第1話「憂国の騎士」

1/1
前へ
/9ページ
次へ

第1話「憂国の騎士」

「誰か、誰かある」 1人の騎士が王城の廊下を声を張り上げ大股で歩いていた。 今にも駆け出さんばかりの勢いで。 フルフェイスの白銀鎧に身を包んだ騎士である。背は高く威風堂々たる勇姿だが姿に対して、放たれる声はまだ若い。 白銀が苛立たしげに闊歩していると1人の女官が呼び止めた。 「白銀様!」 「ああ、丁度良かった。陛下付きの女官だな。すまぬが少々尋ねたい。王は、我が王は今、何処(いずこ)御座(おわ)す」 三日三晩走り続けての遠征帰り。 自分たちの部隊が帰還するのは既に、先に帰還させた別働隊から伝え聞き承知置きの筈なのだが謁見の間に彼の主たる王の姿は無かった。 本来ならば王に謁見し、今回の遠征の成果を自ら伝えお言葉を賜って然りである。 だが肝心の王の姿は何処にもない。 王宮女官は白銀の様子を伺いながらも、何処か気もそぞろに目を泳がせる。 「陛下は」 「我が君は?」 顔を隠す兜の奥から先を急かすように鋭い視線が飛んだ。 彼女は慌てて肩を竦めるとか細い声で、まるで憚るかの様に主の居場所を口にした。 「陛下は今、薔薇の間においでです」 「薔薇の間に?では、王妃様もご一緒か」 薔薇の間とは王妃の公務室である。 王の公務室が太陽の間と呼ばれ、どちらも国では高貴な政治機関を担う場所だ。だが、白銀が問うた内容に女官は更に表情を固くし小声で答える。 「いえ、王妃様は居られません」 「どういう事か」 怪訝に首を傾げる。すると彼らの背後から1人の武官が血相を変えて走って来た。 赤銅色の鎧を纏った騎士だ。 王国では白銀に並び、“赤銅の狼”と渾名される程の英傑で彼の副官でもある。歳は一回りほど上だったが忠実で非常に信頼の置ける部下だ。 「白銀様!」 「ロシュフォール、何事だ」 「たった今、陛下からの勅書が参りました。我が隊はこのままベルサ平原を抜け、ユグドレナへ向かえと」 「…何?」 「国境のガロン砦を落とせと、そうご命令が」 「馬鹿な…っ」 白銀は目を見開き、赤銅に問う。 「それは本当か!」 「は。白銀様がご不在でしたので私が勅書を拝見致しました。間違い御座いません」 「そんな……!」 愕然とし、白銀は呟いた。 自分たちは今本国へ帰還したばかりだ。それもひと月にも渡る遠征や各地での転戦を繰り返し、やっとの思いで三ヶ月ぶりの故郷へと辿り着いたと言うのに。 季節は間もなく秋、収穫の時期である。 この時期はどの国も戦線維持の為の小競り合いこそするものの本格的な戦をする事などない。 なのに、他国へ侵攻し砦を落とせだと? 「……っ」 白銀が拳を握った。 脳裏に嫌な予感が過ぎった。 「白銀様…」 赤銅の騎士がどうしたら良いかと迷う様に不安の声をあげると、彼は拳を握り締めたまま踵を返した。 「白銀様、どちらへ?」 女官が声を掛ける。 白銀は歩き出しながら即答した。 「薔薇の間だ。王にお目通りする」 「陛下は今、薔薇の間には誰も近付けるなと!」 「私は今帰還したばかりだ。その様なご下命は受けていない。白銀が動くは王命以外有り得ぬ」 「ですが!」 女官が取り縋る様に白銀の前に走り出た。 本来ならば無礼打ちにされても仕方ないほどの無作法である。 白銀は足を止める。 女官は必死に何度も首を振った。 役目に忠実な女官だ。だがそれだけと言う訳でもないらしい。 腰にはいた剣の柄を、白銀が一瞥する。 するとどうだろう、剣の柄尻に埋め込まれた宝玉が深い青色で明滅していた。 恐怖か… 内心に零す。 女官は何かに酷く怯えている様だった。 彼の持つ剣は白銀がまだこの国に仕官する前、とある泉を訪れた際、そこに住む泉の精霊から譲り受けた魔法の剣である。 一薙ぎすれば千の敵を打ち払い魔を払う光の剣は、柄の部分に人の心を映す宝玉を備えている。 白銀は溜息をついた。 「王がご不在なれば王妃様にお目通りをするは臣下の道理。そこに何の不都合があろうか」 「そ、それは」 確かに正論ではある。 帰還したばかりの白銀は在国の臣下たちとは違い「薔薇の間に近付くな」との命令を聞いていない。そんな最中、謁見の間に王が不在ともなれば王と共に国を治める王妃に面会を求めたとしても不思議はない。 「お待ちを!」 「貴女は私に会わなかった(・・・・・・・・)。この場には幸い我等の他に誰もいない。その様に振る舞いなさい」 「白銀様…」 白銀はそれだけ言い置くと女官をその場に残し、薔薇の間のある方へと歩きながら副官へと指示を出した。 「ロシュフォール、お前は隊を纏めておけ。だが、まだ動くな」 「し、しかし勅書が」 「構わん。多少せっつかれるだろうが「白銀不在では動けぬ」とでも言って時間を稼げ」 「白銀様」 「私が王と話す。それまで絶対に動くな」 「は!」 命令を受けたロシュフォールは即座に走り出す。それを背中で見送ると白銀は足早に薔薇の間へと向かった。 「何を考えておいでなのだ、我が王は…!」 苛立ち紛れに兜を脱ぐ。 乱暴にフルフェイスの頭部を取り払うと白銀の異名が示す通りの美しく、癖一つない銀髪が零れ落ちた。 湖の如く澄んだ銀灰色の稀有な瞳は真っ直ぐに王のいる薔薇の間へと向いている。 白皙の面の美しい騎士。 それがこの国の誇る最強の騎士“白銀”だった。 「この時期に戦をするなど、愚かしいにも程がある。お諫めせねば!」 今、この国で王に直接意見出来るのは王妃を除き、この白銀だけだった。 宰相や大臣たちですら、あの王には物を言えない。 獅子王と呼ばれ自身も武に重きを置くだけに歴戦の名将としても名高く、王国史始まって以来の名君としても他国に広くその名を知られている文武両道に優れた乱世の英雄。 そう呼ぶに相応しい王だった。 誰も意見など述べる事など出来ない。 何故なら王は、自らより劣る者の意見になど耳を貸さないからだ。そうした気位の高さも確かに理由の一つではある。 だが一番の理由は王の放つ獣の様な威圧感が原因だった。また性格も苛烈で気に入らぬ事があれば直ぐに首を刎ねる。 だが白銀がそれに怯える事は無かった。 彼だけは親子ほども年の離れた王に対して、物怖じせずに意見を述べる事を許されていたからだ。 白銀は王の最大の寵臣であり功臣だった。 王に絶対の忠誠を誓い、如何なる時も王命に従い応えてきたのは勿論の事、武功を立てれば他国の名将にも類を見ない輝かしい武働きを見せ、王の心を掴んだ。 獅子王が唯一、剣技で勝つ事が出来ないのもこの少年騎士のみだ。 王はその才能を妬むどころか深く愛した。 己に無い無双の剣才を持つ騎士を重んじ、彼の為だけに“白銀”の称号と特別な甲冑を作り下賜した程である。 我が“白銀”。 王は常に彼をそう呼んだ。 己の騎士。己の為だけに仕える唯一無二の忠臣と。 我が子よりも寵愛したが故に何度か王子たちとの確執が生まれはしたが、それも王が仲裁し、白銀の持つ生来の気質も手伝ってか後に和解した。 誰よりも愛された騎士。 だが近年、彼にはどうにも王との距離が開いている様に感じていた。 「あの魔術師(・・・)が現れてからだ…王が可笑しくなられたのは」 魔術師とは古くからラスガルドに住む人間とは祖先を異にする人族で、不可思議な魔術と呼ばれる力を操る連中の事だ。 魔術は精霊の加護にも似ていて、手を触れずに物を動かしたり、宙へ浮いたり、何も無い所に光や水を生み出したりもする常軌を逸した特殊能力である。 また彼らの多くは非常に頭が良く、その記憶力、知識量たるや常人の比ではない。 尤も普段は何処かに隠れ住んでいる様だが…たまにこうして表舞台に現れては、時の権利者に重用される事もままある。 あの魔術師が王の元へ訪れたのは昨年の事。 城下で魔術を披露していたあの魔術師は大道芸の真似事をして話題を集め、それが王の耳に入り戦勝の余興として王城に招かれたのだがその時、酔いの回った王が戯れに 『今後の情勢はどう動くか』 と問うた所 『ひと月以内にユグドレナが参戦するでしょう。国境の守りを固めるべきです』 と進言し、果たしてーーその通りとなった。 ユグドレナは穏健派で王の娘が嫁いだ同盟国でもあったが故に、その裏切りに等しい参戦に誰もが耳を疑い驚いた。 あの魔術師を除いて。 それからも魔術師は次々と、まるで未来を覗き見てでもいるように敵の策を看破し、様々な政策に鋭くも的確な助言を与えた。時に王ですら見落とした事実すら指摘して。 王は喜び魔術師を重用し、片時も傍から離さなくなった。 最初のうちは珍しい能力を持つ優れた文官を得て「我が国の文武に他国の比肩する事なし」と喜んでおられるのだろう、と思っていた。だが、昨今の王は魔術師を重用する余り以前の様に白銀の言葉を受け入れなくなった。それどころか転戦を重ねて命じ、王都へ帰還するのを妨げる様になった。 確かに親子ほどの年の差がある若輩者に諫められるのは人ならば誰しも不快に思うだろう。しかし、事はそう単純な事ではない。 兵たちの疲労も限界に来ている。 ここに来てまた遠征ともなれば、如何に民からも絶大な人気を誇る白銀とて不満を抑えるのが難しい。 「お目通りを」 薔薇の間に辿り着き、しきたり通りに声を掛けた。扉番は一瞬戸惑ったものの今帰還したばかりの、それも救国の英雄を制止するだけの気迫もない。 扉は、ゆっくりと開かれた。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加