愛されすぎたスミレさん

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 池袋発の東武東上線で1時間以上揺られ、駅の改札を出ると、全長わずか数十メートルの小さな商店街が現れる。マイホームを求める団塊世代のために、突貫工事で開発が進んだ新興住宅街の暮らしを支えてきた商店街だ。  かつては八百屋や魚屋、雑貨屋、酒屋といった個人経営の店が軒を連ねたが、住民の世代交代に足並みをそろえるように、郊外の大型スーパーに客足を奪われ、衰退した。  住宅街の荒廃もすさまじい。団塊ジュニアたちは、都会暮らしを夢見て競うように家を捨てた。家主が亡くなると、子どもたちは解体費用を惜しみ、古ぼけた家を格安の賃料で貸し出した。夢のニュータウンの住人は今や、年寄りと不法滞在の外国人ばかりだ。そんな街の外れの一軒家で、坂上悠真(さかがみ・ゆうま)は、逃げ遅れた被災者のように、祖父母、両親と肩を寄せ合って暮らしている。  地元の友人は一人、また一人と街を離れ、気がつけば誰もいなくなった。悠真も独立を考えたが、三流企業の安月給で貯金もままならず、寄生虫のようにずるずると実家に住み続けている。  年老いた商店街の経営者たちはやがて店を畳み、生活のために、こぞって小さな雑居ビルを建てた。当初は、コンビニや牛丼屋の大手チェーンが競ってテナントに入り、無口な通勤・通学客をせっせと飲み込んで小銭を稼いでいた。悠真もその客の一人だった。  だが、客足の減少に歯止めがかからないのか、最近では、チェーン店の撤退も相次いでいる。その穴を埋めるように、怪しげな風俗店やスナック、バーが増え、年金暮らしの年寄りと、日本語が不自由な外国人からむしり始めた。地元暴力団の息がかかっているとのもっぱらの噂だ。  夢も希望も知恵もない者が搾取される「絶望の街」。カネのない悠真は、いつも商店街を足早に通り過ぎていたが、その日は事情が違った。仕事でミスを連発し、上司にこっぴどく叱られたのだ。むしゃくしゃしていた。一杯ひっかけないと、眠れない気分だった。ぼったくられそうにない店はないものか……。悠真は、雑居ビルの看板を物色した。 「あんな店、あったかな」  悠真の視界に見慣れない看板が映る。「会員制BAR スミレ」店の入り口脇の非常階段にたたずみ、タバコを吸っている女と目が合った。女の顔が驚いているように見えるのは気のせいだろうか。長い髪が夜風に揺れている。紫煙を吐き出す口元が動き、女が悠真に控えめな微笑みを投げる。とても、魅惑的だ。街灯に吸い寄せられる蛾のように、悠真はふらふらと非常階段を上がった。
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