074:年の差 ※

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074:年の差 ※

 今日は大学で同級生だった医師達と飲み会に行くから帰りが遅くなる、だから冷蔵庫にレンジで温めるだけで食べられるものを入れて置いたから食べてくれと、仕事が終わって疲労感に脳味噌が溶け出しそうになっている彼、慶一朗のスマホに、同じ病院で働く秘密の恋人、リアムからメッセージが届く。  大学で一緒に学んだ医師たちらしいが、学校を卒業してもまだ付き合いがあるとは珍しいと、己の交友関係を振り返れば片手で足りるほどしか残っていないそれと比べれば遥かに豊富な恋人の交友関係に正直呆れそうになる。  だが、どれほど呆れていようが心の奥底ではそんな恋人を自慢したい気持ちもしっかりと根付いていて、分かった、行ってこいとだけ返し、愛車に乗り込んで帰路についたのだ。  家主よりも冷蔵庫の中身を把握している恋人の言葉通り、お気に入りのメーカーの種類の違うビールのボトルが鎮座する冷蔵庫の中、遠慮がちに器がいくつかあり、取り出してみればご丁寧な事にオーブンで焼けばもっと美味しくなるというポストイットの忠告がされていて、自分と同じように医者として忙しく働く恋人に料理の準備をする時間が一体どこにあったのかと感心しつつ耐熱容器に入っているそれを取り出し、ポストイットの最後に書かれている忠告−オーブンに入れる時にはラップを外すことというそれに舌打ちしつつも従い、オーブンに放り込んで指示通りの時間設定をする。  このオーブンも恋人と付き合い始めてから使い出したもので、一度耐熱ではないガラスの器をオーブンに入れて大惨事を引き起こして以来、リアムからは己がいない時には使わないこと、どうしても使う場合は必ず指示通りにすることと厳命されていた。  恋人より年上の自分だったが、こと日常生活についてはどうもリアムの方が1日の長があるようだった。  十分あればビールが飲めると鼻歌交じりに冷蔵庫を再度開けてビールのボトルを取り出すと、濃紺色の本体に白で浮かれたようなクジラが描かれている缶ホルダーにボトルを突っ込んでシンクの端で王冠を引っ掛けて栓を開ける。  そのシンクに腰を預けてビールを飲み、食道を通って流れ落ちるビールに満足そうに溜息を零した慶一朗は、仕事終わりのビールは美味いと以前ならば当たり前に感じていたが、最近では何か物足りなさを感じるようになったことを思い出し、アルコール度数の高いものの本数を増やしてみたものの、翌日に不愉快な胸のムカつきを覚えただけだったことも思い出す。  何が足りないと思いながらビールを飲み干し、もう一本を無意識の動作で開けてキッチンからリビングへと向かうと巨大なぬいぐるみと目が合い、やるかと笑いかけながら突き出ているラバーカップを模した突起を拳でひとつ叩き、ドラマでも観ようとテレビをつけるが、脳味噌が溶けているのかそれとも拒絶しているからか、テレビから聞こえてくる英語が未知の言語に聞こえてしまう。  あまりよろしくない兆候だと判断し、リモコンをぽちぽちとしながらドイツ語が聞こえてくるチャンネルを探すが、その言葉も半分以下しか耳に入らず、これはいよいよまずいと少しだけ焦った時、キッチンからグラタンが焼きあがった合図が響き、キッチンに戻ってオーブンから取り出した耐熱容器をカッティングボードに置くと、フォークをグラタンに突き立ててそのまま食べ始める。  食べるときはちゃんと座って食べることと、遠い昔に同じ顔をした兄に苦笑されたことを思い出すが、面倒くさいからこれでいいと呟き、焼きたてのグラタンの熱さをもろともしない無頓着さで立ち食いをするのだった。  いつもならばベッドルームにあるシャワーを使うだけだが、疲れているのに何故か今日は気持ちが浮ついてしまっていて、滅多に使わないバスルームで事を済ませた後にバスタブに湯を張り、足を伸ばして天井を見上げる。  湯が直接掛からない棚にスマホとビールのボトルを置き、兄からはふやけてしまうから程々にしろとこれも忠告される悪癖のバスタブにいつまででも浸かっていると、棚の上のスマホが着信を教えてくれる。  「ハロ」  スマホに呼びかけた直後、後ろが賑やかな中に恋人の楽しそうな声が聞こえ、晩飯は食ったかとまるで未成年の子供のように心配されてしまう。  本当ならばこちらが心配する立場なのだがと思いつつも、食べた、美味かったと素直に返すと、それは良かったと返される。  「・・・まだ帰ってこないのか?」  いつもならば帰って来たのなら静かにしろ、起こすなといったような、恋人に対してにべもない言葉を伝えてしまうのだが、疲労感と快感を吐き出した為に脳味噌が溶けていて思わず本音を呟くと、賑やかさが消えてスピーカーがもうすぐ帰ると伝えてくる。  「・・・リアム?」  『駅に着いた』  背後の賑やかな物音が消えたのは最寄駅に着いたからかと気付いた慶一朗が立てた膝に額を押し当ててそうかと返すと、風呂に入っているのかと問われ、河童になっていたとくすくす笑いながら返してしまう。  いつも仕事では人当たりも愛想も良く患者や同僚達からも受けは良かったが、恋人と二人きりになると気が緩んでしまい、ぶっきらぼうな口調になってしまうことが多くなっていた。  だからではないが、こんな風に笑いながら電話で話をしていると付き合いだした頃を思い出し、ああ、今日は本当に疲れているんだなと自己判断を下した時、スマホのスピーカーから家に着いた、そちらに行くと流れ出し、鍵を開けて入ってこいと返すと通話が切れてしまう。  もう少し声を聞いていたかったと声だけではなく本人がもうすぐ家にくると分かっていながら小さく呟いた慶一朗は、バスタブの縁に顎を乗せて溜息を零す。  「・・・寝ていたらどうしようかと思った」  「・・・大丈夫だ」  程なくして階下の玄関の鉄の網戸とドアが開く音が聞こえ、落ち着いた足音が近づいて来たかと思うと、開け放ったままのバスルームのドアから長身の青年が顔を出し、起きていてくれて良かったと笑う。  大学の友人と飲んでいるのにまだ帰ってこないのかと、まるで今すぐ帰ってこいと言わんばかりの言葉をさっき告げたことを思い出して後悔してしまった慶一朗だが、バスタブの縁に腰を下ろした恋人が身を屈めたかと思うと、そっと唇にキスをされる。  「────ん・・・あまり酒臭くないな」  「・・・二度目は無いって貴方と約束をしただろう?」  二人が付き合い出してまだ日も浅い頃、自分達の関係を公にしたがらない慶一朗に焦れるだけではなくその気持ちすら疑い、酔いに任せて心の在り処を確認するように無理矢理抱こうとしたことがあったが、その時のことを思い出せばただただリアムの中に申し訳ないという気持ちが溢れ、許してくれた慶一朗に言われた、一度目は数えないが二度目はないとの言葉を胸に刻み、羽目を外すほどの酒量を飲まないようになったのだ。  今でも守られているそれに慶一朗が嬉しそうに目を細めた後、自ら伸び上がってリアムの唇にキスをすると、驚いたように目を見張られるが、水の中から出てこいと腕を引っ張られて引き摺り出されてしまう。  「・・・スマホとビール」  「はいはい」  棚の上にあるスマホとビールを取ってくれと視線を向けるが、濡れることも厭わない恋人がカゴに引っ掛けておいたバスローブを己の背中に引っ掛けて掛け声一つで肩に担いだ為、こらと何の力も無い叱責の声をかけるが、それに対してもおざなりな返事をされ、悔し紛れに背中を一つ拳で叩くのだった。  シーツをきつく握りしめ、腕の間に顔を伏せるように頭を付けていると、丸まった背中に覆い被さるように抱き締められ、反動で顎が上がる。  「・・・っ・・・ん、・・・・・・っ!」  一夜限りの相手や過去に関係を持った大人の友人達にならば特に恥ずかしいとは思わなかったが、年下の恋人、リアムと付き合うようになり、こうしてベッドで抱き合うようになってから快感に染まる声や顔を見られることが無性に恥ずかしさを覚えるようになっていた。  年下の男で同性と初めて付き合うリアムの真っ直ぐな視線。  それを笑顔というマスクで本心を覆い隠している時ならば受け止められるが、二人きりになり、見つめられるだけで息苦しさと鼓動の高鳴りを感じてしまうのだ。  互いに見つめ合うだけで鼓動が早まるなど、今まで関係を持った男女の誰とも経験したことがなく、その真っ直ぐな視線が腹が立つと八つ当たりをしたこともあった。  好きな人と見つめ合う、恋人同士の関係として当たり前といえば当たり前のその行為について、年上なのにそんな経験もないのかと思われることも恥ずかしかったし、ティーンエイジャーでさえも感じないかもしれないそれを毎日感じていることも恥ずかしかった。  だからせめてもの抵抗ではないが、こうして抱き合う時は顔を見ない方法でと約束をさせたが、正直な話、快感に脳味噌が沸騰している時にヘイゼルの双眸に見下ろされていたとしてもそれが何を意味するかを理解することなど出来ないのだ。  だが、それが慶一朗の中でのせめてもの抵抗らしく、今日も最初と最後のキスはいいが途中のキスは嫌だと言い張り、いつものワガママをリアムが聞き入れてくれたはずだった。  なのに背中から抱きしめられたと思っていた慶一朗が快感に霞む目を開けると、鼻先が触れ合うような距離に欲情に染まるヘイゼルの双眸が見え、頭を擡げて自分達の姿を確認し、恋人を睨みつける。  「リアム・・・っ!嫌だと言った・・・!」  「今すげーいい顔してた」  「すげーいい顔とか・・・頭悪そうなことを、言うな・・・っ」  俺は脳味噌まで筋肉なバカは嫌いだと、腕で目元を覆い隠しながら吐き捨てるようにつぶやくと、腕を掴まれて顔の側に縫い付けられてしまう。  「────Bitte Küsse mich,ケイ」  「・・・・・・っ!!」  ヘイゼルの双眸にキスをしてくれと強請られ、息苦しさに顔を背けた慶一朗だったが、今までセフレ達には出来たことがどうして出来ないと己への疑問が芽生え、恥かしいとしか言えずにリアムの目を腹を括って見上げると、そこにあったのはどんな答えも受け入れるが、Neinだけは聞き入れないと言う強い意志を浮かべた顔で、その潔さや拒絶されることがないと分かっている様子にたまには素直になってみろと先程の己がささやきかける。  はぁと熱と快感が滲んだ息を吐き出し、ついでに張っていた片意地も吐き出すと、目を軽く見張る頭をぐいと抱き寄せて驚く唇にキスをした後、己の唾液で濡れて光るリアムの唇を舐めて目を細める。  「これで良いか、王子様?」  「キスはいいが王子様は余計だ」  自分の今の状況を忘れているのかと獰猛な笑みを浮かべるリアムに鼓動を早めてしまうが、悟られませんようにと願いつつハニーブロンドの頭を抱きしめると突き上げられて呼吸を止めそうになる。  「は・・・っ・・・、ん・・・・・・っ!」  無理だ嫌だ恥ずかしい顔を見るなと、強い快感の合間に嫌だと小さく叫び、抱きしめていたリアムの頭から手を離してシーツを手繰り寄せて顔を押し付けようとするが、難なくその手を止められてしまい、恐る恐る顔を見上げれば獰猛な色を滲ませながらも余裕の無さも浮かんでいることに気付き、こんな顔をさせているのが己である現実にジワリと胸を温める。  患者や同僚達からも評判の良い自分達だが、こんな風に抱き合っていることを職場の人間は誰も知らないのだ。  密やかな関係に背筋がぞくりとし、それが腰に伝わった後、繋がった場所にも伝わったのか、リアムが何かに気付いたように見下ろしてくる。  ここで好きだの愛しているだのと言えればどれほどリアムが喜ぶだろうかと気付くものの、口が裂けても言える筈が無いと胸中で自嘲するが、言葉の代わりに伝われとばかりに再度リアムの頭を抱えるように腕を回し、そろりと広い背中に腕を下ろしていく。  「ケイ?」  「・・・キス、してくれ、リアム」  さっきはお前からだったがキスしてくれとドイツ語で同じように囁いた慶一朗にリアムが無言で目を細めたかと思うと、己だけの宝物を覆い隠すように慶一朗の顔の側に腕をついて顔を寄せてそっとキスをするが、肩胛骨を撫でられて自然とキスを深くしてしまう。  「────ん、・・・・ンゥ・・・っ!!」  頭一つ分背の高い恋人にしがみ付きながら突き上げられる苦痛に眉が寄り、つい背中に爪を立ててしまうと窮屈な姿勢に気付いたらしいリアムが負担の少ない姿勢になり、慶一朗がシーツを握りしめて強い快感を堪える。  一番気持ちいい顔を見せてくれる事にリアムの脳味噌が灼き切れそうになるが、それを快感へと転化させながら腰をぶつけると、いつもならば抑え気味な慶一朗が抑える事なく熱のこもった声を響かせる。  その声に煽られる訳ではないが、冷静でいられるほど枯れていないリアムは、その声をただ聴き続けたい一心で慶一朗の中をかき乱し、ひっきりなしに熱の籠った声を挙げ続けさせるのだった。  背中から抱きしめられて腹の前に垂らされた手をなんとなく撫でていた慶一朗は、片方の腕が己の頭の下に通された事に気付き、本当にこの恋人は何処までも己に対して甘いと、睡魔に襲われつつ呟いてしまう。  「ケイ?」  「・・・次の休み、出掛けよう」  「良いな、何処に行きたいんだ?」  顔を見ることが出来ずに呟くだけの己の声に眠さを少し滲ませながらも話を合わせてくれるリアムに不意に強い愛情を覚え、腕の中で何とか寝返りを打つとヘイゼルの双眸が驚きに見開かれる。  「────お前の、行きたいところに行こう」  何処が良い、シティに遊びに行っても良いしドライブがてら遠出をしても良い、行きたいところを考えておけと小さな笑みを浮かべて伝えると、リアムの頬に手をあてがい、鼻の頭に小さな音を立ててキスをする。  「・・・唇が良いな、ケイ」  「わがまま王子様、これでどうだ?」  その言葉にクスリと笑みをこぼして希望通りに期待に開く唇にキスをすると、同じ触れるだけのキスが返ってくる。  「・・・ドライブも良いな」  「じゃあそうしよう────おやすみ、リアム」  「ああ、おやすみ、ケイ」  いつもとは違って顔を見合わせながらおやすみを伝えて目を閉じた慶一朗は、そっと背中に回される腕の温もりに無意識に安堵の溜息を零し、分厚い胸板に身を寄せて眠りに就くのだった。
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