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ロイド眼鏡
「そういやさ、二人も気付いてると思うけど、奥井陽介、あいつ、酒井進に会ったことあるな」
視線を送ると、圭も気付いていたらしく、驚きも見せずにいる。
「ロイド眼鏡。ですね?」
「あぁ。女誑しがロイド眼鏡掛けるなんざ聞いたことない。どっかで会ったに違いないんだ。
そう思って大森さんに聞いてみたが、死体はロイド眼鏡なんざ持ってなかった」
「奥井さんは殺しちゃいないだろう。殺していてあれだけ落ち着いているなら、大したもんだよ。
妹さんから酒井のことを聞いて……どうやって見つけたのだろう……。
何しろ本気で結婚を考えていたらしい婦人にさえ、自分の住所を教えていなかったのだからな」
「他の人達とはどうやって会ってたんだい?」
「カフェーらしいよ。そうして、次に会う日時の約束をしていたらしい。もし、約束の日の都合が悪くなっても、電話があるから連絡は取り易いし」
山上が深い溜息を吐いた。
「住所も電話番号も仕事も知らないなんて、他人と同じじゃないか。そんな男と結婚しようなんて。何故騙されたんだろうな」
愛情だろうと言いたかったが、どうにも引っかかるものがあった。
皆一様に、相馬有朋という男の仕事は知らぬのに、出身大学は知っていたのだ。T大学を出ているからには、将来は安泰だ。と考えている様子は誰からも感じられた。
騙されたのは十九才から四十三才の婦人。
女学校を卒業する前に嫁入りするのは珍しい事ではない。二十歳で婚約もまだであれば、焦るものだろう。
良子は遺産を受け取っていたが例外で、殆どは娘の行く末を心配した父親が、自分の目の黒い内にと、娘に財産を分け与えていたのだった。何もせずに父親が亡くなったなら、財産は長男の物となってしまう。仲の良い兄妹であれば、姉弟であれば問題はなかろうが、仲が良くなければ娘は路頭に迷う可能性もあるのだ。
そんな親の思い遣りを酒井は、食い物にしていたのだ。もしも騙されていた娘の父親が殺したのだとしたら、隼人は犯人に同情するだろうと考えた。
「英和は特にそう思うだろうな。可愛い許嫁と幸せ一杯だもんな」
勇一郎の冷かすような声に、山上の顔が赤く染まる。
「そうだ山上君、そろそろ母さんに菊池さんを紹介してくれないかな。家に帰る度に母さんに聞かれるんだ」
山上は照れ隠しの、やや睨み加減の表情ではあったが、そうだね。と、穏やかな声で答えた。
「いつが都合良いだろうか」
「いつでも大丈夫だよ。何なら、明日の仕事の後でも」
隼人にしてみれば、早ければ早いほどいい。母、正子に会うと、山上さんはお付き合いしているお嬢さんがいるの? どんな方? 会ってみたいわ。と、毎回聞かれるのだ。もうそれらの質問に飽きてしまったのだった。
電話を借りるよ。と、山上は食事の前に食堂を出た。が、直ぐに戻り、
「明日、彼女の都合も良いらしい」
と、赤い顔のまま言った。
「それじゃ、母さんに電話して来る」
正子に電話で伝えると、弾みに弾んだ声が受話器から響いた。御馳走を作って待っているから。と。
「よっしゃ、俺も行くぜ」
本来、欠片も関係無い筈の勇一郎が一番張り切っている。ここにいる四人の中で一番正子と気が合う、実の息子ではないかと思われる人間好きであるから、実家に帰る際、勇一郎がいると隼人は実は、気持ちが楽ではあった。
「菊池さんには、洋服を勧めた方が良いよ。母さんかなり張り切ってるからね。おめかし用の着物じゃあまり食べられないだろうから」
「あぁ、洋装でと言っておいた。この前のがとても似合っていたから」
言うなり、更に顔を赤くし、その様子を見て圭は、珍しく明るい表情の笑みを見せる。
ここのところ男女のいざこざばかり聞いている圭にとって、山上の態度は微笑ましく感じられるのだろう。
朝子といい知惠といい、圭は同世代であれば男子より女子の方が上手く付き合えるようである。少女からしてみれば圭は異性と思い辛く、圭からしてみれば、性的な感情を向けない少女の方が一緒にいて楽なのだろう。加えて、やはりそれでも異性同士であるから互いに、それなりの距離を取り合う。過剰な接触を苦手とする圭には、気持ちの良い関係である。
「ちょっくら俺も酒井を調べてみっか。相馬有朋を名乗った理由がどうにも気になるんだよな」
「相馬有朋とやらは、有名人だったのかい?」
唯一、有朋を知らぬ山上が不思議そうに呟く。
「大学では知らぬ者は無かったね。容姿の美しさもそうだが、性格がきついというか、自分に攻撃してくる相手に対しては慇懃無礼に三四倍にして返していたんだよ」
山上の視線が一瞬、圭を捉えた。
「成程ね」
「待って下さい。私は三四倍にはしていません」
「圭ちゃんは刀を構えてる相手に対して、拳銃で狙い定める感じだよな。相馬より直球だ」
勇一郎の分析に不満そうではありながらも反論できないらしく、圭はむくれた儘黙り込んだ。
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