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溌剌とした、けれども耳心地の良い美しい声と共に黒紅達の方を勢い良く見るその目があるべき箇所には白い目隠しがされている。
「何だこの女、司書……か?」
「俺の所属する班と史を担当してくれてる――もう『てた』なのか――司書さん。見ての通り慌ただしい」
「瑠璃のところの司書は、もっと落ち着いている。ノックもなしに、無断で人の部屋に入ってくるような司書じゃない」
そもそも瑠璃の場合は、ノック以前の問題だったような。そう言いかけ、黒紅は怒られそうな気がしてその言葉を飲み込んだ。
「その娘、きっと腰に白いリボンを巻いてる娘でしょぉ?」
床につく程長い丈の純白のドレスを、ふりふりと左右に機嫌よく振りながら「司書さん」は無遠慮に近づいて来る。腰のリボンは薄黄色をしている。
「そう。恐らくその女だ。いつも不機嫌そうな顔をしている。いや、性格には口元からしか機嫌の良しあしはよみとれないのだが、常に口角が下がった感じだ。あと厳しい」
「違うのよん! あれはね、何か考え事してるだけなのん! でも、厳しいのは本当。九姉妹の中で、一番厳格なのがあの子なのね。私もよく怒られるのん!」
亜麻色の巻き毛を、透き通る様に白く長い指でくるくるといじりながら、薔薇色の紅をひいた唇を尖らせる。
「その『のんのん』言うのはなんなんだ」
「可愛いでしょぉ? 可愛いからやってるのよねん」
「馬鹿っぽい」
「やだぁ~。この子、可愛い眼をしてるのに中身は全然可愛くない~!」
司書と瑠璃、二人の奇妙に弾んだ会話を死んだ眼で視ていた黒紅はとうとう重い口を開けた。
「司書さん」
「ん~? 何かしらん」
「俺に何か云う事あるんじゃないですか」
一呼吸。
そうして、あーーっ、と甲高い声。司書はその驚きを体現するかのように両手で自身の美しい長髪を引っ張る。
「ごめんなさい、黒紅ちゃん~!!」
「忘れてたんですか?」
「……はい…なのん」
いじけたようにくるくる髪の先をいじる。
「睦月以前から決まっていた事だったのだけれど、そのぉ、まだまだ先だしぃ? 後でいっかって」
「後回しにしていたんですね」
「違うのよん! ちゃんと他の子達の分は手配していたの! ただねん……黒紅ちゃんのだけ…えへへ、書類どっかにやっちゃってて、ついさっき思い出してもう直接伝えなきゃっ! てここに来たの」
「黒紅、この司書はいつもこうなのか? こんなので今までよく瑠璃たちの管理が出来ていたものだ」
いやぁ~、と照れたように頬に手をあてる司書を黒紅は瑠璃以上に冷めた眼で視る。
「もうそれに関しては追及しないので、俺の新しい配属先と新しい部屋番を教えてください。着替えもこれからしないとだし……。始業開始の時刻は伸ばしてください」
「任せて! 館長代理にはもう先に伝えてるのね! というか、新年度早々黒紅ちゃんだけ遅れてくるのは体裁が悪いからって、代理が黒紅ちゃんの班の出勤時間を一時間後ろ倒しにしてくれたの。あっ、でも確か赤紅ちゃんと白藍ちゃんは今日、有給だったかしらん。――黒紅ちゃんは、ゆっくり着替えて『書物庫入口前大扉』に来ると良いのよん」
どうしてそれは出来て書類の件は出来なかったんだ、と口にしたかったがやめた。他に細々とした聞きたいことが山ほどあるのだ。
「それで、さっきも言いましたがその俺の新しい班や部屋については――」
「新しい班についてはひ・み・つ。図書館の入り口扉前の黒板に書いてあるから、そこを視てちょうだい。部屋については瑠璃ちゃんと交換の形だから、瑠璃ちゃんに教えてもらってねん。さすがにここの職員全員分の部屋番号は覚えてないわん。……入れ替わりも激しいしね。それに、私たちは書物庫の外の事は基本管轄外だから、貴方達の使う娯楽施設に関しても与り知らないのよ」
私達はあくまで司書であって、それ以外の仕事は関知しないのん。
司書はにこやかに甘い声で言い放った。
「……そういいながら、俺の人事異動の件は忘れていましたよね」
「それに関しては言わないで~」
よよよっと泣き崩れる振りをする司書を無視して、黒紅はさっさと寝台から降り、近くに備え付けてあった壁に設置されたベルを鳴らす。
チリン
涼やかな鈴の音が一つ。
次いで「コンコンコン」と等間隔のノックが参回。
「どうぞ」
黒紅が声を掛けると、司書とは正反対の黒を基調とした質素なドレスを着た女性が入室してきた。顔は、黒のベールに包まれており、視えない。両手には大層大事そうに、絹織物一式が抱きかかえられている。
そのまま彼女は無言で黒紅にへ音もたてず、言葉を発することもなく近づいていく。
「あっ、着替えるのねん。じゃあ、お姉さんも手伝っちゃおうかしらん」
「出てってください」
「そうだぞ、出てけ」
「きみもだ」
「は? 此処、瑠璃の部屋――」
何か続けて言おうとした瑠璃と「やだぁ~!」と文句を垂れる司書の背を押し、部屋から追い出す。その際、瑠璃が何かを言ったが無視をした。
漸く元の静寂を取り戻した室内で、溜息がこだまする。サイドテーブルに置かれた時計を見る。まだまだ時間には余裕があるが、また先程のような不測の事態がいつ訪れるのかわからない。さっさと着替えをすませ、自身の仕事場である『書物庫』へ向かうのが吉だ。
「すみませんが、お願いします」
自身の言葉を合図に、ベールの女中はいそいそと絹織物を広げていく。
眼を閉じる。
寝間着を脱がされる幽かな音が耳に入る。
『言い忘れていたが』
『見た目も好みじゃない』
瑠璃が部屋から出ていく際、最後に言った言葉をふと思い出す。
「この場所で自分の姿が好きな人間なんていないさ」
自分がどのような見た目をしているのかなど、分からない。
だから、いくら容姿をけなされようが心が揺れ動くことはない。その反対もそうだ。
ポン、と肩を叩かれる。着替えが終わった、という合図だ。
眼を開くと、もう女中は音もなく自身の前から立ち去っていた。
備え付けられた鏡を見る。
視たくもないものが映る。
直ぐに眼をそむける。
この図書館で働く職員に鏡が好きな人間なんていないだろう。
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