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碧の海
『今、どこにいますか?』
『お父さんも心配しています』
『連絡をください』
『(不在着信)』
『(不在着信)』
時間を確認しようとしてスリープモードを解除したスマホの画面に、母からいくつかのメッセージの通知が入っていたので、アプリを開いて確認した。既読をつけないように確認しようかとも思ったが、そうするといよいよ警察にでも連絡しかねないので、わざわざトーク画面を開いて既読をつけた。しかし返信する気は起こらず、そのままホームボタンを2回押してアプリをシャットダウンし、スマホをジーンズの左ポケットに突っ込んだ。
時刻は19時45分。べつに遅い時間ではないと思うが、夏至もすぎ、だんだん暗くなる時間が早くなってきたとは思う。ほどよく冷たい風が頬を引き締める。辺りを照らす光は車のヘッドライトか街灯のみ。たまにコンビニが遠くに見えるが、人のいるところに行きたい気分ではない。
ふと、スマホの通知がくるのではという危惧が頭をよぎった。予期せぬ通知の電子音も、音が鳴らないように設定しようとスリープモードを解除した時に見えるメッセージの通知も、今は見たくない気分だった。ポケットから取り出したスマホを傾け、明るくなった画面の下の方からスワイプして機内モードに設定する。
これでよし、と再びスマホをポケットに戻す際、イヤホンのコードを巻き込みそうになって慌ててやり直す。やはり無線のものを買った方がいいだろうか。しかし無線だとうっかり落として無くしてしまう危険性が高いし、このイヤホンもまだ使えるので急いで買う必要はないだろう。イヤホンから耳へと流れ込んでくる聞き慣れたメロディに歩調を合わせ、夜の散歩を再開した。
どれくらいの時間歩いたのだろうか。なるべく人のいない、暗くて静かな方を選んで歩いていたら、いつの間にか目の前に海があった。昼間はギラギラ、と目を突くような眩しい光を反射している海も、夜はただ月明かりを浮かべて静かに揺らめいているだけだった。
土手を降り、砂浜の濡れていないところに座って膝を抱える。自分の膝の間に顎を乗せ、ぼーっと海を見る。時折、冷たくてやわらかい潮風が頬を撫で、髪を揺らす。そろそろ髪を切りたいな。元々髪の量が多くてまとまりづらいし、長めだと女の子にしか見えなくなる。髪を切ったところで認識を違えてくれる人はいないだろう。それでもこれは、社会に対する自分の小さな抵抗、なのだろう。
などと考え事にふけりながら見つめていた海が、突如ぼうっと碧色に光り始めた。ウミホタルかと思ったが、テレビで見たウミホタルはもっと「青」かったと思う。これはもっと緑がかっていて、それとは違う色のように感じた。海の中からライトアップされているのかと思うほど明るく輝いていたが、それは不快な眩しさではなかった。
写真を撮ろうか、でももしスマホを取り落として水没させてしまったら嫌だな、と葛藤していると、碧色がだんだんさらに明るい黄金色へと変化してきた。揺らめく水面には次々に大小の波紋が浮かび、しだいにぱしゃんぱしゃん、と水しぶきが上がり始めた。そのしぶきの合間にはちらちらと黄金色が見え隠れしていて、その正体はなんだろうかと観察しているうち、そのうちの1つが宙へと飛び上がった。
見ると、それは黄金色に輝く魚だった。いや、正しく言うと魚のような影だった。魚であれば当然見えるであろうはずの目や鱗が見当たらなかったのだから。1匹が飛んだあとはそれに続くように次々と同じ黄金色が飛び跳ねる。再び着水したものは浅いところをすいすいと旋回し、しばらくするとまた跳ねた。その光景は見ていてとても心地が良いもので、なんだか水の中へと誘われているような気分にさえなった。
一瞬、飛び跳ねる魚へと、水へと手を伸ばしかけた。でもやっぱり濡れるのが嫌だったのでやめた。肌が濡れるのはまあいいが、服が濡れるのは本当に嫌いだ。時間がたって自分の体温で生暖かくなるとよけい気持ち悪い。手を引っ込めて、また膝を抱える。そのままばちゃんばちゃん、と魚が飛んだり跳ねたりするのを見ていると、だんだん魚の数が減っていっていることに気がついた。最後の1匹が海の底へと泳ぎ入るとついに光が消え、海は碧色から黒に近い夜の色へと戻ってしまった。明るいときは思わなかったが、真っ黒な海は全てを吸い込んでしまいそうに見えてなんだか怖い。このままここにいるのが恐ろしくなったので立ち上がり、家へ戻る道を歩き出した。
行きは勝手気ままに進んでいけるので特に気にしていないのだが、帰りはちゃんと元きた道を通っているのか、この場所に見覚えがあるようなないような、というような不安にさいなまれる。まあそれでも最後にはたいていなんとかなるのだが。ならなくてもスマホのマップがある。無事、家に到着した。家に帰ると椅子に座った父にテレビを見ながら「おかえり」と言われた。そして一通り説教されたが、要約すると「何も言わずに出たら心配する」とのことだった。自分がその立場だったら心配するだろう?とも言われたが、特に何も思わなかったので黙っていた。そのあと母が帰ってきた。わざわざ探しに出ていたのだと父から聞いた。それを聞くと申し訳ない気分になった。そして「女の子なんだから遅い時間に外にでちゃダメ」と言われた。
時刻は20時30分。夕飯を食べてから家を出たので、手洗いうがいを済ませてから風呂に入り、いつも通りのことをしてから寝た。その夜はどんな夢を見たのか覚えていない。
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