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「家にはあげられないわよ、何言ってるの」
「そうですよね……すみません」
しゅん、と沈み込んだその様子が、まるで飼い主を見失った飼い犬のように心細げだ。よく見れば犬っぽい子だな、とも思う。普段なら警戒し、無視するところだけれども何故だろう……この、犬っぽい様子が実家で飼っていた犬を思わせるのか。
わたしは財布を出した。心の中で「何をしてるの」ともう一人のわたしが警告する。するともう一人のわたしが、「いいじゃない、良いことしなさいよ」と牽制する。
財布の中には千円札がなくて、わたしは五千円札を掴んだ。
「これ、使ったら」
「…え!?」
「知らない男を家にあげるよりは現実的だもの」
「え、でも僕、そんなつもりじゃ」
「どんなつもりか知らないけど」
よく見ると、黒いパーカーは少し薄汚れているし、スニーカーも履き古してる感じだ。中に着ているTシャツの首元もよれている。ついに我が街にも、若年層のホームレスが出るようになったか。
「財布忘れたとか、嘘なんでしょ? 少しで悪いけど、そのお金があれば漫喫で一晩過ごせない?」
「あ……」
彼は、困惑した顔でお札を見つめている。わたしは、彼の手にそれを握らせた。
「使いなさい」
「返し、ます……ありがとうございます」
「あ、あとこれ」
わたしは持っていたビニール傘を差し出した。
「まだ当分、やまないだろうから」
彼は顔を上げると、かぶっていたパーカーを後ろに外した。思ったよりも形のいい小さな頭が出てくる。そのまますっと、頭を下げた。
「ありがとうございます……ほんとに、ほんとに」
「いいから。お金も傘も返さなくていいから」
わたしはそれだけ告げると、キーを差し込んでオートロックを開けた。
ちらり、と振り返ると、閉まっていくエントランスのドアの向こう、九十度の角度で腰を折り、わたしに頭を下げている彼がいた。
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