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りん
「さっきの方は、姉さんかな?」
どうやら相良は前から圭に気付いていたらしい。
「いいえ、友人です」
「そうなの? 何処となく似ているように思われたから」
知惠は圭の母親、美沙子の面影を微かに持っている。故に、姉弟と間違えられるのも仕方はなかった。
「似ていると言われます。でも、全く血の繋がりはありません」
生真面目に答えると、相良の足元を見た。桃色の着物を着た小さな女の子が圭を見上げていた。
「こちらのお嬢さんは?」
「姪だよ。ご挨拶は?」
相良に促されて、相良りんです。と、可愛い声で名乗った。圭も名乗り返す。
「この子の母親である妹とは、十三年が離れていてね……」
妹の子供が相良姓を名乗っているということは、離縁したのだろうか。と考える。相良が独身なので、婿をもらった。という考えもできようか。
五六歳だろうか、紅い頬っぺたが柔らかそうな、可愛らしい子だ。
「丁度良かった、酒井と相馬の間にちょっとしたいざこざがあったらしいと、当時学生だった職員から聞いてね」
りんに向けていた視線を、相良に戻した。
「ちょっと冷えるね。どうだろう、あの店で落ち着いて話をしたいと思うのだけど」
相良の指し示す方を見ると、老舗の甘味処が見えた。
落ち着いて話をしたいのも本音であろうが、一番の目的はりんの体を冷やさないためと理解したので、圭は素直に応じた。が、お腹は空いていないので、一番量が少なそうな安倍川餅を頼む。
りんはぜんざいにフゥフゥと息を吹き掛けながら、満面の笑顔である。その笑顔を見て相良も、優しく微笑んだ。
周りから視線を感じる。客は二十人程いたが、皆が皆、こちらに目を向けている。露骨に、厭そうに顔を顰めている者もあった。クスクスと笑っている者も。さっき来店して、圭達の隣の席に座った男は、知らぬふりをしてはいるが、気にしているのは時々視線をこちらに向けていることからわかる。
しかし相良は気にする様子もなく、ぜんざいを口にした。
「相馬だけどね、彼は性格的には少々問題のある男だったけれど、君は彼に会ったことは?」
「あります」
「ではわかるだろうね、相馬の問題点」
「分かります」
圭の即答は、相良を笑わせた。
「しかし、黙っていればかなりの美青年だ。遠くから見つめて恋心を募らせるご婦人も少なくなかったようでね。酒井がちょっかいを出した、大学の事務をしていたご婦人が、相馬が好きなのだと言ったものだから腹を立てて、本人に文句を言いに行ったらしい」
「とんだとばっちりですね」
安倍川餅を口に運ぶ。黄な粉の香りが口中に広がる。餅の香ばしさと砂糖の甘さ。期待以上の味だった。
「そう、とばっちりなのだけど、本人は至って真剣だったようだ。なにより、相馬が全くご婦人に興味を示さなかったことも、気に障ったらしい」
「そんなことを言われても……。しかし、相馬さんならさぞかし……」
「くだらないことを言う人間と同じ大学に通っていると思うと恥ずかしい。と言ったそうだ。
その言葉に激高した酒井が相馬を殴ろうとしたら、暴力が正しいと思うなら殴ればいい。と、抵抗せずにいたとか。酒井は拳を下ろそうとしたが、下らぬ言い掛かりに暴力など、低俗な人間だ。と続けたものだから、我慢できずに頬を殴った。
しかし後日、酒井は平身低頭に謝った」
「自らの過ちに気付いて……」
「そうだと良かったのだけど、実は酒井は卒業後は高林に勤めたいと希望していてね。下調べが甘かったのだね。相馬が高林の社長に引き取られ、大事にされているのはその頃はまださほど知られていなかったから」
只々呆れるしかなかった。この話に関しては、相馬の肩を持つしかあるまい。
「まぁ、二人の間にあったことと言えばその程度ではあるけれど、酒井からしてみれば忘れられない、憎たらしい相手ではあろうね」
「そうなると、相馬有朋と名乗ったのは、相馬さんの評判を落とせると考えてのことでしょうか」
「そうかも知れない。
あの事件から一年以上経ち、社長だった高林さんも、副社長だったその弟さんも引退して、今は親戚が跡を継いでいる。相馬有朋もその際に会社を辞め、今は何処にいるのか、君は知っているのかな?」
圭は頭を横に振った。
「全く存じ上げません」
「そうか……。
酒井はうまく逃げ遂せた後、自分の悪事が世間に知れた時、相馬有朋の責任にしようとしたのだろうね。学生時代の恨みに一矢報いたかったのかもしれないし、現在行方知れずだから姿を現すまいと睨んだのかも知れない」
「愚かな考えです。もしも相馬さんが現れて被害者と対面したなら、直ぐにわかる嘘ですから」
「私は君達から話を聞いて以来、気になっていることがあるのだよ。もしかしたら相馬が、ペテン師に自分の名前を利用されていると知って、仕返しに酒井を……と」
「それは無いと思います。
以前、長瀬さんが相馬さんに向かって仰いました。君は自らの手を汚すほど愚かではないよ。と」
自ら手を汚さぬ犯罪者なのだ。名を利用された程度で我れを忘れることなどありはしない。
「そうか……。誰が犯人であろうと、酒井が殺された事実に変わりはないけれど、相馬でないことを祈るよ。私は彼が嫌いではない。節度を持って付き合えば、彼はとても魅力的な人間だ」
そうなのかもしれないが、諸手を挙げて賛成したい気分ではなかった。
ぜんざいを平らげたりんの赤い頬が、更に赤みを増していた。
「可愛い……。まるで林檎のようなほっぺですね」
「林檎か。それは良い」
相良が右手で頬を撫でると、りんは照れたように笑った。
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