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3
――やはり彼が、父を殺したのではないか。
入社式で初めて彼を見た時、僕はそう思った。
「皆さんお分かりのように、アートオークションの世界は国内ではまだまだ知名度が低い。世界では歴史のある業種だが、この日本では未だ、とことん開拓し甲斐のあるブルーオーシャンです。せっかく我が社に入ったからには――私と共に、もっと上を目指さないか?」
喜熨斗照彦、東大卒で先祖代々実業家。KITオークション――僕が去年入社した会社の社長だ。
親会社の喜熨斗商事は大手の総合商社で、代々彼の祖父や父が社長を務める同族経営の会社だ。KITオークションの前身は、同社のオークション事業部という一部署に過ぎず小規模だったらしい。
その後子会社化されたKITオークションを、喜熨斗は一代で一部上場企業にまで押し上げた。
日本では敷居が高いと敬遠されがちなオークションハウスをネットを通じて一般化し、更にオークションをショー化することで話題を呼んだ。売り上げは何年も好調だ。
――表向きはそんな敏腕社長だが、内部では色々と良くない噂を聞く。
喜熨斗は就任すると同時に、前身の部署にいた古株の社員たちをリストラした。売り上げ第一主義で、会社を大きくするためなら手段は選ばない人間だと恐れられていた。
喜熨斗は積極的にメディア対応に応じていたため、入社する前から顔は知っていた。
実際に彼を見て、見た目は思っていたよりも若いなという印象だった。
スリーピースの高級そうなスーツに身を包み、前髪を右に流して纏めている。欧米のビジネスマンみたいな髪型だ。
外国人の社員もいるので英語でも挨拶をしていたが、綺麗な発音で何より堂々としている。身振り手振りもいちいち大げさで、いかにもやり手の社長といった風情だった。
――好意的な見方をすれば、自信に満ち溢れた人だ。裏を返せば、どこか居丈高な感じがした。
目下の人間にも丁寧語交じりの語り口こそ穏やかに見えるが、猫の髭のような奇妙な笑窪を浮かべて笑うその笑顔は、どうにも胡散臭い。
僕の父は喜熨斗商事で働いていた。所属していたのはKITオークションの前身となった部署だ。
父がそこでどんな仕事を任されていたのかはわからないが、十分な収入があり、画家を目指していた父はその傍ら、自分の作品を描き続けていた。
どんなものでも自分の手で正確に描ける父を、子どもの頃僕は本気で魔法使いだと思っていた。
休日には父と美術館に訪れたり、絵を描く父の横で美術書を読みふけっていたりして、幼い頃から芸術家向きの環境で育った。
――ところが僕は、残念ながらそんな父の才能を受け継ぐことができなかったらしい。
僕は全く絵が描けない。専攻は美術史で、日々絵画を含めたくさんの美術品を扱う仕事に就いているのにだ。
絵画を観るのは好きだし、父の絵が出来上がっていく様を見守るのは幼い僕にとって何よりの楽しみだった。それでも、僕自身には全くといっていいほど絵心が無い。
それでも父は、僕が絵を描けないことを少しも気にしなかった。それが当たり前のことではないと、大人になるにつれ知った。
「作り手っていうのは、つい独りよがりな視点になりがちなんだ。雅樹、お前みたいに自分は描かないって人の方が、よっぽど観る目を持ってることだってある。描けなくたって気にするな、お前は良い目をもってる」
――そんな父のおかげか、僕は自分が描くことではなく、美術品とそれが生み出された歴史について学ぶことに夢中になった。どんな作品にもそれが創り出されるまでのドラマがあり、それを創った人がいる――そういうことを知りたくて学んだ。
学科に入ってみれば僕の他にも、絵が描けない美術オタクは意外と居るもので、僕はますます美術の世界を好きになった。
造り手にはなれなかったけれど、美術は父と僕との絆だった。
そして僕が中学生の頃、父は自ら命を絶った――。
父の葬儀の日、僕はまだ子どもで参列者の顔などいちいち覚えていられる精神状態ではなかった。後から母に聞いたことだが、葬儀には当時の社長である喜熨斗の父でなく、喜熨斗本人が訪れたらしい。
KITオークションが子会社として独立し、喜熨斗が社長に就任したのは、父の死の直後だった。
あまりにタイミングが良すぎる。何らかの事情があり、喜熨斗は父が邪魔だったのではないか――そう考えたが、真相はわからないままだった。
美術品を数多く扱う仕事に、興味がなかったわけではない。
大学で学んだことはこの会社に向いていたし、よくわからないが採用担当者には見た目が向いているとも言われた。
しかし僕は父の死の真相を知りたくて、彼の会社に就職したのだった。
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