42人が本棚に入れています
本棚に追加
第8話「小人」
団長たちが戻り、再び厳しい教育が再開されて数ヶ月が経った。
最初に比べると随分力も体力もついた子供たちだったが、団長の鬼のシゴキは彼らの成長に合わせて益々厳しくなっており、ちらほらと脱落者が出始めた。
見知った顔が少しずつ減って、知らない顔が増えて、また減ってーーそうした当たり前の日々がやって来た。
さて、そんなある日の事。
雪子は不可思議な現象に悩まされていた。
最初に変だなと思ったのは、拠点周りに群生する薬草を皆で集めている時だった。
薬草取りに夢中になり、仲間たちからはぐれてしまって一人ぼっちで森を歩いていると、何処からか「こっちこっち」と子供の声のようなものがして無事に仲間と合流する事が出来た。
次に川辺で洗濯をしている時。
不注意から姐さんたちの腰巻きを下流に流してしまったのだが、その時もクスクスと笑う様な雰囲気がしたかと思うと、50ヤード先の岩場に纏めて引っかかっているのを見付けた。
そして明らかに可笑しいと思ったのは、たった今ーー目の前で小人を見付けた。
今日は同期の見習いが熱を出し、解熱薬が切れていたので薬になる薬草を探しに来たのだが季節柄なかなか見付からず、かなり森の奥まで入り込んでしまっていた。
時刻は間も無く夜に差し掛かろうかという辺り。周囲の木々の影が濃くなり、道が分からなくなった。夜は獣が徘徊しているし危険なのだが、苦しむ仲間を見捨てておけずに考えなしに飛び込んだのが悪かった。
手持ちの明かりも松明一つ。
これが燃え尽きれば右も左も分からなくなる。
どうしよう
誰かが探しに来てくれるとは思えない。
傭兵団は去るもの追わずで、脱走する子供たちは逃げるに任せていた。
野垂れ死んでも自己責任、となると益々捜索される希望は薄い。
折角ここまで来たのに薬草一つ持ち帰れないとは情けないにも程がある。とそんな事を考えていた時だ。
ふと顔をあげると視線の先が妙に明るい事に気が付いた。
まるで白い月明かりがスッと差し込んだかの様に、数ヤード先が明るい。
暗い森を彷徨う事に不安を感じていた彼は明かりの方を目指す。すると少し開けた場所があり、その場一面に白い花が咲いていた。
そしてーー不可思議な小人の発見となった訳だが。
「何これ……」
ぼんやりと見下ろす。
彼の視線の先には白い釣鐘状のスカートの様なものを履いた掌サイズの小さな女の子がいて白い花ーースズランに腰掛けてプラプラと足を揺らしている。
「ええと」
夢か、或いは幻か。
どちらにせよ相当に疲れているに違いないと眉を顰め天を仰ぐと、小人はこちらに気付いていたのかひょこひょこと近付き、雪子の足元でぴょんぴょん跳ねた。
「え、なに?」
小人は何か言う様にパクパクと小さな口を動かす。しかし、そこから音が漏れる事はない。本来ならば無音である筈の行為だからだ。だが、雪子が意識を向けると不意に頭の中に声らしきものが届いた。
“らしきもの”という表現は正しい。
それは確かな音や文章で紡がれた言葉ではなく、意思に近い代物だったのだから。
声無き声とでも言うべきか。
スズランの小人は彼に薬草の在り処を示し、帰り道も案内してくれた。
“大穴”に帰り着いたのは真夜中近く。
戻ると団長に殴られ、マゼンタに叱られたが、雪子は気にしなかった。
それよりも森の中で出会った小人の方が気になった。
翌日。
稽古の合間に森に入ると、彼は昨夜出会った小人の正体を確かめるべく、スズランが咲く場所へと訪れた。すると
「あ!」
幻かと思ったスズランの小人は、昼の日差しの中、花の上に腰掛けていた。こちらに気付くと嬉しそうに手をパタパタと振る。
「夢じゃなかったのか」
呟くと雪子はスズランの方へと近寄る。
小人は花から飛び降りて彼の膝に登り、それから服を伝って肩までやって来てニッコリと笑った。
「昨日はありがとう」
昨夜の御礼を言うと、スズランの小人はフルフルと首を振り、彼の頬に小さな頬を擦り寄せた。
どうやら彼に好意を持っているらしい。
「君はスズランの妖精?」
尋ねると小人はキョトンとした様子で首を傾げ、ややあって左右に振ると、自分とスズランの花を交互に指差した。
「違う?……ああ、そう。スズラン…君はスズランなのか」
何となく語られた無言の言葉に雪子が理解を示すと、スズランは大きく何度も頷いた。
これが、初めて出会った小人との記憶だ。
それ以降ーー彼が小人に類似した存在と遭遇する回数は段々と増えていった。
大抵は人型の小人が一般的だったが、彼らは時に光の玉であったり、囁きであったり、綿毛のようであったり、木々や水面そのものであったりと形状は様々だった。
みんな姿形が全然違うんだよな……
人の容姿が違うように、それらもまた全て違うらしい。
しかし雪子にとってはどれも同じ“ソレ”であった。
妖精、或いは精霊のようなもの。
正確には精霊とも呼べない小さな霊体なのだが、それをこの時の雪子は知らない。
そしてスズランをはじめとした彼らもまた、自分たちを妖精や精霊ではなく、ただの“ソレ”として認識している様だった。
「何で急に見えるようになったのは謎だけど……まあ、別に悪さする訳でもないし、いいか」
寧ろ手助けしてくれる事の方が多いくらいなので有り難いほどだ。
時々イタズラをされて困る事あるが、それも些細なものなので気にはならない。
寧ろ同じ見習いであるフロドの嫌がらせの方が余程陰湿で気が滅入る。
「最近、やたらと突っかかってくるんだよな」
以前からそうだったが、団長たちの帰還以来フロドの当たりは日に日に強くなっており、雪子は辟易していた。
足を引っ掛けたり、言い掛かりをつけてくるのはまだ可愛い方で、点呼の時間を誤って伝えたり稽古用の武器を隠されたり、団員の私物をわざと壊してそれを雪子の所為にしたりと、兎に角雪子の事が気に入らないのか、折につけ喧嘩を吹っ掛けて来る。
今日ここに来たのも相手をするのが半ば面倒になったからだ。
逃げて来たと言ってもいい。
いっそ突っかかっる気力も無くなるくらいボコボコにしてやりたい気持ちもあるが、構うだけ自分が損をするのは分かっている。
「はあ、面倒だなぁ」
思わず本音を漏らすとスズランが、大丈夫?と気遣わしげに首を傾げた。
「ごめん、ちょっと愚痴っちゃった。大丈夫だよ、ありがとう。……あ、そうだ。姐さんから貰ったビスケットがあるんだけど、食べる?」
変な話しを聞かせてしまったな、と苦笑いをすると雪子は話しを逸らすように、今朝貰ったばかりのビスケットを小人に差し出した。
小人は最初物珍しそうに眺めていたが、雪子がビスケットを割り、一口食べて見せると興味が湧いたのか、頂戴と手を伸ばした。
「はい。どうぞ」
小さな彼女にも食べ易いようにと細かくして与えると、スズランは雪子の肩に乗ったまま、モグモグと食べ始めた。
食べ終わるとニッコリ笑い、また手を出す。
「気に入った?なら、もっとあげるね」
こうして雪子は小さな友達と束の間の休息を楽しんだ。
最初のコメントを投稿しよう!