0人が本棚に入れています
本棚に追加
熟し切った柿の実が、ぼとっと嫌な音を立てて地面に潰れた。最後の蝉たちもやっと死んだ頃だ。数日前に出したヒーターは半年分の埃の臭いを部屋に充満させた。私は薄汚れたスニーカーで更に靴の底を汚してやろうと柿の上に影を落としたが、野良猫の泣き声を背後に捉え何か罪でも犯している気になって思いとどまった。自制心など捨てたものだと思っていた。空は赤く濁りだした。この頃の地球は本格的に狂い出してきている。
シャープペンシルの芯を等間隔でぽきぽきと折っていく。授業中の退屈な仕事のひとつだった。窓の外を見るようにしていつも視界に入るのは青木だった。今日はどのような表情を見せてくれるのだろう。心臓がぞくぞくと音を立てた。折った芯はすべて青木のための物だった。昨日は泣きそうな顔、切なさをギリギリまで苦しめた様な表情を見ることができた。靴箱を開けた時の青木の表情の変化をこっそり見ていた私は、真夜中の海岸にひとりぼっちでいるような気持ちになった。もっとあの表情を見たい。毎日がオレンジに色付いていく。
二か月前から私の笑顔は変わった。笑う理由が変わったからだ。青木は最近痩せてきている。大食いの彼にしては本当に珍しいと周りは浮足立った。何でもない、部活の練習がハードなだけだと笑って見せていたが、他の部員の容姿はさして変わっていなかった。私は一日に一度は青木に話しかけにいくと決めている。最近は私の顔をみるとひきつった笑みを浮かべてくれるようになった。
キャラメル買ったけど歯医者に行ったばっかりだったの忘れてたから、青木にあげるね。そう言って黄色い直方体の箱を優しく手渡すと、ありがとうと受けとった彼の掌が小刻みに震えていた。泣きそうな、何かを押し殺すような、そんなか細い声だった。
放課後、青木が沢田に泣きながら何かを叫んでいるのを偶然見た。沢田は青木の絞り出すような悲痛な声を神妙な面持ちで聞いていた。なんだか無性に彼を憎く思った。しんでしまえばいい。私は短時間であらゆる仕掛けを彼にプレゼントした。私の思いは伝わったのだろうか。沢田は次の日から学校に来なくなった。
私には彼氏がいた。子犬のように従順で素直で何でも喜ぶような面白みのないぬいぐるみのような存在だった。ごめんなさい、ごめんなさい、もうゆるしてよぉ。ごめんなさい、彼の涙声が今でも耳触りだ。消えてしまってよかったと思っている。青木の目を見ると彼を思い出す。でも、これは恋だと思う。私は泥沼に足を取られてしまって身動きのとれない棒切れ同然だ。きっと救い出してくれるのは青木に違いない。そう信じて疑わなかった。だって、彼が視界に入ると、こんなにも鼓動が熱くなる。
私は秋と冬の丁度中間の臭いを鼻腔一杯に吸い込んだ。また一輪、新しい花が咲きそうだ。大きく膨らんだ蕾のついた茎を手折った。今日はこれを青木にあげよう。青木は今日も、きっと恐々作った笑顔で震えながらありがとうと口を開く。ああ、なんて素敵なんだろう!世界は甘く、溶けた花は後味もしそうになかった。
最初のコメントを投稿しよう!