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私ってなんだろうとよく考えるのですが、何をやっても私として見てもらえない、オウムとか知らない名前で呼ばれる、という悩みがあります。
こんなユニークな悩みがある人も、周囲だとなかなか会いません💦
怖いんですよね。
幽霊とか神様が話しかけるのが怖いという人も居ますが、私にとっては生きた人に、死んだ人の名前を呼ばせる人たちのほうがよほど狂っています。
死んだ人は死んだ人だからそのままですが、生きた人を死んだ人の名前で呼ぶのは、どういうことかわかりますか?って私も明確にはわからないんですけど、
よくない、正しくないと感じます。
死の世界から
おいで、おいで、
されてるみたいです。
私は生きていてはいけないんじゃないだろうかと頻発に考えることがあり、正気に戻すのを繰り返すときがあって、本当に怖いです。
魂を消して、上からなにか入れ込まれそうな……儀式めいた不気味な感覚です。
もし、『私』が居なくなったら、私はどうなるかわからない。そう思うときと、『私は生きていない?』と思うときとの波があって、そういう空洞のときに呼ばれたらどうしようと。それについては蘇るものはありません。ただ怪物が残るだけです。
いや、いろんなお話を聞くのは好
きなんですけど、私が私であるという区切りを置いています。
サイトの管理人であるということで、話を聞く立場であると切り離して居てそうやって分けています。
昔『厄介なお客さん』が、実験と言ってその名前で呼ぶのを繰り返したりされて気分が悪かった。
大体前ページのような意味で作品を書いている+管理人としてのこと
──があれば満たされているわけですが、こういうのがあると、対処を考えてなかったなと思うきっかけになりました。
■厄介な人の余談
私は見た夢をモデルに書いたり現実を書いています。
厄介な人は『作品』自体を自己流アレンジで上書きした内容を晒してもいた。「絶対オウムの事件の話だと思ったので確かめたかった」という実に幼稚な理由で断りもなくだった。
・それ以外(区切りを置いて切り離しておくこと以外)を強制的にやることになって大変だったです💦
なりすましアカウントを作られたりして、
管理人が管理人なのか、と問われることになり、私がお話しているのにということと、切り離しが出来ないことで悩みました。
・夢の手がかりが出来るまで大事にしていたかったのに。(自分の作品の価値の方がありますからね、知らん人よりは)
とりあえず生きていて良いのかという恐怖に晒されながら、事件とか松本麗華さんになぜ間違われるのか、管理人の、「管理人以外の役割」を考えなくてはいけませんでした。
・証拠を示して正さない間、ずっと死んだ人の名前で「確かめたい」から呼ばれる、を同時になすので
ギリギリな感じ。
■松本麗華さん(アーチャリーだった人)は35歳だそうで、私より年齢がありますし、本人も私とは違うと言っています。
仮に事件をテーマに執筆していたら性格悪すぎて駄目。
だってよく考えても事件の内容を美しく書いて、遺族に媚びる気でしょうか。Twitterをみる限りは、父を許して貰おうとは思ってない、みたいな方だったように記憶しますが、『美しい思い出にしたい』ってなるとなんか違うんですよね。加害者側が、美化するのは反感を買うだけです。それを計画していたとなったらサイコパスにしか見えません💦
2021/10/2014:18
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