アジト

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アジト

 相良の言葉が今、理解できた。  さっきまで、逃げ道を探していた。心臓が破裂しそうなほど大きく打ち、手足が震えていたけれど、決心した途端に全てが治まった。  隼人を殺そう。そうして、自分も死のう。  そう決心すると、冷静に考えられるようにもなった。 「私が護身用に持っている銃で、長瀬さんの頭を打ち抜きます。この銃なら、長瀬さんが持たせた物なので、警戒はしますまい」 「成程、うっかり他の物を持ち込むより安全だな。  それじゃ、こちらが用意する物は何もないのか?」 「致死量の毒をお願いします。命の恩人を殺害して、生きていられる程私は、恩知らずではありません」  江古田はゆっくりと拍手をすると、流石は男爵様だ。と、低く呟いた。 「noblesse oblige(*)。高貴な者は庶民の為に命を捨てられるものなのだな」  江古田の皮肉に、圭は反応しなかった。なんとでも言うが良いと、気持ちは何も感じなくなっていた。 「それでは、今からむさ苦しい我が家に案内させて頂きましょうか」  予想できたことだった。裏切るに違いない相手を、帰すはずがない。 「あの家にはしょっちゅう邪魔者が出入りしているのは知っているんだ。確実に長瀬一人になる時に送り届けてやるから安心しろ」  江古田が手を挙げると、待機していたらしい自動車が、明かりを点けた。 「俺を裏切ったら、あの知惠って女も、死ぬより辛い目に遭わせてやるからな」  圭は顔を上げて笑顔を作った。 「何を仰っておいでなのでしょう。私は決心したからには、もう、気持ちを違えはしません。  きっと、長瀬さんもご理解下さいます。幼い命の為に、あの人は命を捨てて下さいます」  恐ろしいものでも見たような表情を、江古田は見せた。  江古田が言ったような、むさ苦しい家ではなかった。暗くてよく確認はできないけれど、庭には枯れ草が覆い茂っているらしかったが、家の中は片付いており、埃の匂いもしなかった。  裏口らしき扉を潜り、勝手口から家に入った。思っていたよりも狭い家だった。組織と言うからにはそれなりの規模を想定していたが、庶民にしては大きな家。程度である。人気は感じられなかった。  江古田は無言で奥にある部屋を開くと、入るように促した。 「それなりに繁盛していたお(たな)の主人の家だった。何をとち狂ったのかその長男が、俺達の組織に関わってね。慌てた主人は長男を閉じ込めることにして、この部屋を作ったんだ。窓には鉄格子が嵌っているし、風呂も便所もある。お誂え向きだ」  電気を点けると、六畳ほどの和室に布団一式が置いてあるだけの、簡素な部屋だった。奥の方に扉が二つある。それが御不浄と風呂なのだろう。 「間違っても逃げようなんて考えるな。お前をここに閉じ込めることは言ってあるが、こんなお綺麗な顔の子供だってことは黙っている。ここに来るのは色々な意味で不満を溜め込んだ男どもだ。見つかったらどうなっても責任は持てんぞ」 「残念ながら私には、鍵を掛けられた部屋から脱走する術などありませんよ」 「それもそうだな。  何か必要な物はあるか?」  江古田の表情は変わらないが、少しだけ声の調子が和らいだ。 「暇つぶしに何か本を……」 「分かった。後で持って来てやる。  大人しくしておけよ」  部屋を出る時、ちらと圭を見た江古田の目には、微かに怯えが見えた。 (*)noblesse oblige 身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会に浸透する基本的な道徳観。 
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