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『緊張してきた』
と絵里からメッセージが来たのは十一時を過ぎたころだった。
『寝なよ』
と返信する。
『寝れないよー』
とすぐ返ってきた。
『珍しいね』
と返すと
『だって人生で一番大事な日だよ!』
と返ってきた。
絵里とは幼稚園のときに知り合った。歴代の好きなアニメのキャラクターも、アイドルグループの誰を応援していたかも、毎年のハロウィンの仮装も、将来の夢も、初めて好きになった男の子も、初めて付き合った男の子も、初めてセックスした男の子も知ってる。
でも絵里はどうだろう。好きなアニメのキャラクターも、好きなアイドルも、知っているとは言えないかもしれない。私は小さいころから自分の気持ちを隠すのがうまかった。これは絵里ちゃんが好きって言ってるから、私は違うのにしよう。この子は絵里ちゃんが好きだから。絵里はわがままってわけじゃないけれど、私は絵里と同じものを好きだというのが怖かった。
絵里は可愛かった。もちろん顔も可愛いのだけど、「可愛い」と言われる子だった。女の子の集団ができるとその中で「可愛い」の役をやる子が決まるものだけど、絵里は物心ついたときからずっとその役をやっていた。絵里はそれが上手だった。可愛くて、明るくて、細かいことはあまり気にしない。優しいけれど深く突っ込んではこない。他人の悪意にも鈍感で、そして、好意にも鈍感だった。
そんなことみんな気にしてないよ。
と、十代のころ、私に絵里はよく言った。でもそれは嘘だと、私はずっと知っていた。みんないろんなことを気にしているのだ。絵里が気づいていないだけ。例えば絵里の爪がささくれているとか、マスカラの付き具合がいつも左右非対称だとか、私が気にしていることを、絵里は知らないだろう。絵里は気にしないから。人が本当は何を考えているのかも、自分が本当はどう思われているのかも、深く考えない。もとからそういう性格なのか、そういうことを気にしなくてもいい環境が性格を作ったのかはわからない。絵里は私を人のことを気にし過ぎだと思い、私は絵里を本当に何にも気にしていないんだなと思っていた。
高校までは同じところに行ったけれど、大学は分かれた。でも二人とも実家からは出なかったので、私たちは仲がいいままだった。大学に入った絵里はメイクや服装も垢抜けて、いかにも地味で垢抜けない私とは不釣り合いだったけれど、それでも絵里は高校のときと変わらない頻度で連絡をくれ、二人で遊びに行った。つり合いなんてものを気にしていたのは、やっぱり私だけだったのかもしれない。
二十代になってもやっぱり私たちは仲がいいままだった。職種もファッションも付き合いも全然違っても、私たちはお互いが好きだった。
一番ほっとする。
絵里はにこにこしてそう言った。私はにこにこしながら、でも微妙な気持ちだった。私は絵里と一緒にいて、ほっとするわけではない。ずっと昔から、そんなことは思ったことがない。
なんでも話せる。
職場のトラブル。彼氏の愚痴。絵里はぽつぽつと悩みを話して、なんの解決策も提案できなくて困る私にそう言った。私は絵里に悩みを話さなくなった。そもそもあんまり悩まなくなった。相変わらず人のことを気にするし、人は私のことを気にしている。それでも、そのこと自体がどうでもよくなった。
絵里のことだけが、どうでもよくなかった。ずっと。
絵里はなんでも話してくれた。プロポーズされたこと。式場の選び方。招待状は直接手渡ししてくれた。どんなエステに行っているか。どんなドレスで何回お色直しをするか。
こんな話どうでもいいよね。
と笑う顔が可愛かった。
どうでもよくないよ。
と言う私にありがとうと言ってくれた。どうでもよくなかった。その意味を、多分絵里はわかっていない。それでよかった。本当のことなんか知らなくてもいい。
『いい日になるといいね』
なんとかそう送った。
『ありがとう』
可愛いスタンプが送られてくる。
『いつも本当にありがとう。一番の親友だよ』
本当に嬉しい。
『こっちこそありがとう』
そう送って、少し迷って、もう一つ送る。
『ずっと大好きだよ』
ずっと言っていなかったことだった。小さいころなら、躊躇なく言えた。絵里ちゃん、大好き。絵里ちゃんと結婚したい。
女の子同士は結婚できないんだよ。
幼稚園のときに、先生にそう教えてもらった。それから怖くて言えなくなった。私の好きはずっと、絵里の好きとは違っていた。ずっと隠していた。
『ありがとう』
可愛いスタンプ。私もスタンプを送る。気持ちは届かないまま、全部私の中にある。
『そろそろ寝るね。おやすみなさい』
『おやすみ』
そこから画面は動かなくなる。私は眠れない。泣きたくなる。でも泣かない。親友の結婚式に、泣きはらした顔で行くわけにはいかないから。
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