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小細工
「奥井さんとは、ほぼ毎日会いましたから、挨拶はしていました。その程度の関係です。
妹の事で悩んでいた私に、奥井さんは声を掛けて下さいました。悩みがあるなら伺いますよ。と。
私は一人で悩むのも辛く、お話ししたのです。
そうしたらなんという偶然でしょうか、奥井さんも同じように妹さんが相馬の毒牙に掛かっていると知りました。私以上に奥井さんは、相馬を探していたのです。
そこで私は、探偵に相馬の正体を探って貰いました。妹が休みの日に会っているのは知っていましたから、妹を付け、相馬との逢引きの後、相馬を付け、家と勤め先を突き止めました。
一週間ほど前です。奥井さんと共に月本銀行から出て来たあの男を付けました。そうしたらあの男、銀行から離れたカフェーに行きました。変装のつもりでしょうか、ロイド眼鏡を掛けて、見知らぬ年若い婦人と会っていたのです。
その方と別れた処で、私達はあの男の前に姿を現しました。
流石に驚いたのでしょう、ひたすら頭を下げ、許しを請いました。妹とは別れると言い、奥井さんにはお金を返すと約束しました。もし嘘を吐いたのであれば警察に突き出すと言い、その日は別れました。
住所も勤め先も知っているからには、逆らえる筈がないと思っていたのです。
結局は裏切られた訳ですけど。
あんな男、殺されて当然です」
目の前に酒井がいれば、首を絞めかねない程の怒りであった。
「つまりお二人は相馬有朋と名乗る男が酒井進であり、月本銀行に勤めていることを知っていた。
殺されたことも知っていたのですね?」
「はい。
実はあの日の早朝、どうしても許せなかったらしく奥井さんは相馬と再び話をしようと家を訪ねたそうなのです。しかし留守だったので銀行に向かっていると、途中にある空き地に人が倒れているのを見つけ、それが相馬だと気付き、慌てて逃げたのだと。
妹さんのことがあるからには、自分も疑われるかも知れないと考え、相馬が死んだことを知らぬ振りで、相馬が知っていると言っていた長瀬さんに捜索を依頼するつもりだと打ち明けられました」
「成程ね。いつもよりも早く家を出て一人でうろついていたことを証明してくれる人などいないから、自分が疑われるかも知れないと恐れ、先手を打ったのですね。しかしこれは、危険な賭けですよ。
さて、どうしよう。兎に角、奥井さんにはすぐ、警察に行くように言わないと」
「どうして奥井さんが疑われたのでしょう?」
勝子の心配そうな表情が、不謹慎ながらひどく可愛らしく見えた。
「似合わないロイド眼鏡を掛けているような男だ。と、仰ったのです。
さっき貴女は変装の為にかロイド眼鏡を掛けた。と仰いましたが、妹さんは、酒井が眼鏡を掛けている姿を見たことがないそうです。騙している婦人それぞれに違う格好で会っていたのでしょう。
複数の相手を騙しているのですから、誰が誰かこんがらがるのが一番問題です。それを避ける為にも、ひとりひとりなにか小物を変えていたのでしょう。奥井さんの妹さんからは、ハンチングをいつも被っていたと伺いました。
奥井さんは自分を守る為に行動したのでしょうが、警察を騙すなんて簡単なことじゃありません。追及されて話す度内容が変わったり辻褄が合わなくなれば、疑われるのは仕方ありません」
「私が説得します。相馬に会ったことを、私も警察に行って話します。ですから……」
「そうして頂けると助かります。
私が親しくしている刑事に話を通しておきますから、できるだけ早い内に」
隼人は大森から貰っておいた名刺を差し出すと、勝子はお守りでもあるかのように恭しく受け取った。
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