第2話「王と騎士と、魔術師」

1/1
前へ
/9ページ
次へ

第2話「王と騎士と、魔術師」

細やかな意匠が施された調度品が並んだ室内は蝋燭を用いたシャンデリアが燦然と輝き、大層華やかだった。 カーテンや壁紙は赤で揃えられており、床に絨毯は無い。代わりに精巧な組木細工のように濃淡のある木材が菱目状に敷かれている。 中央には白く大振りな椅子が添え付けられ、普段なら部屋の主たる王妃用に大人の肘くらいの嵩があるクッションが積まれているのだが。 王妃様はご不在か 白銀は気配を探ると怪訝そうに、微かに眉を寄せた。 一応ここには王妃に目通りを願って来た事にしているので彼はしきたりに従い目を伏せたまま入室。その場に跪いた。 「白銀、帰還致しました」 「我が“白銀”、良くぞ戻った」 「……陛下?」 白々しく戸惑いの声も出してみせる。するとその様が面白かったのか、王は低く喉を鳴らして笑った。 「どうした、我が“白銀”よ。そなたでもその様な顔をするのだな。妃に会いに来たか」 「は。我が君がいらっしゃるとは知らず、ご無礼のほどお許しを。帰還のご報告に参りましたが謁見の間にも太陽の間にもお姿がなく、後宮にてお休みかと思いましたもので、先に王妃様にご報告をと」 「そうか、大義であった。なに、多少の非礼など構わぬ。お陰で面白いものが見れた」 「感謝致します。して我が王よ、王妃様はどちらに?」 薔薇の間は本来、王妃の間だ。 しかしそこには王が居るのみ。 尋ねると王は答えた。 「妃は病を患っていてな。今は国許へ帰り養生している」 「何と」 白銀は痛ましそうに眉を顰めた。 王妃は良妻賢母の鑑として民の崇拝を集める一方、優れた政治手腕を持つ王の補佐を行う執政官でもあった。その王妃が不在とは。 そこでふと疑問に思う。 王妃が病を得ればそれは知らされるはずだ。 他国の目もあるので内々に療養に向かうとしても、少なくとも白銀には知らされていたはず。それに王妃不在ならば王が薔薇の間にいる事もおかしい。 ここは王妃の公務室。 王には王の所有する太陽の間がある。 ならば何故王は、薔薇の間にいるのか。 困惑する白銀だったが、その疑問は直ぐに晴れる事となる。 「あら、白銀様。お帰りなさいまし」 突如として女の声が響いたからだ。 「お前は」 白銀の涼やかな面に不愉快そうな色が浮かんだ。だがそれを見ても声の主は楽しげに笑うだけだった。 王の元には1人の女がいた。 獅子王に撓垂れ掛かるように絡みつき、淫蕩な色香を漂わせ、豊満な肉体を惜しげも無く晒す美女。射干玉(ぬばたま)の髪に濡れそぼった翠水晶石の瞳、濃い影を落とす長い睫毛、陶磁器の様に滑らかで張りのある艶やかなその肌は、男ならば誰しもが魅入るであろう。 だが、その目に宿る色は暗く、人の心を見透かす白銀にすら読む事は出来ない。 女は口を開く。 「無事のご帰還何よりですわ、心よりお喜び申し上げます」 「良く言うな、魔術師よ」 「あら、怖いお顔ですこと。折角美しい顔をお持ちですのに。ほら、陛下の御前ですのよ。もっとにこやかに微笑まれては如何です」 「戯言は止せ。それよりも、何故お前が薔薇の間へ居る。ここは王妃様の御座所。王と、許しある謁見の臣下を除き、立ち入る事は断じて許されぬ」 不快感も露わに吐き捨てる。すると睨み合う2人を王が止めた。 「止めよ“白銀”。騎士が女に睨みをきかせるとは何事か。イローラは宮廷魔術師、王宮に仕える者は全て等しく我がものぞ」 「しかし我が君」 「王妃不在の今、薔薇の間の管理はイローラに任せてある。男に女の部屋の管理など出来ぬ。まして下々の生まれの女官では妃の持つ高貴な意向に沿う事も出来まい。なればこそ賢い女が管理すべきだ。我が妃が戻るまで。そうだな、イローラ」 「はい、陛下。王妃様の名代とまでは言い切れませんが、王妃様がお戻りになるまで、薔薇の間を守る様にと、そう仰せつかっております」 「な…!」 白銀は目を見開いた。 ここは王妃のみが許された執務室だ。 それをたかが魔術師に委ねるなど、異例どころか今迄前例すらもない。 「妃が戻るまでの間だ」 「しかし」 「王命である。控えよ」 「……は」 「すまぬな、イローラよ。“白銀”は我への忠義が厚すぎる故に、新参のそなたを危ぶんでおるのだろう」 王の言葉に白銀はギリッと唇を噛んだ。 その様を見て魔術師の女、イローラは赤い紅を引いたかの様に真っ赤で艶やかな唇を歪めて笑う。 「白銀様のご心配は尤もですわ。陛下、私は気にしてなどおりません。寧ろ嬉しゅうございます。白銀様はまごうことなきなき陛下の忠臣。そして…あれほど過酷な遠征を経て尚、まだまだお元気のご様子ですもの」 「その様だ」 「ならばきっと、すぐにでも陛下の御為にガロン砦を落して下さいますわ」 「うむ、そなたの言う通りだ。“白銀”は我が誇る最強の騎士。なればこそ、ユグドレナの貧相な砦を落すなど赤子の手を捻るより容易き事よ」 「まあ素敵!流石は陛下の覚え目出度き第1の寵臣。陛下のご信任も厚くていらっしゃるのね!」 「ああ」 満足げに頷く王。 それを見て白銀は顔色を失った。 いけない、この流れは…! 今はあの魔術師の戯言に腹を立て、(かかずら)わっている場合ではない! 怒りも嫌悪もあったが、王国第一の忠臣は即座に己が成すべき事を思い出す。 「我が君」 「何だ、“白銀”よ」 恭しく最上の敬意をもって、彼は王に進言した。 「我が隊は、つい先後王城へと帰還致しました」 「その様だな」 イローラと話す時とは違い、何処か素っ気なく言葉を返す王。それでも白銀は王への忠義と祖国への愛を胸に諫言を行う。 「間も無く秋の収穫期がやって参ります。その様な時期に貴重な男手を戦地に送り出しては国が傾きます」 「…何?」 ピリッと緊張感が場に走った。 王が不快に思っておられるのだと白銀には直ぐに分かったが、それでも尚、必死に言葉を紡いだ。 「女子供のみでの収穫は民に苦痛を強いる事となりましょう」 「男手ならば他にも居よう」 「恐れながら…健全な男児は全て陛下のご命令で従軍しております。国許に残るは戦役を離れた老人や病人、負傷者のみ。それでは冬までに収穫が終わりません」 「ならば幾つかの隊を国に戻し、収穫に従事させれば良い。そなたの隊は引き続き、ユグドレナへ向かえ」 「お待ち下さい、我が君。確かに収穫だけならばそれで事足りるでしょうが…我が隊は既に三ヶ月もの長きに渡り転戦しております」 「それが?」 どうした、と言わんばかりの王に白銀は瞠目した。 「それが?…今、それが、と仰いましたか。我が君」 「ああ」 あっさりと頷いた王に白銀は悲痛な思いで言葉を吐き出した。 「三ヶ月もの間、我が隊の兵士たちは国から、家族から離れ戦い続けているのです!」 「知っている。まこと、そなたらは臣下の鑑よ」 「なればこそ、此度の遠征はお見送り下さい!彼らを家族の元に帰してやらねばなりません。親が妻子が、恋人が待つ家へ、一時だけでも帰るお許しを頂きたい」 「何故だ。王命に従い功を立てるは臣下の誉れであろう」 「確かに誉れではありましょう、騎士ならば。されど隊の半数以上は我が国の国民です、騎士では御座いません。彼らが決死の行軍に耐え続けたのは敬愛する陛下の御為という事が第1ではありましょうが…愛する祖国の、そこに生きる己が家族の為なのです」 白銀は床に頭を擦り付ける勢いで王に乞うた。 「どうか収穫期の時期だけでも、民たちに安寧を」 「温い事を」 「我が君!」 「“白銀”よ、そなたの言いたい事は分かる。だが今は戦乱の世ぞ。誰しもが苦しみ、悲しみ、絶望の中にいる。戦火が国土を焼き、至る所で怨嗟が生まれ、親無き子が、子を失った親が憎しみに苛まれておる。なればこそ一刻も早く西域全土を平定し、一つの国家の元、恒久の平和へと導くのが強国としての義務だとは思わんか?」 「それは…!」 長期的な目で見れば確かにそれも一つの正論と言える。だが、各地を転戦し続けた白銀は知っていた。 民の不満は限界に達しようとしていると。 ここで王命を受け入れ王都から出るとなれば、如何に白銀の求心力が高くとも間違いなく隊は瓦解するだろう。 三ヶ月も家族から引き離され、数多の激戦を繰り広げ…中には奮戦虚しく祖国の地を再び踏めぬ者も多くいた。 生き残った者たちも亡き同胞の形見を手に、疲労困憊している。そんな中、漸く愛しい家族に会えると思った矢先ーーその顔も見ぬ間にまたしても戦わねばならぬと知れば、騎士ですら心が折れよう。 王都の空気を吸っているが故に、彼らの望郷の思いは更に募っている事だろう。 「仰る事の意味は愚臣めにも分かります。ですが我が君、我が王よ、伏してお願い申し上げます。どうか、お考え直しを…っ」 白銀は文字通り伏して願った。 求めるはただ一つの恩賞。 民の安寧、祖国への帰還である。 だがそこでまたしても白銀を不快にさせる声が響いた。 「陛下、ご心配には及びませんわ」 「イローラ」 「……っ」 女魔術師はくすくすと優美に肩を震わせながら王の耳へと囁いた。 「確かに民にとって家族は第一。けれど、祖国が無くなってしまえば、その愛する家族ですらも無くなってしまいますもの。それ位、愚かな民にも分かりますわ」 「貴様っ」 「うふふ、大丈夫。私に妙案が御座います」 「妙案とな?」 「はい」 にっこりと婉然に微笑む魔術師は醜悪な笑みを浮かべて囁いた。 「簡単な事ですわ。世の中は全て賞罰(・・)で成り立っております。陛下、こうなさいませ。もしガロンへ従軍するならば各家庭に一人頭、金10を。拒むのであれば一人頭、10年の懲役を課すと」 「馬鹿な……!」 余りに非道な立案にすかさず異を唱えた白銀であったが、魔術師イローラは口調を荒らげる事なく当然の如く言い放った。 「白銀様、良くお考え下さいまし。貴方様がご存知かどうかは知りませんが、現在、我が国の民の年収は平均で金1枚にも満たないのです。たった1度の遠征で一人頭10年分の収益があがるのですよ?一家四人なら金40、当面困らぬだけ恩賞が得られるのです。対して従軍せねば10年の刑期が与えられる。対価の額を考えれば当然ですわね、賞罰とは等価ですもの。けれど、本来ならば従わなかった時点で王命に背いた事になるのですから、斬首が普通です。それを陛下のご慈悲でたった10年の懲役で済むのですから、民にとっては幸運ですわ」 イローラは事もなげに語ったが、今の人間の寿命は概ね30~40年とされている。 特に今は戦乱の世で物資も薬も常に不足しており、平均寿命でいけば安定していた先の時代よりも更に短くなっているだろう。 そんな中での10年とも言えば、最早死別も同義である。 「ふざけるな!貴様、民を…人を何だと思っている!」 激昂した白銀が立ち上がる。するとイローラはさっと素早く王の背後に隠れながらこう言った。 「民とは王に尽くすもの。国の為に生き、陛下の為に働く臣下ですわ」 「貴様…この、毒婦めが…!」 怒りに任せ思わず剣の柄に手を掛ける。するとそれを見咎めた王から鋭い声が飛んだ。 「控えよ」 「我が君!?」 「“白銀”よ、我が前で剣を抜くか。誓いを立て、我に捧げた剣で、我に歯向かうか?」 「ち、違います…王よ、良くお考え下さい!その女狐めに、貴方様は騙されておいでなのです!」 「ほう、我を愚君と呼ぶか」 「い、いえ。違います、断じて!我が君は優れた御方!何人より優れし王の中の王!西域を統べるは我が王をおいて他ありません!なればこそ、御身なれば、これはそこな毒婦の甘言とお分かりになる筈……っ!」 白銀は必死に言葉を紡いだ。 以前の様に。 この言葉は必ず我が王に届くのだと信じて。 しかしーー 「イローラ、そなたに任す。上手く采配せよ」 「はい陛下。私にお任せ下さいませ」 「うむ」 「我が君…っ」 愕然とする白銀。 目の前が真っ暗になった。 呆然と立ち尽くす彼に、王は静かに告げた。 「“白銀”よ、そなたも騎士として祖国への忠を尽くせ」 「我が君?」 「下がれ。速やかに次の戦の支度をせよ。国庫は好きに開いて構わん」 「陛下…!」 「行け。そしてガロンを落とせ。落としたあかつきには、望む報奨を与えよう。金でも女でも、好きに願え。全て叶えよう」 「そ、んな…」 金や女、そんなものの為に自分は戦って来たのではない。 そんなものは望まない。 己が欲しいのはただ一つ。 民の安寧。 そして主からのたった一言だと言うのに。 我が王は それすらも忘れてしまわれたのか…? 本当に騎士が望むべき恩賞。 その価値を。 足元から崩れ落ちそうになる白銀に対して、王は目も合わさずに言い放つ。 「行くがよい。そして、ガロンを落とすまで戻るな。これは王命である」 「……承り、ました」 フラフラと絶望に打ちひしがれながらも白銀は薔薇の間の間を出た。 その背に王と魔術師の楽しげな声が響く。 暗澹たる思いを抱きながら、若き英雄は覚束無い足取りで自らの部隊が駐屯する王城前広場まで歩いていった。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

42人が本棚に入れています
本棚に追加