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自信
和やかに談笑する人達、主役の二人を冷やかしに行く人達。会場は幸せに沸き立っている。
また、片付けの時には直ぐに動かなければならないので、隼人達は厨房に近い、隅の席を陣取っていた。
いつもなら一二を争う良い席を用意されていたであろう安原は、隅の席でご満悦である。
手が空いたらしく、久も仲間に加わった。
「手を見せてはもらえまいか」
安原の頼みに、久はやや怯え気味に両手を差し出した。
安原は自分の手と久の手を見比べている。
「やはり、指が細い方が器用なのだろうか?」
言いながら、圭の手をチラと見る。
「いや、廣中の手は私と変わらん……」
「正直に言っても良いですよ。圭ちゃんの指が一番細いって」
余計な事を……とばかりに安原は戸惑いの表情を見せた。圭はいつにもまして釣り上がった目で、勇一郎を睨んでいる。
「元帥閣下だったんですよね?」
怯え怯え、久が問い、安原は頷く。
「元帥閣下が、皿並べたりするなんて……」
「おかしいかね?」
「おかしいんじゃなくて、そんな偉い人が、こんな事をするなんて、びっくりして……」
「こんな事とはどう言う意味だろうか。
私は軍人として、國の為に仕事をしていた。そうして今日は、幸せな二人の為、その二人を祝う人の為に手伝いをしている。
やっている内容は違えど、誰かの為に。という心に、それほどの差はなかろう。
私には、君のように美味しい物を作ることはできないから、私にもできることをしたまでだ」
「元帥閣下に出来ないことを、僕はしているんだ……」
呟くと、笑顔を見せた。
「そう、私にはできんのだよ。妻は一週間耐えてくれたが、今日は直ぐに追い出された。
漸く気付いたが、妻は随分と我慢してくれたのだな」
まさに、耐えた。が相応しい言葉に違いない。切るように混ぜて欲しいと言えば、手を突っ込んで、手刀で混ぜ始めるし、ぶつ切りを頼めば、野菜を押さえもせず、包丁を叩き付けるようにして下ろすので、まな板から脱走する食材を追いかけなければならない有様。
世の中には、色々な種類の不器用が存在するのだな。と、思わせられた。
不器用なのは仕方が無い。生まれつきのものなのだろうから。問題なのは、本人にやる気があるということなのだ。
手伝いをするのは良いことではあるのだが、それが、周りの迷惑になるのである。
圭も安原も、料理をしてみたいと思ってはいるのであろうが、本当に興味があるのなら、無意識でも記憶しているものである。久は洋食店で、無意識に料理人の真似をしていたと聞いた。つまりはそういうことなのだ。
一方、安原は教えても覚えていない。頭が悪いわけではない。
料理が出来れば、妻が喜ぶだろうな。とか、恰好良いな。程度の考えなのだろう。心の底からの興味ではなく、軽い考えなので、覚えていられないのだ。
圭も同じようなものであるが、加えて、注意力に欠ける。どうしてなのかは分からないが、刃物が切れるものだと理解していないのではないかと思わせるほど、油断している。
危険なので台所仕事はしないよう約束して貰ったのだが、最近は、お菓子なら作れるのではないか。との、根拠のない可能性を仄めかし始めた。
二人ともいっそ、台所仕事は男のすることではない。と、考えてくれたらどれだけ助かるか……。
しかし今日、安原は久に自信を与えた。そう考えれば、妻が一週間耐え、長瀬家のシェフや久の店の人間が迷惑を被った事を差し引いても、幸いだったには違いない。
吞気そうな声に、ゆったりとした動き。殆ど表情も変えず、元軍人とは思えない鷹揚な態度。
どんな状況であろうとも、落ち着きを持ち、平常時と変わらぬ様子を示すならば、部下は安心していられるだろう。
それだけに、一度怒りを表したなら、強烈な印象を残す。
自ら命を絶とうとした時田の考えに、雷を思わせる怒声を発した。
時田はどんな思いを持っただろうか。元帥としての立場を守ろうなどとは考えず、命を捨ててはならんと、自らの行いに責任を持てと、安原は言い聞かせる為に怒鳴りつけた。
今頃は、安原の思いを理解し、後悔と反省の日々を過ごしていることだろう。

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