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最後の日
あれは、秋の日だった。
車椅子を押しながら、イチョウがきれいな並木道を通る。
彼女はイチョウの木を見上げ、こう言った。
「……覚えてる?
ここで私がはしゃいであなたを連れ回したこと」
僕は答えた。
「もちろん、覚えてるよ」
僕が答えると、彼女は笑った。
「……そっか
あの日の私、すっごいワガママだったでしょ?」
彼女に言われ、僕は首を振った。
「そんなことないよ、楽しかった」
彼女はそれを聞いて笑った。
「ほんとにお人好しなんだから」
しばらく車椅子を押していると、彼女が口を開いた。
「……ねぇ、こっち来て」
彼女はそう言って、僕を自分の目の前に移動させる。
そして。
そっと、キスをした。
びっくりして固まっている僕を、彼女は出会ったあの日のように、いたずらげに笑っていた。
「……大好きだよ」
彼女はニコッと笑い、続ける。
「……幸せになってね」
目の前の視界がぼやける。
彼女はそんな僕の様子を見て笑った。
「あはは、何泣いてるの」
僕はそう言われて初めて今、自分が泣いていることに気がついた。
「ご、ごめん……」
手で拭おうとするが、拭っても拭っても涙が出てくる。
「泣き虫なのね」
彼女はそう言って笑っていた。
それが、彼女と話す最後の日だった。
翌日、彼女は静かに息を引き取った。
僕は多分、あの恋を決して忘れることはないと思う。
人生で一番好きな人で、大事な人。
これは僕の初恋の物語。
決して幸せとは言えないかもしれない。
それでも、元気をくれた彼女の物語だから。
「……忘れないから」
窓のそばにおいてある写真立てを見つめ、呟く。
彼女の写真が、少しだけ笑ってるように見えた気がした。
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