最後の夜

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最後の夜

 『────明日、だな』  『ああ、明日だな』  大阪府と奈良県の境となっている山の上にある小さな遊園地。  その遊園地でも一番の高台にあるプラネタリウム館の側の手すりに少年と大人の中間の顔立ちながらも、精神はすっかり大人へと向いている二人の少年が並んで凭れかかっていた。  一人は一際明るく光る夜景に目を向け、一人は市内に比べれば明かりが圧倒的に少ない為によく見える星を見上げながら時折思い出したように言葉を紡いでいた。  『・・・準備はもう出来たのか?』  『大丈夫だって。お前が準備してくれただろ?』  お前がする事に間違いなんて無かっただろうと、地上の星を見下ろしていた少年がくすりと笑い、天上の星を見上げていた少年も同じ声でそうだなと笑う。  『シドニーの家も悪く無かったな』  『そうだな・・・お前があいつに掛け合ってくれたからだな』  ダンケ、Mein Bruder.とニヤリと笑っている事が分かる声に空から視線を地上の隣へと戻した少年は、夜風にさらりと揺れる柔らかな明るい色合いの髪をそっと撫で、どうしたと不思議そうな顔に見つめられて苦笑する。  出会ってから8年、同じ中学高校と通い、一緒に暮らすようになって6年しか経たない己の片割れが、初めて出会った時からは考えられないほど己の意思を持って世界の広さを確かめる為に旅立つ事を決めたのは昨年の夏休みだったが、先日無事に卒業式–何から卒業するのだろうという捻くれた事を呟く同級生を白い目で見ていた–を終え、6年間の共同生活を終えてそれぞれの進路へと歩む日がやって来た事に目を細め、手触りの良い髪をもう一度撫でた後、ホームシックになって泣くなよと笑いかけると、端正な顔が夜目にも鮮やかに赤く染まり、次いで聞こえて来た言葉はドイツ語の罵声だった。  『都合が悪くなったりするとすぐにそれを言う』  その癖を治せと笑うとさらに赤くなった己と同じ顔がうるさいと今度は日本語で言い放ち、いつまで頭を撫でているんだと手を払おうとするが、何か妙案を思いついた顔になった後、その手を掴んで掌に口付ける。  流石にそれには驚きを隠せずに目を丸くすると、驚いたお前の顔なんてなかなか見れないと笑うが、不意に明るい色の髪に表情が隠されたかと思うと、たった今己がキスをした掌を頬にあてがい、完全に俯いてしまう。  ホームシックになって泣くなと揶揄ったが、本当に寂しさを感じて泣きたくなるのは己ではないのかと自問し、確かにそうだと静かな声で自答してしまう。  互いの存在を初めて知り、大人の目を盗んで再会していた時から出来る限り一緒にいようと決めて傍にいたが、将来を選択する際、どうしても興味があった天文学や物理学に進まない道など見えなかった為、大学への進学も自然と決まっていた。  だが、双子の弟は別の進路を思い描いていたようで、初めてそれを知らされた時に感じたのは、違う道へと進む弟を素直に認められないと言う思いと、同じだけの強さで好きな道に進めという背中を押す気持ちだった。  弟が、日本ではなく海外で医者として生きていきたいと、己のベッドに潜り込んできた後ぽつりと呟いた言葉が忘れられず、どうした、夢に向かって生きていくんだろうと笑うと、俯いた頭が上下し、湿り気を帯びた吐息が足元に落ちる前に風に流されていく。  『お前が・・・シドニーの大学で天文学を勉強すれば良いだろう?』  風に流される本音に軽く目を見張った後、無茶を言うなと微苦笑しつつ頬を撫でるように手を動かすと、堪えていたらしい心の奥底の言葉が流れ出す。  『お前がシドニーに来い、ソウ!!』  俺を、お前が教えた世界の中に一人放り出すのかと、十歳の夏、突如として開いた世界の扉へと足を踏み出したが、その先に一人きりで放り出すのかと、子どもじみた我儘を言い放った弟を咄嗟に抱きしめ、悪いと謝罪をすると、背中を拳で殴られる。  『痛いぞ、ケイ』  『うるさい!お前が一緒に来ないのが悪い!俺の方がもっと痛いんだからこれぐらい我慢しろ!!』  その、誰がどう聞いてもただの我儘としか思えない悲鳴じみた声に自然と肩を揺らして笑うと、笑うなともう一度背中を殴られる。  『────ケイ、世界の広さを見てこい』  お前の世界は中学に入学して一気に広がったが、それでもそれすらもまだまだ狭い世界なのだ、文字通り世界は広いのだ、それを自分の目で見て肌で感じて来いと告げて背中を撫でると、さっきは殴りつけた拳が広げられて同じように背中を撫でられる。  その温もりに迫り上がってくるものを奥歯を噛み締めて堪え、大学が夏休みになればそっちに遊びにいくから俺の部屋を作ってくれと伝え、了承の代わりにシャツの背中をぎゅっと握り締められる。  双子として同じ親から生まれて来たのに、親の都合で互いの存在を十歳になるまで知らなかった自分たち兄弟だが、こうしてまた離れ離れの生活になるのは辛かった。  あるべきはずだった時間を取り戻すことなど出来ていなかったし、これから先も一緒にいられると思っていたが、互いに叶えたい夢があるとわかったのなら、それが叶うように応援しようと互いに決めたのだ。  弟は医者になる夢を叶える為にシドニーへ、兄は天文学者になる為に日本の大学へと進む。  互いの夢を応援し背中を押す事に決めたのだからと、弟と同じだけ沸き起こってくる何故別々の進路に進むのかと言う怒りにも似た疑問をグッと堪えると、しがみついていた腕から力が抜け、肩に額を充てた弟がぽつりと呟く。  『・・・次に会うのは半年後になるかな』  『そうだな・・・お前のことだから医者にはなるだろうけど、専門は決まってるのか?』  『決まってる────生まれたばかりの子供を捨てられる、そんな人間の脳味噌を解剖したい』  生まれたばかりの子供を捨てる、その言葉に兄がさっきとはまた違う感情を堪え、それに気づいた弟が人を家に閉じ込めるのは捨てたようなものだろうと笑うが、脳神経などそちらに進むのかと辛うじて問い返すと、そうだなぁと興味がまだなさそうな声が返ってくる。  『・・・頑張れよ、ケイ』  『うん・・・ソウも』  お互いに頑張ろうと笑い、互いの目に映る己の顔が笑みを浮かべている事を確かめた二人は、さっきと同じように手すりに凭れ掛かり、総一朗は空を、慶一朗は地上を見つめる。  『・・・いよいよ明日だな』  『そうだな』  明日、自分たちの道は別れてしまうが、永遠に交わらないわけではない事、少し離れた場所を並行して進んでいる事を忘れずにいようと視線だけを重ね、どちらからともなく小さく肩を揺らしてしまうのだった。  二人が見つめる先に見えているのは星や地上の灯りだったが、その遥か彼方先に、誰よりも自分たちを理解し、見守ってくれる存在がいることなどこの時の二人には想像も出来ないことだった。  
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