六年目の休日に

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 土曜日の朝。まだ、平日の疲れが目覚めに気だるさを纏わせる中、僕はベッドからゆるゆると起き出した。  パジャマから着替える前にまずは洗面所に向かい、冷たい水で顔を洗ってなかば無理やり目を覚ます。それから、今度はリビングへ。  いつか必要になった時のために、と妻に言われて買ったちょっと大きめのダイニングテーブルの上には、四角いメモ用紙に伝言がひとつ。 『制限時間、午前中いっぱい』  ああ、と、ため息にも似た声が僕の口からこぼれる。  付き合ってから六年、結婚して一年。  僕たちのデートは、いつも、こんなゲームから始まる。  まだ学生だった頃。初めてのデートで、僕たちは待ち合わせに「駅」を指定した。僕も、当時はまだ「妻」ではなかった彼女も、進学して初めて都会に出てきた。だから、大学からちょっと離れた「若者たちの街」なんて言われるその駅が、ひどく複雑な造りだなんて知らなかった。  二人して「どこにいる?」「なにがある?」なんてメッセージを送り合いながら、ぐるぐる探し回る。どこからどこまで駅なのか、構内じゃなくて周辺まで含まれるのか。電話とメッセージの履歴はどんどん積み重なっていき、ようやく二人が巡り会えたのは、待ち合わせ時間を一時間も過ぎてからだった。  いろんな予定をキャンセルして、どちらの故郷にも無かったおしゃれな喫茶店で、二人してアイスコーヒーだけを頼んで。 「駅には、三十分も前に着いてたんだ」 「私も、それくらいには着いてた」  そんな話をして笑うのは、どうしようもなく楽しかった。  しかし、困ったことに六年経った今でも、妻はその時の楽しさが忘れられないらしい。  この日は二人とも休みだから、久しぶりに一緒に出かけようか。そんな話をして、どこに出かけるかまでは決めるのだが、待ち合わせ場所は絶対に決めさせてくれない。  何度も言ったことがある。「学生の頃とは違うんだから、もうちょっと時間を大切にしてもいいんじゃないか」と。  その度に、笑われてしまう。「探す時間ももったいないくらい、私と一緒にいたいんだ?」と。  別に、それ自体は否定しない。一緒にいる時間を大切に感じるのは、昔から変わらない。いや、むしろ結婚してからは一層愛おしく感じているかもしれない。  でも。 「……よし」  身支度をして、『制限時間、午前中いっぱい』のメモをポケットに。  玄関でスマートフォンを取り出して、妻へとコール。  呼び出し音が鳴っている間に、壁にかけてある姿見で服装の最終チェックをしようとしたところで、楽しそうな笑顔を浮かべている僕自身と目があった。  困ったことに、六年経った今でも、僕は妻を探して回る楽しさが忘れられないらしい。  プルル、プルル、プ。  呼び出し音が切れて、小さなノイズ混じりに「もしもし」という声が届く。 「おはよう、せっかちさん」 「おはよう、お寝坊さん」  からかいには、からかいを返される。  デートは九時からにしようと言っていたはず。今はまだ、八時にもなっていない。  今回は、どれくらいの時間で出会えるだろうか。また一時間も過ぎてからになるのだろうか。それとも、三十分も前には合流してしまうだろうか。  子どものような気持ちを込めて、電話の向こうに尋ねる。 「今、どこにいますか?」  
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