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実績も十分、今まで数々の賞も贈られた、地球を代表する科学者と行ってもいいマカベ博士が地球から他星へ移住することになった。
「先生。ほんとうにM星へ行って仕舞われるのですね」
若い助手はマカベを愛おしんだ。
助手はマカベに着いていくことは出来なかったからだ。
「君も自分の信じる研究を続けることだ。そうすればいつか周囲に認められ、より自由な研究が出来るよ」
「先生のような実績があれば、地球でも十分自由な研究が出来ていますのに」
「いや、そうじゃない。私は研究実績とともに地位も得てしまった。この星では、責任ある地位に就くと言うことは自由を失い、周囲との根回しをする役割を担うと言うことだ。私は研究を続けたいんだ。なのに私と同等の地位にいる彼らは、互いの立場の話し合いばかりしていて研究に没頭することを忘れた。彼らはもう、山の頂が見えてしまっているんだよ。君らのような若い人間も用心したまえ。先に進むことをやめた人間について行ってはいけないよ」
「先生の、その飽くなき探究心が、お年を召して尚、M星への移住研究を決意させる活力になっているのですね」
「そうさ。地球での研究はあらかたやり尽くした。M星には私がまだ知らない研究対象が沢山あるよ。すでに向こうへ移って研究している人がうらやましくて仕方が無い。私は、M星へいったら、それこそ跳んで跳ねて、若い研究者になど負けない研究をするつもりだよ。さらば地球~サ」
M星は、文明レベル的に地球に近かった。人類が住める環境を構築できるとわかってから、最新の技術と人間が順次送り込まれて、開発段階の始めから地球同等だったわけだから、古い慣習やインフラを抱えていない地球よりも先進的ですらあったのだ。その意味で、マカベ博士にとってM星はパラダイスだった。もう彼には、地球への未練など微塵も無かった。地球はかつて住んでいた研究地という価値しかなかったのだ。
マカベ博士がM星への移住を発表したころ、地球のマスコミは騒然となった。なにしろ地球を代表する科学者だったからだ。
「このままM星に科学者を移住させ続けたら、地球の科学界は抜け殻になってしまうだろう」そう言われた。
それでも、その勢いは止められそうに無かった。M星は一応、地球支配に属していたが、あらゆる意味で地球から目が届き掌握できる状況では無かった。だからほぼ独立国。独立した星なのであり、星間の貿易や旅行先というような意味合いが強くなっていた。その上でM星への人材の流出が止められないので、立場の逆転がすでに始まっていたのだ。
だが、宇宙は広い。地球からM星へ移住する人間がいるのと同じように、それとはまた違う星から地球へ来ている異星人もいるのだ。
ジョンと名乗る彼は、M星など比べものにならない遙か遠くの星から地球へ研究にやってきた科学者だ。
彼はあらゆる科学に精通していて、地球に居ながらにして本星のシステムを使って研究が出来る。つまり、地球で資料を得てそれを本星へ持って帰るような面倒なことをする必要も無かった。
彼は地球のあらゆる所へ身分を隠して潜り込み、一般労働者の目線から地球人というものの成り立ちを多く研究していた。
「お疲れ。……ほら」
工場での一日の作業が終わり、休憩室のスチール椅子に腰掛けたジョンに同僚の男が缶コーヒーを差し出した。
「アリガト」
ジョンは、受け取ったコーヒーがホットだと言うことにうれしさを覚えた。今日は急に寒くなって、体が冷えていたからだ。それで、ジョンは手の中で缶コーヒーを転がした。
休憩室のテレビが、マカベ博士のM星旅立ちを伝えている。テレビに映し出されたマカベ博士は、もう、心ここにあらずということだったのだろう、宇宙船への搭乗口で誰にも、地球に残る見送りのもの達にさえ振り向かなかった。
「M星かぁ。そんなにいいところなのかねぇ」同僚の男は、自分にか、ジョンにか、問いかけるように言った。
ジョンはテレビの映像を見ながらまだ缶コーヒーを手の内で転がしていたが、やがて缶ぶたを開けた。
「おまえさんは、日本に来てどれくらい経つんだっけ?」
「15ネン」
ジョンはコーヒーをぐいっと一口飲んで答えた。
「そっか、15年か。おまえさんには、ここが『いい場所』だったってことかな」
「ソーダネ」
今ここにいる地球人にとって、ジョンはただ『どこか地球上の外国から来た人間』という感覚しか無い。
テレビでは、マカベ博士を乗せた宇宙船が炎と煙を残して飛び立ってゆく。
「去る者は追わず、来る者は拒まず」ジョンはそう言って缶コーヒーを飲み干した。
マカベ博士の宇宙船が、すっかり空の彼方へ消えてしまうと、それをきっかけにジョンは椅子を立った。そして同僚の男はジョンの肘にぽんと手をやって、
「おでんで一杯行かねえか?今日は寒いからナ」
「イイネ」ジョンの顔に笑みがこぼれた。
ジョンと同僚はロッカールームへ歩き出した。
「M星にはよぉ、路地裏のおでん屋なんて、ねえだろうな」
二人はそう言って笑い合った。
「エンカもナイヨ!」
「そっかぁ。っはっはっは」
笑い声が廊下に響いた。
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