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第6話「“砂獅虎の大穴”」
何でもやります。とは言ったものの、翌日から行われる仕込みはそれはもう厳しいものだった。
朝は日の出前に叩き起され、他の見習いと一緒に昨夜の宴会の片付けをし、出された大量の洗濯物を手分けして片付け、団員たちの朝食の準備をし、それが終わると休む間もなく剣やら弓やらの稽古が課せられた。
他の見習いは概ね十歳前後でイーリアスよりも倍は大きい子供たちばかりだ。だが年齢や性別など傭兵団の誰も気にしない。
全員平等に叩きのめせされ、転がされ、痣だらけになって吐き散らす事もザラだった。
先輩の傭兵たちは厳しかったが、それに輪を掛けて厳しいのが団長で
「おら、へばってんじゃねえぞガキ共!」
バシャリと水が掛けられる。
真冬の気付けにしては強烈過ぎる代物だ。だが誰も文句など言わない。
そんな事をしたら追い出される。ここを出たら生きていく術など無い。
歯を食いしばって耐え、ただひたすらに頑張るしかないのだ。
仕込みは厳しいが、それに目を瞑れば空腹にならない程度の食料と寝床、そして意外な事に衣服などもそこそこ提供された。
“砂獅虎”は傭兵団の中でも比較的大所帯で幾つかの組が存在しており、個々に仕事を請け負い稼いでは拠点に戻って来る。
ヒットに聞いた話しだが、稼働人数は全体で30人を超えるらしい。但し、顔触れは良く入れ替わるとの事。
怪我や病気、加齢による体力の衰えなどで戦線を離脱した傭兵たちの中には特殊な技能な知識を持つ者がおり、そうした有用な人物は移動式拠点“砂獅虎の大穴”に残る事を許され、後進の指導や教育に当たる。
傭兵と言えど無学ではない。
特に“砂獅虎”は王や貴族からも依頼を受ける大手傭兵団である事から、簡単な読み書き、算術は必須だった。依頼内容や料金を踏み倒されない為の、団長独自の方針なのだと教えられた。
「次の組!並べ、素振り1000回!」
「はい!」
今日は朝からずっとナイフの練習だ。
子供たちの中でも取り分け小柄な少年にはナイフと言えど剣の如き重さである。だが、それが配慮されたりはしない。
何度も振っては手に豆が出来、破れて血塗れになり、半べそをかきながらも怒鳴り散らされまたナイフを握る。
すると、ひと月も経つ頃には洗い物をしていて悲鳴をあげたり、手が痛んで夜中眠れないという事は無くなった。
ナイフの握りが安定し始め、漸く打ち込み稽古に移れるかと思ったある日の事。
団長たちが大仕事の為、拠点を空ける事になった。
団長を筆頭に5人いる副長も全員出払うのだと言う。どうやら近隣諸国の間で大規模な合戦があるらしい。
複数の国が入り乱れての乱戦なのでこちらも総力戦をする必要があり、恐らくこの一戦で地図から何処かの国が消える。
歴史に残る大舞台だと団長は団員たちの前で声を張り上げた。
報酬が莫大で且つ略奪も自由とあって団員たちの士気は高く開戦前から大騒ぎになった。
まるで祭りにでも参加しに行くかのように、誰もが武器の手入れをし、入念に準備して戦に備えた。
翌日。
「オレたちゃ暫く戻って来ねえが、いねえからと腑抜けんじゃねえぞ、ガキ共」
団長はそう吐き捨てると主だった団員たちを引き連れて戦場へと向かった。
土煙をあげて傭兵の一団が拠点を出て行く。
残されたのは見習いの子供たちと拠点防衛を命じられた数名、教育担当の退役傭兵くらいなものだ。
不思議な事に彼らは見習いたちに稽古や勉学を強要したりせず、教え方も妙に穏やかで静かだった。
怖い団長や副長たちがいなくなりホッとしたのは見習い全員が抱いた感情だったが、それも数日。暫くすると見習いたちの中に派閥の様なものが出来始めた。
一つは今まで通りの訓練を継続する組。
誰が見ていなくとも今までと同じように厳しい鍛錬を繰り返し、がむしゃらに自分を追い詰め、這い上がろうとする者たちだ。
もう一つは、継続はするが無理はしない組。
見習いとしての基礎訓練は欠かさないが、体調を崩すほど自らを追い込む事はなく、適度に休み、時に居残り組の傭兵たちと駆け回って遊ぶ事もあった。
イーリアスは後者だった。
元々歳も一番下で身体も同世代より細く華奢だ。ならば無理に身体を痛め付けるよりは適度に息抜きをしながら仲間たちと遊んだ。
遊ぶと言ってもイーリアスは不思議な子で、子供同士で遊ぶ事よりも大人の傭兵たちを巻き込んで追いかけっこをして過ごす事を好んだ。
時には狩りを習ったり野営のコツを聞いたり、町での暮らしについて聞いてみたり。
彼の興味は尽きる事が無く、逆に大人たちの方が疲れて「後でな」と断られる事も増えた程だ。
それからあっと言う間に2年の月日が経ち、イーリアスは6歳になった。
その日は朝から拠点内が騒がしく、人を捕まえて聞いてみると団長たちが帰って来るとの報告があったそうだ。
見習いたちの間に緊張が走る。
なにせあの鬼の団長たちが帰って来るのだ。
「お前らサボってたからな、きっと団長に殴られるぞ」
集中的に鍛錬をしていた組のリーダー格の子がそう言うと、サボり組は真っ青になった。
「ど、どうしよう、雪子」
「え?別に、どうもしないけど」
雪子と呼ばれたイーリアスは不思議そうに小首を傾げた。
“雪子”とは彼の渾名だ。
雪の降る日に拾われて、見た目も銀の髪に青の混じった銀灰色の珍しい瞳をしていた事から正式に見習いとして仕込まれ始めた時に団長が付けた名前だ。
ここにいる子供たちは皆、本名を名乗らない。かつての自分と決別する為に新しい名前を与えられ、以後はずっとそう呼ばれる。
雪子もイーリアスと呼ばれなくなって久しい。今ではこちらの名前の方がしっくり来る程だ。
さて、それはさて置き。
怯えて固まるサボり組の最年少にして、いつの間にかリーダーになっていた少年はのんびりとした口調で口を開くと
「悪い事してた訳じゃないし、ちゃんとやる事やってたんだから殴られたりはしないだろ、多分」
「そ、そうかな?」
「多分」
「た、多分じゃ困るよ!」
「ってオレに言われてもなぁ」
雪子が溜息をつくと努力組のリーダーがこちらを見てニヤニヤしていた。それを見て彼は不愉快そうに綺麗な顔を顰める。
「なんだよ、“川流れ”。ニヤニヤして……感じ悪いな」
「笑いたくもなるだろ?お前ら、団長たちがいないのをいい事にサボりやがって!無駄飯食わして貰える程、傭兵団は甘かねーんだよ!」
「は?なにそれ、お前だって見習いだろ。つーかさ、こちとらお前に飯食わして貰った覚えねーんだけど」
「なんだと、雪子のクセに!お前なんかそこの役立たず共と一緒に追い出されちまえ!」
「あー、はいはい。そうだな、追い出されたらいいよなー」
「雪子!」
「黙ってろバーカ」
「こいつ……!!」
ペロリと舌を出して挑発するとフロドは手を伸ばして彼を捕まえようとした。だが
「よっと」
ひらりと身軽に躱すと雪子はフロドから距離を取り、あっという間に近くの木に登ってしまう。まるで猿の様にスルスルと。そうして木の枝に腰掛けるとフロドを完全に見下ろしながら笑った。
「遅いんだよ、足止めて剣ばっか振ってるから追い足が弱くなる」
「なんだと!?テメエ、コラ、降りて来て正々堂々戦え!」
「正々堂々?バカ言うなよ、そんなの団長が一番怒る事だろ。団長語録その5『卑怯は勝利への第一歩』ってね」
「雪子!!」
「悔しいなら登って来て捕まえてみろよ、ノロマなフロド」
「こいつ、もう許さねえ!!」
フロドは怒り心頭で幹に手を掛け木を登り始める。もう直ぐ手も届く位置だ。手を伸ばし、生意気な年下を捕まえようとした矢先
「よいしょっと」
「あ!?」
今度はさらりと地上に逃げられる。
しかもご丁寧に飛び降りる時、彼はフロドが足を掛けて登って来た枝の一本を降り取った。
「雪子……この、卑怯者!!」
「はいはい、卑怯で結構。なんせ育ちが悪いもんでね」
声を立てて笑うとフロドが顔を真っ赤にして何やら木の上から叫んでいたが、雪子が気にする事は無かった。
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