裏切り

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裏切り

 「君は気付いてはいまいが、学生時代、江古田にとって君は、気になる存在であった。  素行も成績も良い君が、自他ともに認める不良の江古田に対して軽蔑を見せもせず、見下すでもなく、素直に教えを乞うていた。  最初は江古田も面倒だと思っていたらしいが、君の真摯な態度に、気持ちが変わりつつある様子だった。あのまま行けば、江古田もまともな道に戻れたのではないかと思うよ。  しかし、大事な試合の直前に大怪我を負い、弓道を辞めてしまった。  一方君は、突然の代理でありながら、入賞を果たした。  さっき君は言ったね、江古田は天邪鬼だと。私もそう思う。江古田は君に心を許し始め、しかし、許し切ることができぬまま、離れてしまった。  再会した時、君の中に自分と似た部分を見つけて、江古田はどう思っただろう。がっかりしたかもしれないし、ほっとしたかもしれない。どちらにせよ、君と組もうとしたのは結局のところ、君を信用していたからだろう」  江古田の良からぬ行いを知りつつ手を組もうとする隼人を、心の底でどう考えていたのか。本人にしかわからないことである。  真面目であった隼人が変わったと知り、江古田は、今度こそは友になれると考えたのだろうか。  それとも、幻滅しつつも、自分の甘い幻想を打ち砕いた男を人生の奈落に落としてやろうと、密かに仕返しを企んだのだろうか? 「つまり、私は江古田を裏切った?」 「難しいね。江古田を裏切ったように見える現状が裏切りなのか、与した状況が裏切りなのか。  どちらであろうと、君は君の正義を貫くだけだ。  それからもう一つ。君は自分の中にある自分の知らぬ醜い部分と言ったが、人は綺麗なだけでは生きてはいけない。醜い部分は言い過ぎとしても、狡い部分は誰にだってあるものだ。それが人間だとは思わないかい?」  隼人は頷けずにいた。 「君はどう思う?」 「私は、自分は狡い人間だと思っています。子供であることを利用したり、周りが甘やかしてくれるのをいいことに好き勝手するのに、時として躊躇しません」  その点は、隼人も否定はしない。圭は真面目で素直である反面、意地悪で狡い。そんな自分を否定せず、まっすぐ前を向ける図太さがあった。 「長瀬君、悩む必要はないのだよ。自分の狡さを認めるのを躊躇うのは、大人の証拠だ」  叱られた子供のように、隼人は顔を上げることができなかった。 「そういうところ、君は変わらないな。学生の頃から君は、不器用な程真面目だった。相馬のように相手を傷つけてでも自分を貫くでもなく、馴れ合うわけでもなく。時として我儘も必要だ。その点では彼の方が器用な気がするね」  相良の視線の先には圭がいた。 「江古田が君をどう思っていようと、それは向こうの勝手。君に責任はないだろう?」 「そうですが……」 「済まない。私が余計なことを言ってしまったようだ。  まぁ、気にすることはないよ。今後江古田とはもう、関わりあうまい。もし、出所しても関わらずにいることだ」  全く気にならぬとはいかぬとも、延々と気持ちを引きずるほどには、大事な思い出を共有してはいなかった。 「はい、関わらずにいるつもりです。  でも、先生は関わり合うおつもりなのではありませんか?」  相良の右目が、悪戯っぽく笑った。 「そりゃそうさ。過去を知っている犯罪者ならば、研究の為には逃すわけにはいかない。  反省させる目的でもなく、研究の為というのは何とも利己的に思えるがね」 「それもまた、必要なことではありませんか?」  圭が真剣に、しかし、興味を抑えようともせずに言う。 「君も犯罪者の心理に興味はありそうだね」 「あります。人を殺めてまで守る物とはなにか。それが私には分からないものですから」 「人を殺めてまで守る物。人それぞれだね。  命に賭けても。とはよく使われる言葉だが、自ら命を絶つのも、人を殺めるのも生中な考えではできないものだ。そこに至る気持ちの変化というものに、私も興味がある。  しかし、殆どは下らない理由だよ。暴力的であることが男らしいと思っているならず者や、魔が差したという言葉が相応しいような。ね。  ただ、今まで私が犯罪者に話を聞いて思ったのは、人とは覚悟を決めると、案外落ち着いて犯罪に向かえるものなのだと。それまでの葛藤が嘘のように、冷静に計画を立てられるようになるのだと思うよ」  圭の目は、真剣に相良に向けられていた。
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