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株式会社マツナガ。宇佐美製菓同様、古くから顧客に愛されている老舗菓子メーカーだ。
しかしここ数年で売り上げは低迷し、経営は悪化。社運は宇佐美製菓との合併にかかっている。
だからこそこの婚約は、マツナガにとって重大なミッションなのだろう。
そして宇佐美製菓にとっても、信頼できる合併相手の社長子息、それも菓子製造販売について経験も知識も充分な逸材が跡取りとなれば安泰というわけだ。
昔話じゃあるまいし、今時政略結婚なんてナンセンスだ。
彼女はもちろん、この松永稔という男も不憫に思えてくる。
しかし三杯目のコーヒーを飲んでいる途中で、そんな考えすら儚く砕かれた。
二人の緊張感が、僅かに解れている気がする。
彼の話に一生懸命耳を傾け、楽しそうに笑う翔子。
その目はまるで文房具のことを考えている時のように輝き、そんな彼女に松永も魅了されているようだった。
空気が変わった二人を見て、ようやく気づく。
……邪魔なのは俺の方なのかもしれない。
もし俺が現れなければ。異動にならず、再会もしてなかったら。
強引に想いを伝えなかったら。
そのまま翔子は彼と出会い、恋に落ち、幸せな結婚へとスムーズに導かれたかもしれないのだ。
彼女にとっては、それが……
『翔子が望むだろうか』
泰蔵さんのそんな言葉を思い出して、とてつもない焦燥感が襲った。
全ては俺の一人よがりで、押し付けで、翔子の気持ちを掻き乱すだけの存在だとしたら。
胸が抉られるような思いで、俺は力なく席を立つ。
会計を済ませると、ちょうど二人もラウンジをあとにするところだった。
思わず物陰に隠れ様子を伺う。二人はホテルのエントランスの方向へは向かわず、何故かフロントの方に進んでいる。
まさか、そのまま宿泊なんてこと。
血の気が引くような思いで、だけど必死に悪足掻きする身体は止められなかった。
一人よがりでも、格好悪くても、それでもどうしても渡せない。
「翔子!」
背後から近寄って声をかけた瞬間、
「せいっ!」
「え!?」
久しぶりに翔子の背負い投げが決まったのだった。
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