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第4話「拾い子」
イーリアスは短剣を手に、方々をさ迷った。
何日も何日も、飲まず食わずで。
親類縁者などいよう筈もなく、戦火を逃れただただ逃げた。しかし4つかそこらの子供が親の助けもなく生き残れる筈もない。
誰もが自分だけで手一杯な時代だ。
彼が行き倒れるのは当然と言えた。
真冬に近いこの季節。
雪がちらつく時期もとなれば、外で眠れば静かに息を引き取る事も可能だっただろう。だが彼の胸には1つの願いがあった。
いきたい…
久しく帰らず顔も忘れてしまった父は、きっと今頃は母と同じ場所にいる筈だ。いっそ死んでしまえば楽なのだろうが、母が自らの命と引き替えにして守ってくれた命は大切な形見でーー失いたくないと思った。
どさり
飢えと寒さに凍えながら力尽きた少年は、遂にその場に倒れ伏す。
小さな身体にひらひらと雪が舞い落ちる。
ああ…
ここで、しぬのかな
朦朧とする意識の果てで、そんな事を思った矢先、不意に誰かの手が触れた様な気がした。
「あったかい……」
呟くとイーリアスは意識を失った。
ーーーーーーーーーーーー
イーリアスが目を覚ましたのは、本人の体感として気を失ったと思った次の瞬間だった。
ゆっくりと目を開け、辺りを見回すと、どうやら何処かに寝かされているらしいと言う事が分かった。
「あれ…」
不思議に思い視線を巡らせる。
見るとどうやらテントの中に設えられた簡易寝台に寝かされている様だった。
木の板に毛皮と毛布を敷いただけの固いもの。だが、近くではパチパチと小さな音を立てる小型松明とその上に乗せられた鉄のケトルがあり、寒さを感じる事は無かった。
「ここ、どこ……」
もしかして天国だろうか。
なら両親に会えるかも知れない。
天国だとしたら随分と簡素な場所ではあるが。
「気が付いた?」
「だ、だれ…!」
テントの入口辺りから声がしたので驚いて逃げようとすると、その人物は素早く少年に近付き、彼を簡易ベッドの上に押し付けた。
「こーら、暴れるんじゃないよ」
「わ、わわ……」
まるでしなやかな豹の様な動きだった。
押し付ける力こそ強くはないが、弱ったイーリアスに逆らえるだけの力は無い。
目立つ赤毛に赤い布鎧、その上にこれまた真っ赤な胸当てをした女は自分の母よりも少し年上に見えた。
ただ母親よりも雰囲気が粗雑で何処か荒々しい。加えてその顔には刀傷が幾つもあり、手はグローブもしていないのに皮が厚く固かった。
緑色の目は鷹の様に鋭くギラギラしていたし、腰には2本の剣をぶら下げている。
けん…けん、だ
このひと、ぶき、もってる…!!
「やめて、はなして…!」
きっと敵国の兵隊か騎士に違いない。
そう思ったイーリアスは暴れようとしたが、女の押さえ付ける力は強く簡単には外れそうもない。
「たすけて、たすけて!」
誰でもいいから助けてと悲鳴をあげると、バサリとテントの入口の幌布が揺れ、男が飛び込んで来た。
「何だこれ、子供の悲鳴か!?」
「たすけて、たすけてぇ!!」
イーリアスが泣きじゃくると男は状況を把握しようと女と子供を見比べ、そして徐に目頭を押えると
「姐さん……幾ら男に相手にされねえからって子供に手ぇ出すのはどうかと思いますよ、俺は」
「はあ?これの何処が手ぇ出してるように見えるっての?」
「え?あ、いやその…ほら、そっちの嬢ちゃん……いや、坊主か?とにかく、めちゃくちゃ泣いてんじゃないですか」
「あ!あー…」
「多分、姐さんが剣なんてぶら下げてるからっすよ。ほら、どいたどいだ」
男はそう言うと女を軽く追いやって、ぐすぐすと泣き出したイーリアスの前にしゃがみこみ、ニカッと笑う。
こちらも額に真一文字の大きな傷があるが、目は垂れ目がちで優しく、声音も穏やかだ。
「よ、坊主。俺はヒットってんだ」
「ヒット、さん…?」
イーリアスが怖々と見上げると男は頷きながら、大きな手を両方使って包む様に彼の頭を撫で
「そう!射手のヒット様だ。縁起の良い名前だろ?」
と得意げに言った。するとすかさず
「不名誉な渾名でしょ、“そっぽ射ち”ヒット」
赤い女が吐き捨てた。
「あーもー、姐さんは黙っててくれますかね!それに、最近はミスしてませーん」
「三日前、盛大にやらかした奴が何を偉そうに」
「団則2条『済んだ事は言わない』!いいから黙っててくれませんかね?!坊主と話せないんで!」
「……ちっ」
ヒットが怒鳴る勢いでそう言うと、赤い女は舌打ちをして黙り込んだ。それを確認すると射手を名乗った男は、茶色い短髪をガシガシと掻きながら
「えーと、何処まで話したかな」
「おじさんが、ヒットさん、てとこまで」
「おじさんじゃなくて、お兄さんな!?俺、まだ18だから!」
ふーん、と言いそうになりイーリアスは言葉を飲み込んだ。
母親とほぼ同い年だ。ならおじさんで合ってると思うのだが、本人が嫌がるなら止めるべきだろう。
「はあ、まあいいや。……運が良かったな、お前」
「え?」
「お前さ、姐さんの前で行き倒れたんだよ。他の連中なら見捨ててたぞ」
「え…」
言われた事に驚いて赤い女の方を見ると、彼女は少し照れ臭そうに肩を竦めた。
ヒットは言う。
「感謝しろよ。お前を拾ってここまで連れてきて看病してくれたのは傭兵団“砂獅虎”副長、“朱の雷”マゼンタさんだ!」
「マゼンタ、さん?」
戸惑いながらも呟くと、女ーーマゼンタは苦虫を噛み潰したような顔をして、ペラペラと良く喋るヒットを怒鳴りつけた。
「くだらない事をペラペラと!出てって、ヒット」
「え!?でも姐さん」
「これ以上余計な事くっちゃべったら、
舌を引っこ抜いて馬の餌にしちゃうけど」
「そんな!…姐さんは悪い人じゃないって説明しただけじゃないっすか」
「うるさい、いいから出て行きなさい。早く!」
しっしと強く追い払うとヒットは転がる様にしてテントから出て行き、後にはイーリアスとマゼンタが残される。
暫しの沈黙。
ソワソワと落ち着きなくイーリアスが視線をさ迷わせ始めると、マゼンタは一瞬、何処か遠くを見るように寂しげな笑みを浮かべるとこう言った。
「騒がしくてごめんね、ここは安全だからゆっくりお休み」
「……う、ん」
「お腹は空いてない?」
「え、あ…うん」
本当は空腹だったが、さっき騒いだ手前なんだか言い出し難くて黙っていると
グウゥ
「あ!」
身体は思いの外、容易く反応する。
恥ずかしくなって俯くとマゼンタはくすりと笑い
「お腹が空くのは元気な証拠。恥ずかしがらなくたっていいから。……ちょっと待ってて」
そう言うと彼女は近くに置きっぱしにしていた背負袋から小さなお椀を取り出し、保存袋に入っていた固形食に干し肉と卵を入れるとミトンを付けた手でケトルを掴んで中のお湯を注いだ。
ふんわりと肉のスープに似た香りが漂い、それでまたイーリアスのお腹が鳴る。
「ふふ、お待たせ」
その音を聞くとマゼンタは嬉しそうに笑い、木のスプーンを添えてお椀を差し出した。
「熱いから気を付けて食べなさい」
まるで母親の様にそう言うと、イーリアスの手にお椀が置かれた。
中身は簡単な携帯食だ。
乾燥させたオーツ麦に、卵と干し肉を入れてお湯を注いだだけのもの。
味付けは干し肉の塩くらいだが、何日も飲まず食わずだった少年には何よりのご馳走だった。
お礼を言うのも忘れてがっつくと、隣で密かな笑い声がした。
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