5話

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5話

風邪で寝込んだ翌週末、久しぶりに彼がバイトをする喫茶店にやってきた。店の前で持ってきた物に一度視線を移して、気合いを入れてドアを開ける。 「いらっしゃいませ……お。三浦さんだ。体調良くなった?」 「うん。――あの……っ」 「この席どうぞ」 「あ……うん、ありがと」 予定していた目的を果たすタイミングを失って、溜め息を吐きながら席に座る。あんなにイメトレしてきたのに、相手が生身の人間だと思ったようにはいかないな…… 「いつものやつでいいの?」 「うん」 注文を聞き終えて店の奥に下がっていく姿を見送った後、隣の席に置いた荷物を見てまた溜め息を吐く。一番渡しやすいタイミングを逃がしちゃった。この後どうやって切り出せば…… 「はい、お待たせ」 「ありがと……」 「何か元気なくないか? まだ風邪治りきってないの?」 「ううん、違う」 「本当に?」 探るように見つめられて、心臓が大きく跳ねるのを感じた。 ……私、なんか変。何でこの人相手にこんなにドキドキしてんのよ。緊張するような相手じゃないのに。 自分に起こっている異変をかき消すように、彼に渡そうと持ってきた物を勢いよく手に取った。 「これ、あげる」 「何?」 「この間のお礼。大したものじゃないけど……」 白い紙袋を渡すと、興味深げに中を見ている。 何がいいか全然思いつかなくて、男性にも人気だって評判の焼き菓子を買ってきたけど、甘いもの大丈夫だったかな…… 今更心配になったけど、嬉しそうな表情を見て大丈夫そうだと胸をなで下ろす。 「美味そうないい匂い。別にお礼なんて良かったのに」 「そういうわけにはいかないでしょ。――あの時は、ありがとね。本当に助かった」 真っ直ぐ見つめながら改めてお礼を言うのがちょっと気恥ずかしくて、少しだけ顔に熱を感じる。 「……」 「な、なに……?」 近い距離でじっと見つめられて、思わず視線を逸らす。さっきよりも顔が熱い気がして、赤くなってないか心配になる。 「――雰囲気が変わった気がする」 「え……?」 「なんていうか……丸くなった」 丸く……? 「え、私太った……?」 「違う違う、そうじゃなくて。前はさ、なんかハリネズミみたいだったんだよな」 「ハリ……ネズミ?」 予想外の言葉にポカンとしてしまう。ハリネズミって体に棘みたいなのがある、あの小動物の事よね?威嚇すると体中棘だらけになるっていう、あれ。 「顔は可愛いのにさ、常に周りを威嚇しててとげとげしい感じだったんだけど、それが無くなってる気がする。俺に本音ぶちまけて毒気抜けた?」 「あ……そう、かもね。ずっと――誰にも話せなかったから」 私に何か変化があるんだとしたら、この人のおかげなんだと思う。だって、頑張ったのは凄いって言ってくれたから。誰からも言ってもらえなかった言葉を言ってもらえて、あの時気持ちが随分楽になった気がした。だからこの一週間、誰かの事を妬ましく思ってイライラもしなかったし穏やかな気持ちだった。 ずっとお礼の事考えてたから、他の事なんて気にしてる余裕なかったっていうのもあるかもしれないけど。 「そこ認めちゃうんだな」 「何でそんなにニヤニヤしてるの?」 「ニヤニヤって……ニコニコって言えよなー」 ちょっと不満そうな表情をした後、すぐにまた笑顔を見せる。 「なんかさ、嬉しいじゃん。俺は話聞いただけだけど、それで気持ちが楽になったんなら聞いて良かったなって思うし」 「……ありがと」 「まあ、これからも話したい事あったらいつでも言えよ。なんてったって、一晩一緒に過ごした仲だし?」 「ごほっ……!」 珈琲を飲もうとした瞬間の発言に、盛大に咽てしまった。 「大丈夫か?」 「ごほごほっ……他の人が聞いたら勘違いしそうな言い方しないでよ……っ」 「事実を言っただけじゃん」 「そうだけど……!」 ――あの日、頭を撫でてもらっているうちに私が寝てしまったせいで、鍵を開けたまま帰ることも出来ず、かといって私を起こすこともしなかったこの人はソファーで一晩を過ごした。 朝起きてこの人が居た時の衝撃といったらもう……何もないとはいえ一晩彼と一緒だったという事実が恥ずかしいやら、迷惑かけて申し訳ないやら……出来ればそこに触れてほしくなくて、忘れてくれることだけを願って週末までここに来られなかったほどだった。 それに…… 「――男の人と一晩過ごしたの初めてだったのに……」 スッピンな上にヨレヨレな部屋着でこの人の前にずっといたなんて。いくら熱があったからっていっても、初めて男の人と過ごした夜がそれって……別にそういう関係じゃないし、何もないし、仕方なくだしって思うけど、事実は事実だからショックというか…… 「――なんか今、衝撃的な言葉が聞こえたような……」 私が心の中で後悔していると、彼の方はなぜか驚いた表情で固まっていた。 「衝撃的な言葉?」 「だって三浦さんって……」 「新海くーん」 「はーい、今行きます。タイミング悪いな……ごめん、戻るわ」 「あ、長い間引き留めてごめん」 急いで店の奥に戻る背中に声をかける。 さっき、何を言いかけてたんだろう?驚くような事言ったっけ? 不思議に思いながら、少し冷めてしまった珈琲に口を付けた。
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