千円

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千円

 「そうですか。  それでは、相馬有朋を漢字で書いて頂けますか?」  陽介は怪訝そうな目で隼人を見た。 「申し訳ありません。依頼されると必ずお願いしておりまして」  隼人が差し出した万年筆を受け取ったのは良子であった。丁寧な女らしい文字は、相馬有朋。と書かれていた。 「ありがとうございます。  先ほど、相馬をペテン師と仰いましたが」 「ご親友の貴方には辛い言葉だとは思われますが、私はあの男の所業が許せないのです」 「私のことはお気になさらず。親しかったのは学生時代の話で、卒業以来会ってはおりません」  陽介は少しばかり、落ち着いたように見えた。 「実は良子を騙して、金を貢がせていたのです。  叔母が昨年亡くなりましたが、遺言書で少々我々にも残してくれておりまして、良子は未成年にも関わらず、多少なりとも自由になる金がありました。それをどうやって知ったものやら、将来を約束して、婚約者の振りをして、仕事で必要だからと金をせびっていたそうなのです。  家族も気付かず、仕事で東京を離れる。という手紙を受け取った妹が漸く、私に相談して発覚したのですが、後の祭りで……」 「被害額は如何程で……」 「その……千円(*)程……」  良子が泣き出しそうな声で答えた。  内心絶句しつつ、表面には出さずに帳面に書きつける。叔母とやらはこの兄妹を余程可愛がっていたに違いない。そして、二人の管理能力を信用していたに違いないのだ。そうでなければ少なくとも未成年の娘の分は、親が管理するのが常識である。 「預金を預けていた銀行は?」 「月本銀行です」  それなりに名の知れた銀行であった。 「相馬の仕事とは?」 「詳しい仕事内容は話さなかったそうです。  自分で会社を興したのだけど、明後日の支払いが間に合わないので。とか、株を買って欲しいと言われて、未来の良人の為だと考え、金を渡していたそうです。  T大学を出ているからには、将来は約束されたものだと考えていたようですが、本当にT大学ですか?」 「私も相馬もそうです。今手元に証明書がなくて申し訳ありませんが」 「いいえ、貴方を疑っているわけでは……」  陽介は表情を強張らせた。隼人を疑うかのような発言を恥ずかしく思ったのだろうが、隼人からしてみればどうでもいい事だった。それよりも話を進める方が大事である。 「兄様は一度も、相馬とは会ってはいらっしゃらない?」 「はい。仕事が軌道に乗るまで二人の関係は内緒に。と言われたそうで、妹は約束を守っておりましたから」  ペテンの一般的な手口だった。  女からしてみれば、家族から反対されないためにも仕事で成功してほしかったに違いないし、一般的に恋愛からの結婚など世間体が良くなく、家族から反対されるのは火を見るよりも明らかだっただろう。約束を守る。というよりは、守らざるを得なかった。と言った方が正しいと思われる。 「申し訳ありませんが念の為、相馬の特徴を教えて下さい。私も七年近く会っておりませんから、記憶のままで探すととんだことになりかねませんから」  陽介に促されて、良子が口を開いたのだが……。 「どう説明申し上げれば宜しいのでしょうか?」  勇一郎が帳面を一枚捲りながら言った。 「顔の輪郭は?」 「え……と、少し面長です」 「目は?」 「一重で涼やかな」 「吊り上がり気味? 垂れ気味?」  と、質問を重ねては鉛筆を忙しく動かす。鼻、唇、髪形を聞き出すと、帳面を突き出した。 「あら、まぁ、良く似てますわ」  世間一般では男前と呼ばれる類の顔ではあるが、相馬有朋とは似ても似つかぬ男が、そこには描かれていた。 「身の丈は?」 「兄と同じくらいです」  五尺五寸に届くかどうかというところか。その点はほぼ相違はない。 「体格は? 細身?」 「中里様と兄の間位です」  陽介は男らしい体型である。武道の嗜みがあるだろうと思われる、体の厚み。対して勇一郎は、そこそこ細身ではあるが、常に着物姿であるから、一見すると実際よりも体格が良く見える。  相馬有朋は細身だった。分かりきっていたことだが、何者かが相馬有朋を名乗っていたとはっきりした。  良子は懐から手紙を取り出した。 「初めて頂いたお手紙です。お役立て下さい。必要が無くなれば捨てて下さい」  初めての手紙が別れの手紙だったのだ。悲しかっただろうと考えると、同情しか浮かばない。 「承知致しました」  陽介が封筒の宛名をチラと見た。 「女誑しの書きそうな字だ。  似合いもせんロイド眼鏡を掛けているような奴だな」  吐き捨てるような声だった。 (*)参考 当時 白米10㎏ 二円  食パン一斤 十五銭  加須底羅 一円 注文シャツ 二円
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