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二 章
㈠
二時間目の受業を終え、風切は教員控室に戻ってきた。隣席には新聞を読む岡部がいる。
「あ、風切先生、記事読みましたか」
「なんの記事です?」
「田村正夫殺害事件についてですよ。なんでも、一年半前の陸軍大学校教官殺害事件と同一犯の可能性があるとか」
風切は相槌を打ちながら、志波が書いたのだろうと考えていた。ところで、と話題を変える。
「氷川月子という生徒のことなんですが」
「氷川?ああ、あのぼーっとしたお嬢さんですか」
「氷川さんは算術の成績はどうなのでしょう」
「まあ、普通ですよ。真面目に取り組んではいますが、特に秀でてるということはないですね」
「そうですか」
「でもダンスは見事なものですよ」と岡部は笑う。
風切は、三時間目の受業が始まって少ししてから、控室を出た。見学を装って、月子がいる教場へ向かい、廊下から受業風景を覗き見る。三時間目は岡部の受業のようだ。
後部席にいる月子は、真っ直ぐ黒板に視線を注いでいた。ふと髪の間から覗く首筋に傷があることに気づく。化粧で隠してはいるが、いくつも細かい傷がついている。目を凝らしていると、月子がゆっくりと振り返った。黒眸に捉えられ、風切は一瞬背筋が粟立つのを感じた。
月子は風切を暫しじっと見つめ、静かに前を向く。
緊張の糸が切れたと同時に、風切は速まっていた自身の鼓動に気づいた。得体の知れない高揚に、体の奥が痺れる。
風切の口許から笑みが零れた。
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