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知惠
翌日の日曜日、隼人は勇一郎と共に仕事に出ており、圭は置いてけぼりを喰らった。
午前中勉強をし、午後から約束があって出掛ける。近くのカフェーで知惠と会う約束があったのだ。
久しぶりに会うと、また、印象が変わっていた。肩の辺りまで伸びた髪にパーマネントを掛けたのか、ふわふわと波打っていた。
「あぁ、これ? 寝てる間三つ編みしてたらこうなるんだ。一緒に住んでる志野さんに教わってね」
新聞記者見習いである知惠は、同じ会社で働く婦人記者二人と共同生活をしている。女同士楽しくやっているらしかった。
「とても良くお似合いです」
ありがとう。と、見せる笑顔も明るい。先輩に当たる勇一郎から、知惠は呑み込みが早く、優秀だと聞いている。どうやら仕事も楽しんでいるようだ。
圭は風呂敷包みから本を三冊取り出すと、知惠に渡した。
「中里さんから言付かりました。よろしくお願いします。と」
「この紙に書いてある指示通りにまとめればいいんだね」
知惠はタイプライターの練習をしていることもあり、勇一郎が大学から借りた本の必要部分だけをまとめてもらおうと企んだはいいが、中々会う機会がなく、圭がお使いを頼まれたのであった。
「そうらしいです」
「これくらいなら、一日かからないな」
声が弾んでいる。本を捲っては指示の書かれた紙を見、満足したのか自分の持って来た風呂敷で包んだ。
「元気そうだね。今日は仕事休みなの?」
言葉も以前に比べると柔らかな話し方になっている。
「休みと申しますか、行き先が遊郭なので置いて行かれました」
知惠はクスクスと笑った。
「相変わらず長瀬さんは過保護な兄さんだね」
子供なのだから仕方ないとは思いながらも、まだ自分は半人前なのだと思い知らされるようで悔しくもあった。
「あたしにも同じ位の弟がいるから、長瀬さんの気持ちわからなくもないな。って最近思い始めたけどね。やっぱり可愛いんだよね、弟って」
知惠の目が優しく和らいだ。
「弟さんは頑張っておいでですか?」
「お陰様で。お世話になってる教授も良い人だし、大変なんだ。って言いながら、楽しそう」
知惠も二十歳であるから、そろそろ結婚を考える年齢だろう。が、本人にはそういう様子は見られなかった。仕事に夢中でそれどころではないのだろう。
それから三十分ほど話をして、カフェーを出た。知惠は帰って、明日、効率よく仕事ができるよう用意をするらしい。じゃあね。と、明るい声で言って直ぐ、自宅に向かって歩き出し、ある一人の人物に好奇心に満ちた視線を向けた。
「相良先生……」
知惠の視線が一瞬だけ、圭に向けられた。
「偶然だね」
もう、知惠はこちらを見てはいなかった。
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