二  章

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㈢        木製の机が並べられた無機質(むきしつ)な部屋で、男達が黙々と仕事をこなしている。ここは右京の職場である、大蔵省主税局本部だ。  帝国大学卒業後、玄蔵の勧めで、右京は大蔵省への入省を決めた。銀時計組だった右京は、花形の主税局本部に配属された。  右京は、同課の者達が、ぱらぱらと席を立ち始めたのを見て、銀の懐中時計を確認した。針は十五時を回っている。右京が帰り支度を始めると、同期の藤木(ふじき)祐輔(ゆうすけ)が近づいてくる。  藤木とのつき合いは古い。十代の藤木は勉学に秀でた少年だったが、家が貧しく勉学に集中することが困難だった。藤木の頭脳を見込んだ右京は、誠意を以て資金援助を申し出た。その彼は、清涼感のある男に成長した。そして藤木もまた大蔵省に入省し、主税局配属となったのである。 「右京、帰りに一杯やってかないか」  右京は少し考え、そうだな、と返した。  大蔵省から十五分ほど歩いたところに、洋風居酒屋があった。店主がアメリカの店を真似て建てたそうだ。本省(ほんしょう)から近いため、同僚や上官をよく見かける。  二人は座敷に上がり、テーブルの前に座り込んだ。コートを脱ぎながら、ビールを注文する。(しばら)くして、黄金色に染まったグラスが運ばれてきた。グラスを軽く持ち上げて、二人は同時に口をつける。ほのかな苦みが口に広がった。満悦(まんえつ)した藤木が口を開く。 「そういえば、知ってるか。三年前の、貨客船(かきゃくせん)難破(なんぱ)事故の詳細」 「西見(にしみ)造船の貨客船が、アメリカへ向かう途中で、嵐に遭遇して難破したとしか知らないが」  藤木は、実は、と声を潜める。 「税関の友人から聞いたんだが、その船から、ないはずの物が出てきたらしい」 「というと?」 「死体だよ」  右京は眉を(ひそ)めた。 「どういうことだ」 「調査船が、難破した船を発見した時、散らばった舟木に手枷(てかせ)()めた死体が引っかかってたらしい」 「それって、まさか……」  藤木は、ああ、と渋い表情で頷く。 「奴隷を運搬してたんじゃないかって話だ」  右京の顔が不快に歪む。 「西見が?」 「ああ」と、藤木は苦々しい表情でグラスを煽る。  西見造船会社と鷹司家は、交流があった。現在の西見造船代表は、西見一郎(いちろう)である。長男、太郎(たろう)と右京は、年齢が近いために、何かと顔を合わせることが多かった。 「西見は、知ってるのか」 「知っててもおかしくはないだろ。と言っても、俺も自分の目で見たわけじゃないから、又聞きしたのを鵜呑(うの)みにして、西見に問い質すなんてことはしないが」 「藤木、西見には安易(あんい)に近づくなよ」 「お前はつき合いあるだろ」 「毎年挨拶はするが、それだけだ。俺より、月子の方が交流があるようだ」  右京はグラスを傾ける。藤木は右京を(うかが)いながら(たず)ねた。 「お前、局長からの縁談を断ったらしいな」 「ああ」と、(こと)()げに言う右京に、藤木は笑う。 「そんなに月子がいいか」  右京は口許(くちもと)柔和(にゅうわ)な笑みを浮かべ、 「お前には分からないさ」  と言う。藤木は肩を(すく)めた。 「ああ、確かにな」 「まあ、分かってもらっても困るが」 「心配するな。お前が入れあげてることは、本部のみんなが知ってる」  藤木の冗談だが、右京は片眉を引き上げ、「願ってもない」と得意げに返す。それに、と藤木は続けた。 「お前には、頭上がんねぇしな」  右京は、違う、と返す。 「今のお前があるのは、お前の努力の結果だ。それ以外にはない」  藤木は「どうも」と笑った。 「ところでさ、なんで西見と月子は交流があるわけ」 「月子というより、氷川としてつき合いがあるようだ」 「ふうん。お前、心配じゃないの」 「何を心配するんだ」 「その自信、どこから出てくるんだよ」 「西見と月子は、ないだろ」  西見太郎は、威圧的(いあつてき)素行(そこう)が悪く、問題の多い男だった。その太郎が、女性を物のように扱っている光景を、右京は何度か見ている。 「そういや去年さ、食事会に呼ばれただろ。その時、あいつ、月子から完全に無視されててさ。見てて怖かったが、西見が怒り出さなかったのは不思議だった」 「へえ?知らなかった」と、右京は笑う。 「笑えたけどな。しかし、月子じゃなかったら、大変なことになってたと思うぞ。あいつは、月子のバックにいる、お前が怖かったんだろうな」  右京は、不敵な笑みを浮かべて、グラスのビールを飲み干した。
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