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正体
「さっきの子供は、なかなか綺麗な顔をしているね」
興味ありげに扉に視線を向けた。
「えぇ。だから連れて来たんですよ」
「世間の評判では、君は親のない子供を引き取っては、礼儀を教えて、仕事を斡旋し、一人でも生きていけるよう援助しているのだとか」
「表向きはね。
稼ぐばかりじゃ、周りの反感を買うばかりなんですよね。だから、浮浪児を集めて、仕事を斡旋することを思いついた。寝る処と食い物を与える代わり、私の役に立ってもらう」
「君の役に?」
「危険な炭坑や重労働をする人間が必要な会社は幾つもあってね。浮浪児など死んだところで悲しむ人間などいやしない」
「しかし、さっきの子は重労働には向いてないんじゃないのかな?」
「あぁいう子は、私的に役立って貰いますよ」
「君の?」
「わかるでしょ?」
勿論。とばかりに長瀬は笑った。
「しかし、あの子、遅いね」
長瀬の目が再び、扉に向かった。
時計を見ると、少年が出て行ってから十五分は経っていた。
二人して部屋を出る。廊下を行くと、書斎に使っている部屋の扉が開いていた。
「何をしている!」
怒鳴りながら扉を開くと、少年は顔を上げた。
私の机の引き出しから何やら引っ張り出したところらしかった。近づくと、ズボンのポッケットが膨らんでいる。手にしているのは、私の腕時計だった。
「なかなかいい根性をしているな」
長瀬が笑いながら言う。
「恩を仇で返そうってわけか?」
「どうせ金が余ってんだろ。ちょっと分けてもらおうと思っただけだ」
悪びれもせず、少年は睨み付けたまま、甲高い声で叫んだ。
私は少年の腕を掴むと乱暴に引っ張った。
「こっちへ来い。いうことを聞くよう躾てやる」
少年は手を振り解くと、そっぽを向いた。
「ねぇ、俺にやらせてよ」
長瀬は少年に近付くと、肘の辺りを掴んだ。
私は素直に引いた。私の力では少年の抵抗を封じるのは無理だと思ったのだ。
少年の抵抗は、長瀬の力の前では何の役にも立たなかった。
「いいか? 君は悪い事をしたんだ。悪い事をしたからには、罰を受けなければならない。だったら、俺が優しく言ってる内に大人しくした方が身の為だと思うよ」
セーターの首元を掴んで、引っ張り上げると、少年に顔を近付けた。鼈甲色の瞳に、少年の怯えた顔が映っている。
震え始めた少年を引きずるようにして、私が教えた寝室に、長瀬は消えて行った。
暫くは扉を叩く音がしていたものの、十分としない内に静かになった。厚い扉の向こうの音は聞こえぬが、お楽しみの真っ最中なのだろう。
思い出したが、長瀬は大学時代、学内でも有名な美少年とつるんでいた。つまりは、そういうことなのだろう。
なかなか役に立ちそうな男だ。願い通り雇ってやることにして、私は、書かなければならない手紙を思い出し、万年筆を手にした。
二時間は経っていた。
長瀬は柔らかそうな紅い髪を手櫛で整えながら、空いている方の手で少年をまた、引き摺りながら書斎に戻って来た。少年の髪も乱れている。とは言え、腰の強そうな艶やかな黒髪は、八割方真っ直ぐだった。
ふと見ると、後ろ前だったセーターを正しく着ている。長瀬が教えてやったのか、着せてやったのか。
「君はそこに座ってなさい」
優し気な声を出すが、少年はガタガタ震え続ける。椅子に座り、体を縮めて。怯えているのは明らかだった。
「で、俺を雇う気になってくれた?」
私は頷いた。
「では、仕事の内容を詳しく聞こうか」
私は、取り引き相手の不備で死んだ子供の死因を誤魔化すための書類を、仲間の医師と共に作って欲しいと、まず取り掛かって欲しい仕事を伝えた。
今後の仕事の為にも、取引相手を教えねばなるまいと、諸々を記した帳面を取り出そうと抽斗に手を掛けた。
鍵を掛けていたと思い出したのだが、すんなりとその手は手前に動いた。
鍵は掛けた筈だ。鍵は背広のポッケットの中……。背広はさっきまで居た部屋の、椅子の背に掛けたまま……。
少年の座っていた椅子の隣に……。
抽斗の中はほぼ空だった……。
「お前か!」
私は少年に向かうと、頬を打つ為に手を振り上げた。
「この盗っ人め!」
しかし、その手は長瀬に封じられた。
「離せ。こういう奴は、口で言っても分からないんだ。痛い目に遭わせないと……」
「俺の助手に手を上げるのは止めてもらおうか」
突然妙な事を言い出した。
「助手だと?」
少年の肩が揺れている。
上げた顔を見て、少年が笑いを堪えているのが分かった。
「失礼。
二人が離れている間に気付かれないかと、ヒヤヒヤしていました。長瀬さんがいけないのですよ。あんなに早くいらっしゃるから」
申し訳ない。と、長瀬の声は軽い。
「何を言っているのだ? お前らは……」
「ばれていないつもりだろうが、お見通しだってわけだよ」
長瀬は私の腕を捻り上げながら笑った。
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