恩讐のかなたに

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 2  ――彼こそまさに美術品のようだ。  初めて彼の仕事ぶりを見た時、私はそう思った。  北沢雅樹――去年わが社に入社したばかりの新入社員だが、どうも彼が競売人を担当すると評判が良いというので一度見に来た時のことだ。  「ただいまより本日のオークションを開始いたします。まずはロット番号一番――」  会場に彼が入ってきたその瞬間から、私を含めて人々の眼が釘付けになった。  日本人離れした幅広の二重瞼。切れ長の眼は縦方向にも大きく、黒目の割合が多い。所謂吸い込まれそうな瞳とは彼のような眼を指すのではないか。  豊かな涙袋を持ち、細く高い鼻、特に縦方向に小顔な輪郭――その顔立ちは誰が見ても、正統派の美青年だということに異論は無いであろう。華奢で多少なで肩だがとても姿勢が良く、美しい立ち姿も人目を惹く。  「続いては皆さんお待ちかねの、本日最大の話題作をご覧に入れましょう――現代アートの巨匠・魅上満の作品です。国内では全く評価されずに不遇の時代を過ごした彼は、中年以降ニューヨークへ渡り、アニメーションと古典芸術が融合した特徴的な絵柄で、現代アート画家として高い評価を得ています」  顔が良いだけの男なら他にも居るだろうが、彼の凄いところはその容姿にして、声まで美しいことだ。  倍音を多分に含んだ“良い声”の競売人はただでさえ客の購買意欲をそそり、これまでもそういった人間を多く採用してきた。 彼はその期待の上を行く。よく通るが吐息をたっぷりと含んだ柔らかな印象の声は、誰が聴いても耳心地が良い。 女性だけでなく男性も、性別や年齢に関わらずその場に居る全ての人間がその声にも惹きつけられる。  「――彼の作品にはいつもこの、少女のような顔立ちの女性が登場します。他人とコミュニケーションをとることが苦手だった魅上満は、不遇の時代から彼を支え続けた自分の妻を描き続けました。初期の作品を除き、この女性は全てが妻の久美子だと言われています。この作品は魅上満が初めて現在の作風――つまり妻を描いた最初の作品で、大変貴重な逸品と言えるでしょう」  しかもそれでいて、ただ容姿や声が美しいだけではないと来ている。  早稲田で美術史を専攻しており、その知識量はベテランの社員に勝るとも劣らない。 作家や作品の単なる情報だけでなく、その人間性や背景に焦点を当てた紹介は既知の客の信頼度を上げると共に、客に今まで知らなかった作家との出会いも提供する。 日本人に馴染みの無い、敷居が高いと敬遠されるオークションそのものをショーにしてしまうという私の経営戦略に、これほどマッチする人材が現れるとは。  ――最初のきっかけは、比喩でなく百年に一度の人材を手に入れたという、経営者としての喜びだったと思う。  私は早々に彼を自分の元に呼び寄せ、彼が携わる企画にはなるべく私が直接関わる様にした。まだ新入社員である彼にあからさまな贔屓だと言われるだろうが、それは我が社にとって絶対に離してはならない人材だからだと――最初はそう思っていた。  しかしある時点で気付く。私が彼にそれほど入れ込んだのは、経営者としての立場を越えた感情があったからだ―― 彼と関りを持ちたいと思った。私が他人についてそのように考えるのは初めてのことで戸惑いもしたが、幸い彼は私との会食などにも積極的に応じてくれた。  今から思えば新入社員の彼が、社長の私からの誘いを断ることは難しかっただろう。 それでも、目の形のせいかいつも笑顔に見える彼の顔を見ていると、今まで感じたことのない気持ちが私を支配する。頭の中はどんどん北沢くんのことで一杯になっていった。
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