べ切れるわけないフィッシュアンドチップスの残りを鞄に入れて、いよいよホストファミリーの家に向かった。  ダーリントンロード。確かこの道にあったはず。でも、私が記憶している家が何度往復してもみつからない。この辺なんだけどな。  「ちょっとピンポン押してみようか」私は呟いた。と同時に門を開けてピンポン押していた。  押したのはいいけど、全然違う人が出てきてしかも言葉通じなかったらどうしよう。逃げるしかないか。でもここで逃げたら国際ピンポンダッシュになってしまう。日英の友好関係が私の大人気ない行為によって損なわれてしまったらどうしよう。日本にも帰れない。イギリスにもいられない。この先どうやって生きて行こうか。  そんなことを考えているうちにドアが開き、やっぱり全然知らない年老いた男性が出てきた。私は逃げないように頑張ってその場に踏みとどまった。  何を言ったかは覚えてないけど、「ここはマイケルさんのお宅ですか?」みたいなことを聞いたような気がする。そしたらラッキーなことに、その人は私のホストファミリーの知り合いだったようで、「引っ越したんだよ。シルバーデイルロードは知ってる?」みたいなことを聞かれ、知らないと答えたら、「じゃあ地図を描いてあげる」と凄く大雑把な地図を描いてくれた。  おじさんと別れて歩き出した途端、りっちゃんが「ごめん、凄い変なタイミングなんだけど泣いてもいい?」と言い出した。そういえば、この旅ではホテルのスタッフやお店の店員さん以外の人と話したことはなかったし、やっぱりこの街の人は優しいって改めて気づいたよね。感動したね。  でもその感動も、おじさんの大雑把な地図で笑いに変わった。目印に描かれていた『グランドホテル』はそういう名前のホテルなのか、それとも文字通り大きなホテルなのか。リゾート地だからホテルがいっぱいあってわかりづらい。  「あったよ! めっちゃデカいホテルだよ! そしてグランドホテルっていう名前だよ!」イギリスの国旗があったから相当立派なホテルなんだろう。私たちは可笑しくなっちゃってお互い支え合わないと崩れ落ちるぐらい笑った。  ツボにハマってしばらく動けなかったけど、ようやく先に進み出した。グランドホテルの脇の道を入るとシルバーデイルロードに出る。この通り沿い……あれかな? またピンポン押してみよう。もう2回目だから慣れたもんだ。  チャイムを鳴らして、出てきた男の子。あ、この子知ってるわ。ジョージだ。と思ったけど、平静を装って、おじさんに書いてもらったメモを見せながら、  「この住所はここで合ってますか?」と尋ねた。「はい」男の子は答える。  「あなたのパパとママはいますか?」  「パパー! ママー!」男の子は両親を呼ぶ。  男の子が怪しげなアジア人の女二人を不思議そうに見つめる。  「名前は?」沈黙に耐えられず、私は男の子に話しかける。  「ジョージ」と答えた瞬間、りっちゃんがわーっ!と声を上げた。  「私たちのこと覚えてる?覚えてないよね。君はあの時3歳だったんだよ。」  「3歳……うーん……」今はきっと9歳ぐらいのジョージは何も覚えてないという顔をしている。  「ハーイ! ユカリ!」マイケルは覚えてた! 出てきていきなり名前を呼ばれた。またもや隣でりっちゃんが、今度は泣いている。  「さあ、入って入って!」と招き入れてくれた。  「アモーレ! お客さんだよ!」マイケルが声をかけてキッチンに私たちを連れて入った。大きな犬が二匹いたので、動物が苦手な私はちょっとびびってたけど、その先に聞こえる優しい声に向かって進んだ。ホストマザーのクラウディアだ。  「こんにちは。あら、泣いてるの?」クラウディアは隣でまた大号泣しているりっちゃんを見て微笑んだ。以前よりふっくらした印象だけど、クラウディアは相変わらず綺麗だな。  ダイニングに案内され、ソファに座るとお手伝いさんがお茶を出してくれた。子どもたちも3人集まってきた。長男のウィリアム、マイケルに似てがっしりした体つきになってる。末っ子のイザベル、あの時はまだ赤ちゃんだった。大きくなって、いかにも外国の女の子っていう感じ。次男のジョージは、まだ9歳ぐらいなのにもう立ち振る舞いが英国紳士だったし。子どもの成長ってすごいな。  留学中の写真も持ってきてくれて、あの頃の思い出話をした。現在、夫婦でB&Bを経営してるみたい。さっきお茶を持ってきたのは、ここのスタッフのようだ。  家の中を案内してくれた。家族のスペース、3部屋の客室、スタッフの部屋。いいなぁ、私もここで住み込みで働きたいな。あー、永住権が欲しい。  私はみんなの様に就活らしいことはやらなかった。教員採用試験の結果は散々で、私学の中高で教員を募集しているところへ試験を受けに行くという感じだった。  この頃は、学園ドラマが次々に放送されていたこともあり、教員志望の人が多かった。私は何か天の邪鬼的なところがあるのか、試験会場へ向かう人の多さに引いてしまい、あれほどの熱意を持っていた教員への夢も諦めそうになっていた。  だけど他に出来ることもないので、あと数年頑張って駄目なら就職しようと決めていた。卒業後は学習塾でバイトする事になっている。  街中でも美術館でもどこでもイギリスには様々な国籍の人が働いている。清掃員でもいいから私もイギリスで働きたいな。  そんなことを考えながらホストファミリーと話をしていた。  日本から持ってきたお土産を渡そうと、鞄を開けてお菓子とカイロをあげた。さっき買ったフィッシュアンドチップスが入った紙袋が入っていたことを忘れてたけど、それはちゃんとしまっておいた。  寒がりのクラウディアはカイロをとても喜んだ。留学してた時もカイロあげたら喜んでたもんね。今回は貼るタイプのカイロも渡したんだけど、説明する時にシールを剥がすっていう英単語が出てこなくて焦った。思いっきりジェスチャーした。  「また遊びにおいで」とマイケルは言ってくれた。  「次はハネムーンで来るかも」と冗談で言ってみんなで笑った。  「ボーイフレンドはいるの?」とクラウディアに聞かれたけど、二人ともいないと答えたら「嘘でしょ」という憐れみの表情をされた。と同時にまだ22歳だからね、これからだよねっていうフォローもされた。  クラウディアが駅まで私たちを車で送ってくれた。ちょっと遠回りをして、私たちが通ってた学校や、よく遊びに行っていた公園、前に住んでいた家も通ってくれた。さっき会ったおじさんが住んでるところね。そのおじさんから私たちが来るって連絡があったみたい。彼はクラウディアの元同僚だったそうだ。良い人の知り合いは良い人なんだな。  「突然お邪魔してすみませんでした」「とんでもない、また会えて嬉しかったわ。ありがとう」ありがとうってお互い何回も言って別れた。今度いつ会えるんだろう。  もうやり残したことはない。あとは帰るだけだ。駅のホームに私の好きなロックバンドのポスターが貼られていたので写真を撮りながら電車を待った。  ロンドンに着く頃にはもう真っ暗だった。でもまだ16時だよ。この時期の日没は早い。本当ならこれからミュージカルとか観て、パブで一杯やるのがロンドンの楽しみ方なんだろうけど、疲れたのでホテルでゆっくりすることにした。  改札を出ようとした時、私はここでロンドンの洗礼を受けてしまった。電車のチケットが紙製なので、しわくちゃになって改札を通らなかったのだ。駅員さんに「通れない」って何度も言ってるのに、通じない。というか、おちょくられて通じないふりをされてるのか知らないけど。実際チケットを改札機に通して扉が閉まる状態を見せて初めて「どうぞ」と通された。何なんだ。さっきのイーストボーンのおじさんと大違いじゃないか。都会と田舎の違いを見せつけられた瞬間でもあった。  そんなモヤモヤも抱えて、コンビニでビールを買い、ホテルの部屋に戻ってイーストボーンから持って帰ってきたフィッシュアンドチップスを食べた。冷めちゃってもそもそしてたけど、私はこういうのでも全然食べられる。食にこだわりが無いのかな。ビールとタバコがあればパワーチャージできる。  お土産には、大量のお菓子と紅茶を買った。サークルのクリスマスコンパが近かったのもあり、サークル用にスコッチウィスキーとプレゼント交換用にイギリスの二階建てバスのおもちゃも買ってきた。クリスマスコンパの時って結構みんなおしゃれして、感じのいいバーを貸し切ってやるんだけど、結局最後はどんちゃん騒ぎになるんだよね。それはそれでいいけどさ。 あー、現実の世界に戻ってきちゃった。またイギリスっていうかイーストボーンに帰りたいなー。
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