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逢い引き
翌日は、圭は勇一郎の通訳として出ていた為、一人で酒井が借りていた家の大家を訪ねた。新聞で酒井の死を知っていた大家は驚きながらも、こんなこともあろうかと。と、鍵を直ぐに取り出し、家の中を見せてくれた。
三畳ほどの台所と風呂と便所、六畳間と三畳間。一人暮らしであれば少しばかり広い、小さな一軒家であった。
「自分は銀行に勤める傍ら小説など書いているから、仕事部屋が欲しいんだ。と仰ってましてね。成程。と思いはしましたが、ここに来る度綺麗な娘さんがお出でるから、逢引きの為の家なのだな。と」
大家は向かいに住んでいるのだから、どうしても目にする機会が多かったのだろう。人を盗み見して楽しむ性格の人間には見えないが、隠居して家にいる時間が多いからには、気になったに違いなかった。
「ここに来る娘さんは一人でした?」
「えぇ。モダァンでお洒落な娘さんでした」
古めかしい着物姿しか知らないが、髪飾りは洒落たものであった。恋人と会う時には目いっぱいお洒落をするものであろう。
「あぁ、でも、娘さんが来るのはいつも昼頃から夕方までで、夜になると……」
「別のご婦人が?」
「いえ、仕事関係にしては少々不釣り合いな様子の男が」
「不釣り合い?」
「はい。なんと申しますか、背広姿で銀行家らしい格好ではあるのですが、目が鋭く、やけに周りを警戒するように視線を巡らせますので、思わず儂も縁側から家の中に慌てて入りましてね、こっそり覗いてしまいました」
この場合、覗き趣味とはわけが違うだろう。何しろ自分の持ち家で怪しげなことが行われていたなら、巻き込まれないとも限らない。確認するのは当然と思えた。
「多い時には四人、一人の時もありました。大抵六時頃から十時辺りまで」
時間で考えたなら、仕事を持っている人間だろう。仕事上がりに現れ、次の日の障りにならぬよう帰る。
「この家には電話は?」
「ありません。儂の家にはありますが」
「娘さんは酒井さんのいない時には現れなかった?」
「いいえ、時々夕方に現れて郵便受けを探るだけで帰って行くのを見たことが」
酒井は同時に複数の婦人を騙していたから、確実に会える日を伝えるのは難しかったのだろう。忙しい合間を縫っての逢瀬は大変だったに違いない。
それでも悦子と別れなかった。あまつさえ、駆け落ちしようとまでしていた。結婚詐欺のペテン師としては失格である。
この家は、もしかしたらペテン師の密会所だったのかもしれないと、隼人は思った。他の、四人はいるらしい仲間との。酒井は悦子の為に仲間を裏切ろうとして殺されたのではなかろうか。
それにしては、貯金通帳が残されていたのが不自然だった。
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