せきがえ前夜

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 俺は夜、家で大量の課題に取り組みながら、明日の席替えについて考えていた。 何としても最後列の席を手に入れて、たっぷり内職をしたい。  例えば、この分厚い数学ⅠAの問題集は解説が簡潔すぎて、俺にはよくわからない。課題を出した数学の森先生は、いかにも理系です、といった神経質な風貌をしている。ワイシャツの袖を季節に関係なく捲り、板書に夢中であまり生徒の方は見ない。以前、今時なぜ電子黒板を使わないのかたずねたら、前もって用意した解法などを載せたらライブ感に欠けると真顔で答えた。  そうか、森先生にとって授業はライブなんだ。 確かに数学のできる数人の生徒に熱狂的な人気がある授業だった。でもライブなら思わずクラス全員がヘッドバンキングするくらい盛り上げてほしい。先生には自分とその信者しか見えていない。いくつかある解法も、その時のひらめきで出てきたものを紹介し、後はおざなりだ。まるでこの問題集の解答のように。  数学は、答えはひとつなのにそこに至るまでの道のりがいくつも用意されているのが好きだ。問題によっては自分で開拓することもできる。自分の思考が美しくはまった時の充足感、まるで自分の身体が壁とベッドの隙間に沈み込んで挟まっているようなフィット感がたまらない。  でも高校に入って数学の得点は一向に伸びなかった。今もこうして課題の問題集を解きながら頭を抱えている。授業を思い出そうとしても、脳裏に浮かぶのは今にもヘドバンを始めそうな森先生の後ろ姿だけだ。俺には数学の才能がないのかもしれないが、先生の教え方にも多少原因があるのではないだろうか。  俺には森先生の授業より、ネットで流行っている別の参考書を方が実力がつきそうだ。最低3回はと思ったが、意味のない学校指定の参考書の課題も提出しないわけにはいかない。  うちの高校は自主自立を謳いながら、たくさんの課題で学校外の生徒の行動を拘束している。家だけの学習時間ではとても足りない。だから明日の席替えでは、何としても内職に好都合な席を手に入れたいのだ。
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