二  章

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 緊張の絶えない状況に疲れて、早く帰りたいと考えていると、声をかけられた。 「氷川さん」  視線を向けると、歩み寄ってきたのは風切だった。月子は両手でスカートの裾を持ち、お辞儀をする。風切も優雅(ゆうが)な振る舞いで挨拶を返した。 「ドレスお似合いですね。見違(みちが)えて、分かりませんでした」 「ありがとうございます。風切先生は、なぜこちらに?」 「外国人招待客の枠で呼んでいただきましたが、実際は通訳です。仕事みたいなものですよ」  そうですか、と月子は澪子の方を見る。澪子は(いぶか)しげな顔で、こちらを(うかが)っていた。その表情に背筋がぴりっとする。  風切が視線の先を追った。 「お母様でいらっしゃいますか」 「はい。母の澪子です」 「ご挨拶させていただいても?」 「……ええ。大丈夫だと思います」  風切は不思議そうにする。  曲が終わると、澪子が近づいてきた。上品な笑みを浮かべ、澪子は風切に挨拶をする。風切は自己紹介をした。教師だと分かった途端(とたん)、澪子の興味が()げる。だが風切は礼儀正しい。 「よろしければ、お嬢様と踊らせていただけませんか」  あら、と澪子は月子を冷たく見る。 「よければ、お願いしますわ。無作法(ぶさほう)な娘ですが」  月子は(うつむ)いた。風切はちらりと月子を窺う。 「ありがとうございます。———月子さん、参りましょう」  風切が月子に手を差し出す。風切の手に手を重ね、中央に進み出た。  月子は風切と瞳を合わせる。彼の(あお)(ひとみ)は近くで見ると、きらきらとしていて美しかった。 「ダンスはお得意だとか」 「成績はよかったと思います」  風切は、おかしそうに笑う。 「それは素晴らしい」  風切の左手が背中に回る。月子は風切の左上腕(じょうわん)に手を添えた。そして右手を組み合わせる。  ワルツが響き渡る。左足、右足、ターン。  風切は、うまく月子に合わせていた。月子は、風切の(あお)()を見つめながら、ステップを踏む。見つめていると、空の中にいるような気分がした。  空の中を泳ぐ自分を、うっとりと想像する。空想に(ひた)っていると、風切に体を引き寄せられた。どうやら体勢が(くず)れていたらしい。 「申し訳ありません。ぼうっとして……」 「踊りながらぼうっとできるなんて、器用(きよう)な人ですね」  風切は面白そうにする。 「月子さん、()いてもいいですか」  ステップを踏みながら、風切は言う。 「なんでしょう」 「もう治ってはいるようですが、首の傷は、どうしましたか」  あくまで心配そうな眼差(まなざ)しから、月子は視線を()らす。 「枝に引っかかっただけです。どうぞ、お気遣(きづか)いなく」 「話したくなければ、それで構いません」  月子が再び風切を見上げると、風切は微笑(ほほえ)み返す。 「———先生の(ひとみ)は、美しいですね」 「ありがとうございます。日本で、そう言ってくれたのは、月子さんが初めてです」 「そうですか。先生も、苦労なさったのですね」 「も……?」と風切は不思議そうにする。月子は気まずそうにした。 「いえ、気にしないでください」 「何か、お困りごとでも?」  いいえ、と月子は小さく返す。 「そうですか。でも、いつでも相談に乗りますよ。どうか覚えておいてください」  月子は風切を見つめ、 「……はい」  と答えた。
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