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結婚詐欺
「昨日はすんませんでした」
夕方、大森が現れた。
食後のお茶を淹れていたので、気を利かせて圭が、最中と共に大森に持って行く。圭を元男爵と知る大森は、えらく恐縮した様子で受け取った。
「他の連中にも聞きましてね、分かりましたよ。
月本銀行に勤めてた男です。T大学卒業で、長瀬さんの一学年先輩に当たりますな」
それなりに推理は当たっていたらしい。
「酒井進、32歳」
「勤めてたってことはつまり、辞めたってことだよな」
「いいえ、昨日殺されましてね」
勇一郎が最中を咥えたまま帳面を開いた。
「前科はありません。
ただ、所持品の中に貯金通帳がありやしてね、残高が二万を超えていたんで少々署内がざわついていましてね。
実を申しますと、何かご存知のことがあったら教えて貰おうと思いまして」
「大森さん、その金、遺族に渡さないで下さい」
「何があったんです?」
「結婚詐欺です。
昨日今日で四名のご婦人から依頼がありました。
そうだ、その男、喉に目立つ黒子ありませんでしたか?」
大森は喉仏の下辺りを指で押さえた。
「ありました。この辺です」
「間違いない。
月本銀行にそれなりの個人財産を持つご婦人と結婚の約束をして貢がせていたんですよ。
何故か男は相馬有朋と名乗り、俺の先輩だと言いふらしていたそうです。
被害届を出して貰いますから、兎に角、金だけでも取り返させないと」
それからが大変だった。四名の内二名は家に電話があったので、連絡をして明日、警察に行くよう説得し、後の二人は、隼人と勇一郎が直接訪ねて説明した。
皆一様に驚き、嘆いた。全額かどうかは分からぬが、金は取り返せるだろうと慰めるが、金などどうでもいいと涙声で訴えた。
皆気付いていたはずだ。男は結婚詐欺を働いていたと。だからこそ、態々隼人に依頼をしたのだろう。
偽りであろうとも、婚約をしていながら手紙一枚で別れを告げるような男に、どうして愛情を捧げられるのか、隼人には理解できなかった。
「俺も理解できねぇ」
「賭け事と同じではありませんか? ここまでつぎ込んだのだから今度こそ。と思うそうですね。つぎ込めばつぎ込むほど、抜け出すのが難しくなるのだとか」
「成程。貢いだ金額分だけ、信じざるを得なかったってわけか。
まぁ、残高を考えると被害者はもっといるって考えた方が良かろうな」
「そうだろうが、俺の仕事はここまでだよ」
「一銭にもならん仕事させて、済まなかったな」
珍しく勇一郎が神妙な顔で頭を下げた。
「何はともあれ、ご婦人方にとって良い状況になれば良いのだけど。
まぁ、仕事としては何の得もなかったとしても、捨て置くことのできぬ、俺にとっては事件と言ってもいいことが分かった」
「相馬有朋と名乗り、長瀬さんの先輩だと言い触らした理由ですね」
「そう。何となく新聞を見て思い出しただけなら、一人にしか言うまい。しかし、少なくとも四人に同じことを言っている。他意が無いとは思いかねる。
その上殺されたともなれば……」
「お前の大学出身の犯罪者がまた現れる可能性があるってことか」
溜息混じりの声に、隼人の溜息が重なった。
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