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ほんの僅かな違和感。でも俺はあまり気に留めることなく話を続けた。
「ヒナトと一緒にな、この上の階に住んでたんだ。で、一人じゃちょっと広すぎたから……」
ここにいるとヒナトとの思い出がまとわりついてくる。
初めのうちは思い返しては泣いていた。信じたくなくて、後を追おうとしては怖気付いて、なにもできない自分に自己嫌悪していた。挙げ句の果てには仕事もできなくなり逃げるようにしてここを出たんだ。
「そっか。そうだよな。ごめんね」
ロイは「辛いことを思い出させてしまった」と言い俺に謝る。謝るようなことではないのに、俺の顔色を伺いながらロイまで泣きそうな顔をしているのがこの上なく印象的だった。こんな表情を見るのは初めてかもしれないな、と、俺はヒナトに対する辛い思いよりもロイのことが気になった。
「ロイはここに帰ってたのか?」
「ん、たまにね。でも俺の家はユースケのとこだから」
「意味わかんねえな」
俺が勘違いをしていたとはいえ、俺の部屋に泊まらずに普通にここへ帰ればよかったのに。そうせず当たり前のように初日から俺のところに居座るから、余計に俺は勘違いしたままだった。全くもって意味がわからない。
キッチンで湯を沸かし、俺にお茶をいれてくれようとしているロイの後ろ姿がヒナトと重なる。料理はほとんど俺がやっていたけど、ヒナトはたまにああやって俺にもお茶をいれてくれたっけ。ヒナトを失って一人でいた期間が長かったから、自分のために何かをしてくれる人が近くにいることがありがたかった。勘違いしていたことは申し訳なかったけど、俺にとってはロイが本当のことを言わず一緒に住んでくれたことは正直良かったのだと感じる。
この場所に舞い戻ったとわかった瞬間はあの頃の記憶が蘇り、またここに住むなど無理だと思った。でもロイが一緒なら大丈夫だと今ならわかる。弱い俺をロイなら「大丈夫」だと笑ってくれるから。
「お待たせ。インスタントだけど、リラックスできるよ」
ロイはわざわざ俺の手をとりカップを渡し「ほら、こんなに冷たくなっちゃって」と俺の手が冷えていることを指摘した。
「知らなかったとはいえ、急にごめんな。そりゃ怒るわな。もちろんここに住むってのもゆっくり考えてくれていいし、もっといい場所あるかもだからさ、改めて一緒に探そう」
急激なストレスで指先が冷えてしまっているのだとロイは言い、それは自分の行動がデリカシーに欠けていたからなのだと俺を気遣う。そんなロイの優しすぎる行動に泣きそうになった。
「手……あったかいんだな。ありがとう。大丈夫」
湯気が立ち上るカップを口に近づけ、一口啜る。なんてことはないただのコーヒーだけど、その味はずっと前から飲んでいるいつものコーヒーと同じだった。
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