第5話「団長」

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第5話「団長」

それから暫して、イーリアスはテントの近くを歩き回る事が出来るほどに回復した。 献身的なマゼンタの介護あってこそである。 見た目は怖いが数日共に過ごしてみて分かったのは、彼女は非常に穏やかで優しい女性だと言う事だった。 お母さんみたいだと彼は思った。 実際、マゼンタは我が子にするようにイーリアスの着替えを手伝い、食事を作り、眠る時は子守唄や昔話を聞かせてくれた。 そんなある日の事。 イーリアスはマゼンタと共に“団長”と呼ばれる人物の元へと呼び出された。 テントが複数張られたキャラバンの中心に位置する一際大きな天幕が団長の住処だった。 道すがらマゼンタは自分たちは傭兵団という根無し草で色々な戦場を転々とし、お金を稼いでいる集団なのだと教えてくれた。 騎士や兵士の様に1つの国や王に仕えるのではなく、契約を交わした雇い主にのみ仕え金銭を得て、契約が終わればまた次の雇い主を探す。そうした生活をしているのだと。 そして団長というのはこの集団で一番偉くて強い人なのだと言う。つまりはこの団の王様だ。イーリアスは途端に緊張し始める。 「おこられる…?」 不安になってマゼンタを見上げると、彼女は緑の目を細めて笑いながら 「心配しなくても大丈夫。団長は懐の広い人だから。あたしが拾った子供を見てみたいと思っただけよ」 「そう、なの?」 「そう。だから緊張しなくていいからね」 マゼンタはそう言うとよしよしと優しくイーリアスの頭を撫でた。 少しホッとする。 この数日、マゼンタは本当に母親のように良くしてくれて、イーリアスはすっかり彼女の事を信頼しきっていた。その彼女が言うのなら間違いないだろう。 気付くと目の前に団長の天幕が見えてきた。 マゼンタと一緒に住んでいる三角テントとは違い、こちらは円形で天窓まで付いている立派なものだ。 「失礼します、団長。マゼンタです」 「入れ」 外から声を掛けると中から嗄れた老人の様な声が返って来る。 マゼンタに伴われて中に入ると、そこには声から予想した通りーーとは言い難い風貌の男がいた。 天幕の奥にある椅子に腰掛けた男は片足が無く、代わりに無骨な鉄の車輪が付いた義足を履いている。 体躯は非常に立派でマゼンタよりも一回りは大きく、外で稽古をしている若手の傭兵たちよりも強そうに見えた。 白髪混じりの焦げ茶の髪に傷だらけの顔。 片目は失っているのか長い布を眼帯代わりにグルリと巻き付けており、簡素な胴衣から覗く太い腕はまるで丸太の様だ。 声こそ嗄れてはいるが、それは戦場で日々大声を出し続けた弊害だろう。声に対して見た目は若く、また気配も抜き身の真剣の様に鋭かった。 団長はマゼンタとイーリアスが天幕に入ると二人をジロリと睥睨し、それから重々しい口調で問い掛けた。 「それがテメエの拾い子か」 「ええ。可愛いでしょう?」 マゼンタは軽口の様に答えるとイーリアスを前に押し出した。 団長はイーリアスをじっと見詰め、それから小さな溜息をつく。 「マゼンタ、気でも違えたか。そいつは駄目だ、ガキ過ぎる。拾うなら十くらいのにしろ」 「確かにちょっと小さいかも知れないけれど…でも、使うなら早目に馴染んだ方が後々の為には良いと思わない?」 「馬鹿言うな、傭兵団は託児所じゃねえ」 「知ってます。けど、お言葉ですけどね団長。この子、マーレブの生き残りよ」 「何だと?」 マゼンタがそう告げると団長は怪訝そうに眉根を寄せる。 「マーレブの?あそこは全員皆殺しにされた筈だが」 「けどこの子は生き残った」 「マーレブじゃなく、どっか余所の生き残りだろ」 団長はそう言うとマゼンタからイーリアスへと視線を移す。 「マゼンタはこう言っているが…小僧、テメエ、マーレブの生き残りか」 びくりと肩を震わせ戸惑う。 マーレブと言うのは確かに彼の故郷だったが何故それにこだわるのか。 素直に言うか、それとも誤魔化した方がいいのか。幼い頭で必死に考え、命を繋ぐ方法を模索する。すると隣で見ていたマゼンタが顰めっ面をした。 「ちょっと、凄まないでくれる?可哀想に、怯えてるじゃない」 「あん?別に凄んではねえだろうがよ」 「あっそ、自覚無かったのならゴメンなさいね。けど団長、自分の顔が子供受けしないの知ってるでしょ。もう少し優しい顔出来ないの?」 「うるせえよ、大きなお世話だ。テメエこそデカ女過ぎてガキに泣かれたって聞いたぞ」 「それこそ五月蝿え、大きなお世話よ!」 「あ、あの…」 二人が言い合いになってしまったのでイーリアスが怖々と声をあげると、緑と焦げ茶の瞳がそちらを見た。 一瞬口を紡ごうかとも思ったが、この男が団長ーーつまりこの集団の父親的役割にある人ならば、彼の質問にだけは誠心誠意答えなければらない。 傭兵団はこの男の持ち物で家だ。 助けてくれたマゼンタも団長には反抗しつつも従っている。 数日世話になっただけだが、彼らが家族の如く強固な絆で結び付いている事は幼い頭にも理解が出来た。 ここに、おいてもらわなきゃ イーリアスはそう考えた。 今の時代、戦災孤児など珍しくも何ともないが、その中で大人になるまで生き残れる人間などほんの僅かだ。 戦争の他にも彼らの生存を妨げるものは幾らもある。 寒く厳しい冬に、戦火で住処を失い腹を空かせて彷徨う獣。またこうした辺境ではオークやゴブリンといった魔物たちも徘徊している。低級の魔物とはいえ、普通の農民などには脅威で、徒党を組んで現れる奴らの襲撃に滅んだ村も少なくない。 自分で稼ぐ力も無く、狩猟や採集も満足に出来ない幼児など、追い出されたら生きては行けないだろう。 指先が震え、身体が崩れ落ちそうだった。だが少年が恐怖と葛藤の中で彷徨っていると、不意に何かが指先に触れた。 短剣だ。 どうやら腰に括り付けた短剣の柄に指先が掠ったらしい。 それはあの日、故郷から焼け出された時にやって来た大男から貰ったもの。 投げ捨てる様に渡されたそれを少年は律儀に持ったまま行き倒れていたらしい。 つい先日、マゼンタが持ち歩けるようにとイーリアス用の細い留め金付きのベルトを用意してくれたので、今はこうして腰に剣の様に()いているがそれまではずっと手に持ったまま過ごしていた。 慣れない状況で、怖い現実が目の前に迫った時、この短剣を握ると落ち着いた。 あの人は自分を守ってはくれなかったけれど、この短剣に触れているとあの人の強さが流れ込んで来るみたいで勇気が湧いてきた。 脳裏にあの時の言葉が蘇る。そして赤き獅子の如き威風堂々とした姿も。 『これこそ事実、これこそが現実だ。喰われたくなくば強くなれ、小僧』 冷たい言葉だったが、あの人はこちらを見て確かにそう言葉を掛けてくれた。 時間の無い中、取るに足らない孤児に生きる標を与える様に 『人生は一度きり。死ねば終わりだ。なればこそ、誰よりも強く、しぶとく、傲慢に、己が欲望に忠実に生きよ』 生きろと、そう言って。 ごくりと唾を嚥下し、幼い少年は真っ直ぐに団長の目を見てこう言った。 「ぼくは、マーレブのこです」 「ほう」 まだ4つかそこらの子供にしてはかなりはっきりした口調だった。 団長の視線がこちらに突き刺さる。だがイーリアスは怯えなかった。 あの人が背中にいる様な気がした。 戦火の中でも堂々と、ただひたすらに前を見ていた強い人が傍にいる様な気がして……気付くと怖さはすっかりと逃げてしまった。 「ここにいさせて、なんでもします」 「何でもか。分かってんのか小僧、うちは傭兵団だ。ガキの面倒見てやれるほど楽じゃねえし、手取り足取りモノを教えたりもしねえぞ」 「はい」 「汚ねえ仕事だ。人間同士、殺し合う事もある。それでも」 それでも…… イーリアスは唇を引き結び気合いを入れると腹に力を込めて叫んだ。 「やります!」 どんな事だってする。 生きて、生きて、生き続けて、いつか誰かの役に立てるように。 死ねば終わりだ。なら、折角拾った命を自分から投げ捨てる様な事はしたくない。 身を呈して庇ってくれた母の為、助けてくれたマゼンタや世話をしてくれたヒットの為、そして何より自分自身の願いの為に。 イーリアスがそう言うと団長は暫しじっと考え込み、それから徐に立ち上がると彼に近付いた。ギャリギャリと鉄の軋む様な義足からあがり、気付くと目の前に団長の姿がある。 首が痛くなる程見上げ、それでも目を逸らさずにいると団長はぎらりとした品の無い、それでいて何処か人好きのする奇妙な笑みを浮かべ、大きな手で彼の頭を掻き撫でた。 「ケツの青いガキが一丁前に吠えやがって……良いだろう、採用だ!明日からガンガン仕込んでやる。泣いたり喚いたりしたら捨ててくぞ!」 「はい、よろしくおねがいします!」 こうしてイーリアスと言う名の少年は、西域でも有名な傭兵団“砂獅虎(サンドライガー)”の見習いとなったのだった。
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