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偶然という言葉があるからには、圭と相良が思いもかけず出会ったのは、不思議でも何でもないだろう。
しかし、考えてしまう。本当に偶然なのだろうか。と。出会って間もない二人が、全く違う場所に住んでいながら、観光地でもなければ百貨店でもない、何処にでも広がっている普通の住宅街で出会った不自然さ。
勿論、隼人は相良を信頼している。学生時代は教授よりも相良の講義を楽しみにしていた。興味の対象が似ていたこともあり、研究室に入り浸っては語り合ったのも懐かしく、楽しい思い出である。
何が引っかかるのか。固定観念を捨て去れと言ったのは相良だった。まるで自分を疑えと言わんばかりの言い方で。
(お前の大学出身の犯罪者がまた現れる可能性があるってことか)
勇一郎の、予言のような言葉を追い払おうと、頭を振る。
「どうなさったのですか?」
心配そうな表情で圭が隼人を見上げた。
「あぁ、そいつな、遊郭みたいな場所に行くと、暫くの間様子がおかしくなるんだよ。
分からんでもないが、お前が気にしてもあの子達の境遇が変わるわけでもあるまい」
その通りであろう。しかし、感情とは理屈ではないのだ。隼人はあの、寂しげな笑顔を貼り付け、甘い白粉の匂いを纏わせた女郎達を見る度、男の罪深さを思い知らされるのだ。
愛情も無く抱き合い、廓の利益の為に嬲られるか細い罪無き女達の嘆きが、心に流れ込んでくるような気がするのだった。
相良を疑うような考えを持っているのは、自分がおかしな状態だからに違いない。と、隼人は自分を納得させた。少なくとも今の自分は、普通の状態ではない。と。
「また近い内に、先生に会いに行こうかな」
「お供します」
今度は笑顔を向けられて、隼人もそれに釣られた。
「江古田だけどな、どうして華族を嫌ってたか……」
勇一郎がニヤリと笑った。
「教えてやろうか」
「勿論知りたいが、お前、酒井を調べると言っていなかったか?」
「取材に行った先で杉坂伯爵に会ったもんだからな」
「江古田の父親の……」
「そう、江古田の父親は杉坂伯爵家の運転手、母親は元家庭教師。母親は結婚後江古田が小学校に上がるまで仕事をしていなかったが、杉坂伯爵に頼まれてまた、子供達の家庭教師に戻ったらしい。頭の良い、礼儀作法のしっかりした元士族の婦人で、元々は女学校で国語と礼儀作法を教えていたが、杉坂伯爵の母親が気に入って、現伯爵の兄弟の家庭教師になったそうだ。
伯爵が言うには、江古田の両親は伯爵家の人間のお気に入りで、勉強のできた長男を中学に進ませてやったらしい。その後高校、大学とすんなりと進んだ江古田は、とんでもないことを言い出した」
なんだと思う? とばかりに二人の顔を交互に眺める。
「卒業したら他に就職する。とか?」
「いや、もっととんでもないことだ」
「杉坂伯爵にはご令嬢がお出ででしたね」
勇一郎の目が笑った。
「圭ちゃん、鋭いな。
伯爵令嬢と付き合いたいと言い出したんだ。当時伯爵の長女が十七才で、中々の美少女でね。
当然、伯爵は断った。そうしたら奴は伯爵家を飛び出したんだとさ。大学一年の八月頃の話だ」
「一年か。
しかしあいつは、卒業している。学費を滞納していたとも聞かなかったし、金銭的な問題は見られなかったが……」
「つばめになるには少々、性格にも顔にも難があるな。
抑々、あいつの会社の資本金は何処から出ているのか、それも疑問だ」
あの。と、圭がおずおずと言った風に声を出した。
「江古田のご両親は……」
「あぁ、杉坂伯爵はなかなか理屈の分かった人で、親は親、子は子って考えだから、両親は仕事を続けている。
杉坂伯爵が江古田を支援したのは勿論、未来の伯爵である息子の為だった。両親は揃って頭が良く、忠誠心厚く、礼儀正しい。その息子であるから期待してたわけだが……。
杉坂伯爵の嫡男は学習院に通っていたのだけど、T大学の入学試験で落ちてね、江古田は自分の方が上だって考えがあるような態度を見せていたらしい。
頭は良くても品性が全くじゃ、人としての格は下になるんだがな、俺の考えでは」
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