1623人が本棚に入れています
本棚に追加
「透矢、なんでここに……」
少し気まずそうに俺を見る翔子は、いつもの出勤時のバイタリティー溢れる姿とは違い、まさに社長令嬢のような気品と、それでもどこか危なっかしい可憐さを漂わせていて。
このままふわふわと遠くに行ってしまいそうな気がして怖かった。
「透矢……?」
気づいたら彼女の手を強く握り、松永が去った後のフロントへ直行する。
「今から一部屋お願いできますか?」
俺の言葉に絶句する翔子。
もう形振り構っている余裕もなかった。
すぐに鍵を受けとると、彼女の手を引いてエレベーターに乗り込む。
「ちょっと……透矢、なんで」
明らかに困惑した声色。そりゃそうだよな。
俺だってなんでと聞かれると適切な返答ができない。
しいて言うなら、今翔子にまとわりついているアイツの空気と、手の甲の“汚れ”を払拭したいというのが本音だ。
お互い黙ったままのエレベーター内。壁には、ホテルに併設されたチャペルの案内が貼られていた。
瞬時に思い浮かぶ、彼女のウエディングドレス姿。
きっと純白のドレスも美しいだろうな。
だけど隣で微笑むのは俺じゃない。
さっきの松永という男だ。
咄嗟にそんな想像しかできない自分がますます腹立たしくて、翔子の手を握る力が強まってしまう。
早く。早く。
俺は何にこんなに焦っているんだろう。
みっともなくて、歯がゆくて、翔子の顔を見れないでいた。
「透矢!?」
ルームキーを開けて強引に彼女を中へ導くと、手を繋いだまま洗面所に向かった。
よく磨かれた鏡に映ったのは、紅潮した美しい彼女と、情けないほど必死な俺だった。
「手、洗ってもいい?」
返事をもらう前に、彼女の右手を両手で包むと、ハンドソープで丁寧に擦った。
もちろんさっき奴が触れた手の甲を念入りに撫でる。
鏡越しの彼女は真っ赤になりながら、俺が洗う自身の手を見つめていた。
その姿は妙に艶かしい。
泡が排水溝に流れていくうちに、ようやく血が上った頭も落ち着いてくる。
そっとタオルで優しく拭き取った後、その美しい手を握りため息をついた。
「あー、焦った」
心から出た本音だった。
思わずさっきの奴のように、彼女の手の甲に自分の唇を当てる。
「これでよし」
安堵してそう呟いた瞬間、唐突に我に返る。
俺に手を掴まれた翔子は、更に真っ赤になって硬直していた。
最初のコメントを投稿しよう!