性癖

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性癖

 昨日、三十五歳になった。祝う人はいらないし、甘党じゃないからケーキもいらない。いつもは買わない良いお酒とおつまみで、一人きりで祝った誕生日。  寂しくないのかと言われれば、若干の寂しさはあった。けれども、友達はメールや電話をくれたし、同僚や後輩はギフトカードを送ってくれた。  誰からも思い出してもらえなかったわけじゃない。長い間恋人もいないし、親友と呼べるような友達もいない。上辺だけ、深入りしない関係だけで充分だ。  一人で祝う誕生日は悪酔いするわけでもなく、暴食することもない。いつもと変わらずに翌日は出社して仕事をこなす。わたしの特別な誕生日は、誰かの全く特別ではないありきたりの平日なのだ。  昨日のお酒、美味しかったなと思い出しながら家路を急ぐ。秋の長雨、底冷えのする季節。早く部屋で暖まりたかった。  マンションの入り口に、黒いパーカーを被った男がいた。誰かと待ち合わせでもしているのだろうか。こういうときは気をつけないと。  男の様子をチラチラと見ながらオートロックの鍵を差し込む。エントランスが開いたときに一緒に入られたら面倒だから素早く行動しよう。 「あの」  声をかけられて身構える。ナンパだったら無視しなければ。 「あの、お願いがあるんです」  パーカーの下の顔はまだ幼さが残っている。歳の頃は十代、もう少しいってるとしても二十代前半だろう。高くも低くもない身長。目にかかる癖のない黒い髪。そしてその下に光る……目が、美しい。 「あの、ぼく、その……、お金、なくって」 「はい?」 「部屋、入れてもらえませんか」  あほか、と思う。こんな声の掛け方で部屋に入れてくれる人などいないだろう。ましてやこの子よりは遥かに年上、おそらくこの年代からはおばさん呼ばわりされるわたしだって、知らない男を家にあげる危険性は熟知している。 「誰か知ってる人がここに住んでるの?」 「いえ、違います。雨降ってきたからここで雨宿りをしただけで」 「お金がないって、どういうこと」 「財布、忘れちゃって」  はにかむ様に言う彼は、年相応に見えた。
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